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「先生!?」
「……声がでかい」
アザレアの叫び声にイツキは顔をしかめる。
“兵器”たちの視線の先――イツキの腕には、抱き上げられた天音がいた。その体は力を失ってぴくりとも動かない。
「なにか、あったのか……?」
アキラが低めた声で呟く。その声には相手を押しつぶさんばかりの凄みが滲んでいる。しかしイツキは、ただ呆れたように首を横に振った。
「なんもねーよ。流石に遅くなりすぎると思って乗合馬車に乗って帰ってきたら、その道中で寝た。いつものとおり揺すっても何しても起きないし……ガキかっての」
たしかに、よくよく耳を澄ませてみればイツキにくたりと体を預ける天音からは穏やかな寝息が聞こえてくる。アザレアとアキラは顔を見合わせた。
「え? だって……お墓参りに行った後の先生は、大概いつも泣いていますわ。それなのにどうして……」
「? まあ、泣いてはいたけど。墓の前で勝手に泣いて、勝手に泣き止んだ」
「お前……先生に何したんだ?」
アキラの訝しげな問いに、イツキはどこか気まずそうに視線を斜め下に下げる。
「――別に何も」
「おい、その間はなんだ」
じとっと目を細めるアキラ。イツキは不機嫌に眉を寄せた。
「本気で何もしていない。……ただ、少しだけ楽になるのを手伝っただけだ」
「どういう……ことですの?」
アザレアが首を傾げる。しかし、イツキはその質問を無視して踵を返した。
「帰ってきたんだからいいだろう? こいつを寝かせてくる」
「あ、おい!」
ロビーを出ていくイツキをアキラは追うが――イツキの姿は、あっという間に廊下の曲がり角に消えた。
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「……ん、」
――あったかい
ぼんやりと目が覚める。枕も掛け布団もいつもと同じなのに、いつもとほんの少し違う。
「あ……れ?」
体を起こすと雨の音が聞こえてくる。壁一枚隔ててすぐそこで降っているはずなのに、どこか遠くから聞こえてくるような不思議な響き。絞られた機械ランプの僅かな明かり。いつ帰ってきたのか記憶がない工房の寝床。――実体感が無かった。
「私、どうして――」
両親の誕生日だから墓参りに行ったはずだった。それなのに何故ここにいるのか。
ますますわけがわからなくなり、ひとまず立ち上がろうと体を動かしたとき――体から何かが滑り落ちた。
「……これって、」
よく見慣れた分厚い黒い布はイツキのマントだった。手に取ると、着古されて柔らかくなった生地が手にしっくりと馴染む。それをぼんやりと眺めていると、今日の出来事を思い出した。
――あー、乗合馬車に乗って帰ってくる途中で……寝ちゃったんだ
ここまで眠っている天音を運んで、布団をかけて明かりを一つだけつけてくれた人がいる。――誰かなんて一目瞭然だった。
せっかく起き上がったのに、天音はまたごろんと横になる。まだぬくもりが残っている布団に体を預けて、ほんの少しの罪悪感を覚えつつもおずおずと黒いマントを抱きしめた。
――私、変態なのか……もしかして、
「んん……あったかい」
目を覚ましたときのあたたかさの正体はこれだったらしい。薄れゆく石鹸の匂いと、強く染み付いた荒野の風の匂い。死の香りがどこか遠くでするのに、こんなにも安心できるのはどうしてなのか。
「あした……返しにいけば、いいや」
起き上がるのも億劫だし、こんな時間にマントだけ返しに行っても迷惑だろうし――なにより、もう少しだけこうして抱きしめていたい。
眠気でぼんやりとする頭でそれだけ考えて、天音はうとうとと微睡む。
――雨は、止むことを知らない。
第6章がこれにて完結になります。少し短めの章でしたがお読みいただきありがとうございました!
ここからは、一旦本編を離れて天音の過去について書いていきたいな〜と考えています。タイトルは『Prequel<A>,『群青の過去』』。世界に見放され、それでもお互いを見つけて生きていく。とある二人の修繕師のお話です。
それでは、また明日お会いしましょう!




