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「――わたし、えらい、ですか……?」
小さな声。天音の耳元から顔を離し見ると、彼女はこちらを見つめていた。
蒼い瞳はなみなみと潤んでいる。見開かれて揺れるそれは――きっと、イツキの言ったことを信じていない。
「えらい。つか、お前がえらくなかったら俺はどうなるんだろうな。……お前は、えらいよ」
だから何回も言って聞かせる。染み込むように、彼女にわかるように。
「が、がんばってるんです。たくさん……」
「知っている」
「でも……どうしても、ひとり、は……こわいんです」
「だろうな。だから頑張っているんだろう?」
普通なら、他の人間に対してなら、こんなことはしてやろうなんて思わない。面倒くさい、人間の感情なんて。極力関わりたくもないものだ。
でも……
「っ……う」
「いい、泣けよ。いくらでも褒めてやる」
天音には、何故かこうしてやりたくなる。抱きしめて、頭を撫でて、彼女の欲しい言葉を与えて。
彼女が欲している両親の愛とは少し違うかもしれない。でも、これで彼女の空っぽな心が満たされるなら――もうそれでいいと思った。
「ぅう……な、んで、おいてくの……っ」
「――そうだな」
「おいて、かないで……」
「俺で良ければここにいる。置いていかない」
「っ……イツキが、いい」
「じゃあ、ここにいる」
――それでいいんだ
大切な者の死を受け入れるには、天音が生きてきた十六年という歳月はあまりにも短すぎる。
そして、生きていかなければならない“未来”はあまりにも長すぎる。もう二度と会うことも叶わない故人を求めて心をズタズタにするのは――正直、非合理的というものだろう。
――俺にしておけ
縋るもののベクトルを変えてしまえ。死んでしまった者のことなんて忘れて、壊れない限りは悠久の時を生きることになる機械に何もかもを求めてしまえ。
死ぬまで褒め続けてやる。
感情の奔流に押し流されてただただ泣き続ける天音を、イツキは強く抱きしめる。
小さな背中。さらさらの髪。弱々しく縋り付く細い手。
――なんだろうな、これは
奇妙な感覚だった。弱い存在に対する庇護欲のような、泣く顔を見たくなる嗜虐心のような、ただのぬるい優しさのような――薄気味悪さと心地よさが同居する感覚。
不可解な感覚を持て余しながらも、イツキはただひたすらに泣きじゃくる天音を抱きしめ続けていた。
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――ふわり
温かさに包み込まれて目を開ける。泣きすぎて腫れぼったい目は、霞がかってしまってよく見えない。
「イ……ツキ?」
「ん?」
思わず名前を呼ぶと、意外に近くから返事が返ってきた。もたれかかっていたのはイツキの体だったらしい。うまく動かせない体が抱き寄せられる。
「体が冷たい。寒いんだろ?」
温かいものの正体はイツキのマントだった。フードまでしっかり被せられて、周りはますます見えなくなる。
少し怖くなって見上げるとイツキと目が合う。彼はふっと微笑んだ。
「随分泣いたな」
手袋を外した手に目元と頬を拭われる。無骨で大きな手。ぬくもりはないが安心できた。
「――少しは楽になったか?」
「……」
イツキの問いかけに答えようとするがうまく声が出ない。仕方なく黙ったままうなずくと、イツキはまた少し笑った。
「なら、いいか」
天音はぼんやりとイツキにもたれかかったまま視線を落とす。
気がつくと雨はやんでいた。両親の墓標の前にはばらけた水仙の花と、濡れた包装紙に包まれた残りの束が乱雑に散らばっている。――天音はその束に手を伸ばした。