172,
「来ましたよ……」
小さな墓石。雨に濡れ黒々と光るそれは――二人の人間を弔うにはあまりにも小さかった。
――罪人、か
イツキは心のなかで呟く。周りを見れば、この端の区画は同じように小さくシンプルな形の墓標ばかりが並んでいる。ここに埋葬されているのは、罪を犯して死んだ人間たちなのだろう。
不意にしゃがみ込む天音を濡らさないように、イツキは彼女の後ろに立ったまま傘を前に傾ける。白く細い手が墓石の表面に刻まれた名前を撫でた。
「お誕生日おめでとうございます。――お母様、お父様」
天音の声は意外にも明るかった。黄色い水仙の花束。その半分を薄い包装紙の中から取り出して墓標の前に置く。傘の縁から滴った雨粒が淡い黄色の花弁を艷やかに濡らす。
イツキはその様子をただ黙って見つめた。
「元気にしてましたか? お久しぶりです。また、一年も来れなくてごめんなさい。……私も、ちゃんと元気にしてます。ちゃんとご飯を食べて、ちゃんと仕事をして、人並みに生活しています」
相手の近況を問う言葉。自分の今を語る言葉。何気ない言葉のはずなのに――イツキにはその光景が酷く辛く、痛々しいものに見えた。
「ひとりだからって、全然心配なんてしなくていいんですから。毎日、忙しくて楽しいんです。義父さんの言っていた生きがいって、きっとこういうものなんですね……」
天音はひとり喋り続ける。とりとめのない返事のない会話。所詮、墓石は墓石であってそこには誰もいない。そんなことは天音だって重々承知している。
――それでも、天音は話すことをやめない。
「毎年言っている通り……本当に少しも寂しくなんか無いんです。ベースにはいい人がたくさんいるんですよ? といっても、みんな人間じゃないんですけど……私に本当に優しくしてくれるんです。辛くなんか無いし、怖いことだって一つも無いし……私、お母様たちが思っている以上に強いんですよ? ひとりでもちゃんと生きていけるんです。ちゃんと……」
「……」
変に明るくつくった声は、両親に向けた言葉である以上に――天音自身に言い聞かせる言葉であることに、ふとイツキは気づいた。微かに彼女の肩が震える。
「すごく……頑張っているんです。一生懸命、怖いことを思い出さないようにって――誰かに心配をかけないようにって、頑張っているんです。私すごいんですよ? 最近やっと、明かりを落としてもひとりで寝れるようになったんです。悪夢を見なくなったんです。ねえ、すごい……でしょう?」
墓石に触れる手が、ぎゅっと握られる。次第に途切れ始める声の隙間に、苦しげなため息が滲むようになった。
「いい子に……しているんですよ? もう、死にたいって思わないんです。すぐに泣いたりしないんです。お母様たちの分までって、頑張って生きてるんですよ? ――ねえ、えらいですよね? 私……えらいですよね……っ」
震え声が詰まる。白銀の髪が体の震えとともに揺れた。
風が吹く。木々が揺れ、雨粒が揺れ、草が揺れ――次に凪いだ瞬間、天音の口からその感情がこぼれ落ちた。
「……ほめて」
たったの三文字。子供が親にするにしては、あまりにもありきたりな要求。しかし、
「――」
天音のその要求は、今までただの一回も受け入れられたことは無かった。
「ねえ、ほめてください。えらいって、ほめてください……。もう一回だけ……一回でいいからっ……いい子だって、言って……」
吐き出された声が途切れる。
後に聞こえてきたのは堪えるような嗚咽だった。