170,
「……イツキ」
「ん?」
息を吸い込む。どう切り出していいか迷う。大きな雨粒が傘に当たる音が、いやに響いて煩い。
「今から……まだ、行きたいところがあって」
「――ん」
イツキはただそれだけを言う。そっけなく見えるが、それが彼にとっての肯定であることを天音は知っている。
「『遺物境界線』の南側に――墓地があるんです。そんなに遠くは無いんですけど……」
その言葉に、イツキは横目で天音を見つめる。
「両親の墓参りか?」
「……はい」
双葉も言っていたとおり、イツキには躊躇いというものがまるで無い。――それが却って楽なのだと、ようやく天音は気づいた。
「今日は――両親の誕生日なんです」
石畳を歩きながら、天音はぽつぽつと呟く。イツキは何を言うでもなくそれを聞いていた。
「偶然、らしいんですけど。父も母も年こそ違うものの誕生日が同じで。これは後から聞いた話なんですけど、父はそれを出しに母にプロポーズしたとかなんとか……正直、絶対嘘だと思うんですけどね。この話」
二人は中枢区と壁外地区を隔てる壁に沿って進んでいく。天音は花束を抱える腕にほんの少し力を入れた。
「両親が――殺されたことは、話したと思います」
「聞いてよかったかどうかは知らないが、あの花屋に何故そうなったかも聞いた」
イツキの言葉に天音はうなずく。その表情は硬く、しかし意外にも冷静だった。
「父は、的場さんの前の代の大元帥・五十嵐という男の元老院でした。表向きは外部のアーティファクトの内通者だったなんていう、いわゆる国家反逆罪で――実際は五十嵐のとある計画を阻止したために死罪になった」
「――とある、計画」
「『世界永久停戦条約』を知っていますか?」
天音はイツキを見上げる。彼はうなずいた。
「“大戦”後に全世界共通で結ばれた条約、だったか。二度と戦争をしないっていう」
「ええ、そのとおりです。五十嵐の計画は――その条約を破るものだった」
――とある都市に、戦争を仕掛けようと画策したんです。
天音の言葉にイツキは目を丸くする。しかし何も言わずに話を聞いているイツキに、天音は語り続けた。
「春苑――“大戦”当時は《帝州》と呼ばれていた都市に対して宣戦布告しようとしたんです、あの男は。《南シレア山脈》の黒鉄鉱脈が目当てだったみたいで。……勿論、そんなことは戦争を放棄したこの世界では絶対にしてはならないことです。公益のためにも私益のためにも、戦争という手段だけは使ってはならない」
だから天音の父は、その計画を止めるために五十嵐の計画を公表し、市民にその是非を問うことにした。水面下で密かに進んでいたその告発計画を知ったとき、五十嵐は驚愕する。
「『世界永久停戦条約』は今の世界を創り上げてきた礎。“首都”――というか、全世界の人間はそのことについてよく理解しているので……もし戦争計画が明るみに出れば、五十嵐の権威は失墜する」
「――ようやく理解した」
イツキはうなずく。しかし、すぐにまた首を傾げた。
「だが一つ疑問だ。何故お前の父が死んだのに……戦争は起こらなかったんだ?」
「……」
その問いに天音は困ったように眉を下げて、ぼそりと呟いた。
「告発計画を、受け継いだ人間がいたんです。その人も当時セナトスをしていました」
細い路地を抜けると商店が多く並ぶ通りに出た。ゴトゴトとくぐもった音を立てながら通り過ぎていく荷馬車を避けて、天音は言った。
「その人は、ユーリ・アクタガワといいました。五十嵐のセナトスであり、“首都”の初代『指定修繕師』であり――私の、義理の父親だった人です」