169,
「ねえ――もしかすると、お節介かも知れないけどさ」
「はい……」
双葉の声は優しい。昔から聞き慣れたその声は――いつだって正解をくれるような気がしてならなかった。
「彼に――あの護衛の彼に、自分の過去についてもっと話してみたら?」
天音は弾かれるように顔を上げる。双葉の黒い目はいつもと何ら変わりなく楽しげに輝いていた。
「天音ちゃん、彼にお母さんたちのことは話したんでしょ? 聞いたらめっちゃ真顔で淡々と答えてくれてさ。正直ちょっと引いたわ」
でも。と双葉は続ける。
「他の人と違って、天音ちゃんの過去を彼はなんの気負いもなく話を聞いてくれると思うよ? ――無駄に同情されたり優しくされたり。天音ちゃんが一番嫌いなことを、きっと彼ならしない」
「……」
――優しい
天音の周りにいる人は、みんな優しい人たちで。きっと天音の痛みや苦しみを、あたかも自分のもののように感じて共有してくれて。それが分かるからなおさら、天音は自分の過去を他の人には話さなかった――話せなかった。
話してしまえば、言葉にしてしまえば、天音自身も聞いてくれた相手もきっと傷つく。
――じゃあなんで、
あのとき、イツキには話したんだろう?
――『事情があって、話すつもりがあるなら聞くが?』
話を聞こうなんて、今まで沢山の人に言われてきた。陳腐な慰めの言葉なんて、もう聞きたくないと耳をふさぐくらいには聞いてきた。
なんでイツキにだけは許せたのだろうかと、ずっと不思議でならなかった。――それに、今気づいたんだ。
「なんか……イツキの性格を、利用してるみたいに……なっちゃわないですか?」
「ふっ……人と人との会話って所詮はそんなもんだよ。特に話していて心地がいい人との会話はね。要は『気が合う』っていうその人の性質を利用してるの」
双葉は開いたままのドアを見る。壁の向こう側でひっそりと消された気配に、心の中で笑った。
――優秀な護衛だこと……
「同情も慰めも欲しくなくて、自分の身の上話で相手を傷つけたくない。――そんな天音ちゃんに、機械の彼はぴったりだと思うけどなぁ」
「……え?」
天音は目を丸くする。双葉は悪戯が成功した子供のように明るく笑った。
「前話したっけ? 人間観察は得意なの。――つっても、アーティファクトが護衛ってどういうことー? って感じだけどね」
アーティファクトって雇えるの? と双葉は肩をすくめる。その様子に天音はたじろいだ。
「……あの、その」
「ああ、いいのいいの。大切な話は、言いたいときに言えばいいんだよ。天音ちゃんのペースでいいんだから。――私は、これからだってずーっと待ってるし」
優しい微笑み。――幼い頃、お母様にとても良く似ていると思ったことがあった。
この笑顔に、いっぱい救われてきた。
「ありがとう、ございます……」
「んふふ。照れちゃうじゃ~ん」
によによと笑う双葉は、笑みを残したまま天音の肩をそっと押す。
「行きな。護衛の彼が待ちぼうけてるよ? ――またのお越しをお待ちしております」
「……行ってきます」
天音は頭を下げると、開け放たれたままのドアから外に出る。
ドアの脇の壁に、イツキが背を預けて立っていた。
「話は終わったのか?」
「待っててくれたんですか……?」
天音の問いに、イツキはうなずくこともなく道に降りると傘を開く。『パンッ』と小気味の良い音が響いた。
「置いていくわけが無いだろう、傘は一本しか無いんだ。……ほら、入れ」
天音の方に傘を掲げて、イツキは首を傾げる。
「……」
どこか優しげな紅い瞳。
――縋りついてしまいたい。何もかもぶちまけてしまいたい。
不意にそんな情動に駆られた。
なかなか動かない天音にしびれを切らしたのか、イツキは彼女の花束を抱えているのとは逆の手を握る。はっと顔を上げると、彼はその手を引いた。
「それで、どこに行くんだ?」
イツキの問いに天音は彼を見上げて――同じ傘の中に一歩踏み出した。