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「――驚きました」
不意に双葉が呟く。イツキが顔をあげると、彼女の黒い双眸と目が合った。
「天音ちゃんは、自分の家族のことを他の人には話さないんです。そりゃあ、巫剣家当主の処刑は当時一大ニュースになりましたから、そのこと自体について知っている人間はまだ多い。でも先代大元帥――五十嵐の手によって、情報は捻じ曲げられて巫剣家、ことさら本家の一家は総じて『悪者』ということになった。……誰も知らないんですよ。政治の水面下で民のことを守り続けていた元老院のことも、彼が愛してやまなかった妻のことも……その一人娘のことも」
双葉の声は静かだ。そして、淡々としていた。
「天音ちゃんはそれを全部知っているから、誰にも自分の過去のことなんて話さない。きっと、いくら彼女に親しい人間だったとしても、あの子から直接両親について話を聞いたことがある人はいないんじゃないかと思います」
「……随分詳しいな」
片眉を上げるイツキに双葉は苦笑する。
「最近はあまり行きませんが、昔は境界線基地によく出入りしていたので。幼い頃、あの子はあそこに住んでたんですよ。――今の人についてはよく知りませんが、花を好む人だったんです。あの子の義父である、先代の修繕師が」
「先代の……?」
イツキが首を傾げる。しかし、双葉が答えようと口を開く前に――
「終わりました……ありがとうございます」
カウンターの奥にある扉が開いて天音が戻ってきた。
「ああ、おかえりなさい。いいのはあった?」
「はい。ちょっと、多すぎちゃったかもなんですけど……」
天音が腕に抱えているのは――大振りな黄色い水仙の束だった。オレンジ色の照明に鮮やかに映える黄色。双葉は目を細める。
「いいよ。いっぱい飾れば華やかでしょ?」
天音が差し出した代金を受け取って、双葉は薄い包装紙で花を包む。
「はい、できた。雨に濡らしちゃわないように気をつけてね」
「……ありがとうございます」
天音は水仙の花束を大切そうに抱きしめて頭を下げる。ちらりとイツキを振り返ると、彼は無言のまま扉を開けて外に出ていった。
「彼、いい人だね」
不意にそんなことを言われて天音は双葉を振り返る。ゆるゆるとした笑顔。天音はほんの僅かにうなずく。
「そう、ですね」
「彼、知らなかったみたいなんだけど……天音ちゃんが『高貴なる人々』の血筋を引いていることを話しちゃった。……もしかしてその、隠してたりとかした?」
困ったような双葉の表情に、天音は少し驚いたように目を見張った後、ふるふると首を横に振った。
「いいえ。別にどうでもいいので。――双葉さん、本当に口が堅いのに珍しいですね」
「いやぁ――天音ちゃんの護衛だって言うから、てっきり知っているものかと思って。まさか“御三家”って名前を出して旧公国の大公家が出てきちゃうとは思わなかった。――いつの時代の話よ」
「……」
イツキが旧公国時代に生きていたアーティファクトだなんて思いもしない双葉はけらけらと笑う。
先代が死んだ後、言い出すタイミングを逃し修繕師であることをずっと隠し続ける形になってしまっているため、ばれなくて良かったと思う気持ちと言い出せないもどかしさがごちゃまぜになって、天音はただ沈黙を守った。
「じ……じゃあ、そろそろ行きますね。雨、まだ止みそうに無いから」
「そうだね……なるべく、早く帰りなよ」
見透かすような双葉の目に、天音は言葉に詰まる。硬い表情で黙ってしまう天音に――双葉はふっと笑った。