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「熱は下がったようだね。ひとまず安心した」
「ありがとうございます。セレイネさん」
天音の額に手を当てて、セレイネは息をつく。ごつごつとタコができて、節くれだった手。天音はペコリと頭を下げた。
「過労から出た熱だったから、言うほど何もしてないがね。熱冷ましを飲ませたくらいさ。――それより、大丈夫だったかい?」
「……何がですか」
セレイネの黒い目はじっと天音を見つめる。天音は目を瞬かせた。
「眠ってる時は、まるで人を寄せ付けないのに……あの“兵器”はなんとも無いのかい?」
「え。……そ、れは」
天音は言葉に詰まった。
意識が無いときに、人がそばにいるのが怖い。何をされるかわからない。そう思ってしまうほど、天音は人を信じることができなかった。人間だろうがアーティファクトだろうが、天音には等しく敵なのだ。
そのはずなのに。
熱に浮かされて、昨晩の記憶は朧げにしか無い。でもその記憶の中にずっと誰かが――イツキがいた。
ぼんやりとした視界の端に、彼はずっとそばにいてくれて。触れられる感覚と声だけが、やたら鮮明にあって。
それなのに、怖いと感じなかったのだ。夢かうつつかもわからない状況の中で、むしろそばにいてくれなければ怖いと感じてしまうほどに、心のどこかで彼を求めていた。
「なんか、平気でした」
「なんかって……適当だね」
セレイネは呆れたように呟いて、息を吐き出す。
そこに、アザレアが戻ってきた。
「お話中でした?」
「いいや。今終わったところだ」
その言葉とともにセレイネが立ち上がる。
そこからは、ふたりに手伝われて着替えて、薬を飲んで。そうやって過ごす間に、セレイネとの会話を天音は忘れていた。
「――じゃあいいね。暫くは安静にすること。あんたの熱はすぐぶり返すんだから」
「わかってます」
治療が全て終わり、帰り際のセレイネにそう釘を刺されて、天音はうなずく。
「ああ、そうですわ。工房の窓の方は、ローレンスが手配して明日には直るそうですわ。さっきイツキに聞いたら、この部屋はまだ使ってもいいって言ってましたから、今晩だけここにいてくださいね」
アザレアもその後について立ち上がりながら、天音に微笑みかける。天音は首肯した。
セレイネは息を吐き出す。
「――あまり無理をしすぎないことだよ、天音。と言っても、聞かないだろうけどねぇ、あんたは」
「善処します」
ムスッとした顔の天音に、セレイネは苦笑するとドアを開けた。
「それじゃあ、お大事にね」
そう言って、後ろ手にひらりと手を振るセレイネとアザレア。ふたりを見送って、天音は顔を伏せると息を吐き出した。
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「――それで、俺はどうすればいい?」
不意に声が聞こえて、天音は顔を上げる。ベッドの脇に、音もなくイツキが佇んでいた。
その表情はいつもどおりに。いや、いつも以上に無表情で、どことなく険しくすら見えた。
「あの、さっきは……呼び捨てにしてしまってすみませんでした。いや、でしたよね」
驚いたのと、先ほど感じたいたたまれなさから、天音は彼から目をそらす。わずかに震える声と、自分に対する例えようのない嫌悪感。どういう表情をしていいのか、わからなかった。
しかし、イツキはそのままベッドの端に腰を下ろす。沈み込むベッドの、スプリングの軋む音。近くなる視線に、天音はたじろいだ。
「あ、の……」
「……嫌なら、呼んでいいとは言わないが」
イツキは落ち着いた声色でそう呟く。天音は驚いたように目を丸くした。
「え」
「呼びたくないならそれでいい。お前の好きにすればいい」
耳に触れる、心地の良い低い声。天音がおずおずと顔をあげると――穏やかな紅い目と目が合った。