130,
――どのくらい経ったのだろうか。
時計が無いため正確な時刻はわからないが、カーテンの外はもう昏い闇の底に沈んでいる。
「……だ。や、だ……っ」
不意に聞こえた掠れ声に、イツキは目を開けると脇のベッドを見つめた。
「――どうした?」
握ったままの小さな手が、更に熱く汗ばんでいることに気づく。サイドチェストの機械ランプが、ぼんやりと辺りを照らす。
――そこに映し出されているのは、苦しげに眉を寄せる天音の表情だった。
「はっ……はぁ、」
はくはくと荒く呼吸をする唇。汗が滲む額。イツキは彼女を覗き込む。
「おい……」
「や、やら……ご、めん、なさい」
泣きそうに震える、舌足らずな声が叫ぶ。
「やめて……やめてっ!」
「落ち着け、どうした……?」
びくりと暴れる彼女の身体を、イツキは咄嗟に押さえつける。細い足が、弱々しく宙を蹴って藻掻いた。
「ごめんな、さい……ごめん、なさ、い――」
白い睫毛の隙間から、じんわりと涙が滲んで頬を伝う。
おそらく、悪夢かなにかを見ているのだろうが――何度も何度も謝りながら、天音はすすり泣いていた。
「も、しないで……やめ――や、ら」
「しっかりしろ、おいっ、」
どれだけ呼びかけて身体を揺すっても、天音が起きる気配はない。
――このままだと、
壊れてしまうのではないか。
そう思ってしまうほどに、天音は酷く錯乱していた。
「やら……やめて、おね、がい」
弱々しい懇願。すすり泣きが大きくなる。
「やら……ころ、さ、ないで……っ!」
「――天音。」
――気がつくと、イツキは彼女の名前を呼んでいた。
途端、天音の身体が震えて、涙で滲んだ蒼色の目が薄く開く。
「う、ぅ」
「天音……」
彼女の目をじっと見つめ、イツキは低い声で呟く。
「俺がわかるか?天音」
「――い、つきさ……」
ぼんやりと潤んだ目が、ようやっと焦点を結ぶ。呂律の回らない小さな声が、イツキの名を呼んだ。
「は、ぁ……。ごめ、なさい」
「――どうして謝る?」
イツキは、汗で額に張り付いた天音の前髪を、人差し指の背でそっと掻き上げる。ビクッっと震えて目を閉じる天音。イツキは彼女の体の上から退いた。
その瞬間、天音が激しく咳き込む。
「み、ず……」
「水、飲むか?」
掠れた弱々しい声に、硝子の水差しからコップに水を移すと、イツキは天音を抱き上げる。差し出されたコップに懸命に手をのばす天音の身体を抱いたまま、イツキはコップに触れる天音の手ごと、包むように支えた。
コクコクと喉を鳴らして水を飲む天音の様子を、イツキはじっと見守る。
「ふ、ぅ」
「怖い夢でも見たのか?」
コップを置いて天音を抱いたまま、イツキは囁く。その腕の中で、天音はぼんやりと力を抜いていた。
「おとうさまも、おかあさまも……みんな、し、死んじゃう、ゆ、め……」
「――そうか」
天音の震え声に、イツキはただそう答える。彼女の身体を布団に横たえて、毛布をかけてやりながらイツキは呟いた。
「そんなモノは、ただの夢だ。さっさと忘れて、寝ろ」
そう言って、イツキは天音の髪を指で梳る。その優しい手付きの心地よさに、天音はうとうとと微睡んだ。
「いつき、さ……ん」
「――息が続かないなら、呼び捨てでいい。大人しくしてろ」
そう言ってイツキは髪を撫で続ける。そんな彼を見つめて、天音はふらふらと手を伸ばした。
「いつき。――て、握って……」
「……」
彼女の要望通り、イツキは差し出された右手をそっと握る。天音はその手を、両手で力の限りに握りしめた。
「いつきのて、つめ、たくて……きもち、い」
「――そうかよ」
視線を逸したイツキの顔は、天音からはよく見えない。しかし天音は、大きなイツキの手に、そっと頬を擦り寄せた。
そのまま眠ってしまった天音を、イツキの紅い目だけが強い“感情”を持って見つめていた。