129,
「あんたがイツキかね」
ドアを閉めた途端かけられた声に、イツキは静かに振り返る。
「――そうだが」
「あんた……この子になにかしたのか」
鷹のように鋭い黒色の瞳。イツキはその視線を受け止めて、首を傾げる。
「修繕師に、俺が?」
「あんたの名前を呼んだんだよ、この子が」
セレイネは天音を顎で指す。イツキも鋭く目を細めた。
「そんなことを言われても知らない。――ここまで運んできたのは俺だが」
「それだけかね。本当に」
探るようなセレイネの目に、イツキはただうなずいた。
暫く、ふたりは黙って見つめ――いや、睨み合う。
すると、
「いつき、さん……?」
不意に天音が掠れた声で呟く。起きたのかとイツキとセレイネは天音を見るが、彼女は眠ったままだった。
「……さっきから、ずっとこんな感じであんたを呼んでるんだよ」
「いや、身に覚えが無い……」
少し近づけとセレイネに目で促され、イツキはベッドに近づく。
その途端
「ん……んう、」
マントの裾を引っ張られる感触に、イツキは振り返る。小さな呻き声とともに、天音の細い手が彼のマントを掴んでいた。
「……はあ? なんで」
イツキは、不機嫌に目を細めてマントを引くが、天音は眉を寄せて更にぎゅっと手を握る。
セレイネはそんなイツキと天音を驚いたように見つめた。
「これは――驚いたね」
「何がだよ」
イツキは困惑したような表情を浮かべる。セレイネは飄々と言った。
「気が変わった。あんた、“兵器”なんだろう? ローレンスには言っておくから、そばにいておやり」
「……はあ?」
思わず大きな声が出たイツキを表情で咎めて、セレイネは言葉を続けた。
「なんの因果があって天音があんたを呼ぶのかは知らないが……そばにいてほしく無くて、わざわざ名前なんて呼ばんだろう。ほら、拒否権なんて無いよ」
「いや、でも」
イツキはセレイネに食ってかかろうとする。が、セレイネは立ち上がって上着を羽織った。
「看ていておやり。アーティファクトなら、病人の看病くらいわかるだろう?」
「いや……」
イツキが困惑に言葉を失っている間に、セレイネはドアを開けて去っていってしまう。
あとに残されたイツキは、マントの裾を握りしめられたまま、呆然と佇んでいた。
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――どうしろっていうんだ
ベッドに横たわる小さな身体に、サイドチェストに置かれた水差しとコップ。イツキはため息をつく。
「離せ。おい」
イツキはマントの端の白い手を掴む。びっくりするほどに熱を帯びたそれは、既に力を失っていてあっけなく外れてしまった。
「……」
イツキの片手で、すっぽりと包み込むことができる手。その手をそっとベッドの上に戻してやると、
「ぅ、」
まるで掴まるものを探しているかのように、その手はふらふらとベッドの上を彷徨う。力なく宙を掻くその指を暫く眺めた後、イツキはまたため息をついた。
「――ああー、もう。わかったって」
呆れたように呟いて、ベッドの脇に腰を下ろす。両手の革手袋を外すと、頼りなく揺れる小さな手を、イツキはそっと握った。
「……?」
イツキの手の冷たさに気づいたのか、天音は薄く目を開く。蕩けた蒼色が、じっとイツキを見つめた。
「目を開けるな。寝ろ」
軽く睨みつけて、イツキは彼女からふいっと視線をそらす。天音はぼんやりと、イツキと彼の手を交互に見比べていたが――やがて、力尽きたように再び目を閉じてしまう。
イツキは、そんな天音の寝顔を黙ったまま暫く見つめる。彼女の手の甲を、親指でそっと撫でると、顔を伏せて目を閉じた。