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「二日前の襲撃の時、マザーの警報が鳴らなかったのは知ってる?」
ゴトゴトとくぐもった音を立てながら、昇降機は下へ下へと降りていく。的場の問いに、天音はうなずいた。
「あの時は、ローレンスさんからの無線連絡で気づいたので。――なにかあったんですか?」
昇降機が止まり、わずかに軋みながら扉が開く。目の前には、長く薄暗い廊下が延々と続いていた。等間隔に並ぶ、蝋燭の灯りが揺れる。
「うん。マザーが敵を感知できなかったみたいなんだ。――女史に連絡しようと思ってたんだけど、先に来てくれたからその手間が省けたよ」
「……索敵能力の故障ですか?」
天音の問いに、的場は肩をすくめる。
「僕にはさっぱり。そのへんは、女史のほうが詳しいでしょ?」
それだけ言って、的場は不意に足を止めた。
目の前に広がるのは、境界線基地のロビーがひとつふたつは軽く入るであろう巨大な空間だった。位置としてはポリティクス・ツリーの地下。やはり廊下と同じように仄暗い蝋燭の灯りに照らされている。
――その中央に唯一、強く明るい光を放つものがあった。
「マザー……巫剣女史が来ましたよ」
的場はやわらかな声色で、その光に向かって声をかける。
光を放っているのは――広間の空間目いっぱいに枝を伸ばす、純白の大木だった。きらきらとした白い光を纏って、自由奔放に伸びる枝と根。その先の方は、どれだけ目を凝らしても暗がりに吸い込まれてしまっていて、見ることができない。
その根源となっている太い幹のあたりに、小さな人影が見えた。
「――あまね?」
的場の言葉に呼応するように、舌足らずな高い声が聞こえる。小さな声のはずなのに、その声は軽やかに広間に響いた。
的場は天音を振り返ると、軽くうなずく。天音も静かにうなずき返すと、声の主に歩み寄った。
「久しぶり。マザー」
天音の声に、真っ白な睫毛が震え、開く。中から現れた虹彩も、美しい白。淡い色の唇が弧を描く。
目の前にいるのは、髪も肌も、着ているものすらも白色に染めあげられた幼い少女だった。
天音の背丈の半分にも満たないであろう、華奢で小さな身体。その下半身は、真っ白な大木の幹に取り込まれてしまっている。
「あまねだぁ。来てくれたのね」
その少女――マザーはそう言って微笑むと、ほっそりと白い両腕を天音に差し出す。天音は大木の根に乗って背伸びをすると、マザーを抱きしめた。
「うふふ……あまねは、温かいねぇ。ちゃんと健康にしているみたいで、安心したわぁ」
回した手で、天音の背中をポンポンと軽くたたいて、マザーは笑う。
「私の心配をしている場合なの?索敵が効かなかったんでしょ?」
天音は身体を離すと、上目遣いにマザーをうかがう。マザーは純白の瞳を細めた。
「次のメンテナンスまで持つと思っていたのだけど……『眼』の調子が悪いのよぉ。――あんな雑魚共に、《万物の眼差し》が効かなかったなんて。みんなに迷惑をかけたわね」
困ったように頬に手を当てるマザーに、天音はため息をつく。
「メンテナンスなんて待たなくても、いつでも呼んでくれればいいのに」
「あら、そうはいかないわぁ。あまねは妾だけのモノでは無いもの。可愛らしい、“首都”の子どもたちを守るのが、あまねの役目だもの」
天音は眉を寄せる。何かを言いかけて、すぐに口を閉ざした。そんな天音の頬に、マザーは優しく触れる。
天音はそっと顔を上げた。
「いくらマザーでも、無理は駄目なのに……」
「ふふ……多少の無理もまた、妾の役目よ。――妾は、この土地の“管理者”であるから」
そう言って、マザーは頬の手を静かにずらすと、天音の頭をそっと撫でた。