106,
「……っふ、」
――流石に、きついかな……
天音は人知れず息をつく。額にじっとりと汗が滲んだ。
『グァ……』
異形は、動きを止めたままうめき声を上げる。天音には段々と“精霊の加護”の発動によって体力が削られていくのがわかる。
「……先生」
それでも、すらりと背筋を伸ばして異形のアーティファクトに立ち向かう天音を、ローレンスは呆然と見つめる。
すると――
『トン』
「っ!?」
突然、軽やかな足音とともに、天音の視界を黒いマントが覆う。思わず異形から視線を外し見上げると――傾いた見張り台の鉄柵の上に、イツキがしゃがんでこちらを見下ろしていた。
「イツキ!?」
ローレンスが驚愕の声を上げる。イツキは彼を見返した。
「今すぐベースの中に避難しろ。ローレンス」
「……は?なんで」
イツキの言葉にローレンスは怪訝そうな顔をする。しかし、イツキは有無を言わせない声色で続ける。
「逃げなきゃ死ぬからだ。――地上で戦ってたやつらは、全員もう退避している」
天音はちらりと地上を見下ろす。イツキの言葉通り、そこには敵以外の人影は無く、敵影はすべて天音の力によってぴくりとも動かなかった。
紅い瞳が真剣な光をたたえてローレンスを見つめる。そんなイツキに気圧されて、ローレンスはうなずき天音を見る。
「っ……、わかった。じゃあ、先生も一緒に……」
「修繕師は置いてけ」
しかし、イツキは鉄柵から飛び降りてそう言う。
「はあ!?」
ローレンスはイツキを睨みつけた。
「危険なんだろ?なら尚更先生を退避させないと、」
「こいつにはここで敵を止めておいてもらわないといけないから。――別に危害が及ぶようなことはしない」
早く行け。
イツキはローレンスを促す。ローレンスは困惑したようにイツキと天音を見比べていたが、やがてふたりに背を向けた。
「先生に何かあったら……ただじゃおかない」
「わかってる」
ベース内の階段を駆け下りていく音が遠くなる。イツキは天音の隣に並んだ。
「――というわけだ。このデカブツをできるだけ長く引き止めておいてくれ」
「一体、何をするつもりですか?」
天音は、ちらりとイツキを横目で見上げる。彼もまた、天音を横目で見ていた。
「お前が止めている間に、強引にプロテクションで灰にする。それだけ」
「それだけって……」
天音は困惑したようにため息をつく。イツキはふっと口の端を吊り上げた。
「じゃあ、任せた」
それだけ言うと、イツキは異形に向かって飛び上がる。
彼の手が異形に触れた、その瞬間
『ヤメロ!ヤメロッ……グアァァァ』
凄まじい悲鳴が頭に直に響く。
「っ!?」
抑えつけを振りほどこうと藻掻くような衝撃。
天音はプロテクションによる拘束が緩むのを感じて、慌てて力を上乗せする。
「っは……ま、ずい」
体力を吸い取られる感覚に、意識がぼやける。ガクッと膝から力が抜けそうになるのをこらえて、必死に意識をつなぎとめる。
『グギャアァァァァァァッ!アアアアアアアアアアアアアッ!』
「っ……うるせぇっ!」
――激しく消耗しているのは、イツキもまた同じだった。
押し返されるような、死への激しい恐怖と反発。イツキはぐっと手のひらを押し付ける。
――コワイ
――タスケテ
――死ニタクナイ
感情に似た電気信号。手にとるようにわかる叫び声に――イツキは、思わずそっと目を閉じた。




