105,
「――止まりなさい」
外套の裾と、長い白銀の髪がひらりと翻る。異形はそんな彼女を見た。
『“ギフト”……“ギフト”ッ……』
「煩い」
天音はそう言うと、ゆっくりと右手を上げる。
「いい加減にしろ。ここはお前が好きにしていい場所じゃない」
低く鋭い、天音の声が響き渡る。ローレンスが呆然と見つめるが、彼女はそれにすら気づくこともなく、白く細い指で異形をひたりと指差す。
天音は、すうっと息を吸い込んだ。
『私と、私の大切なものに仇なす者。これは“命令”だ。……今すぐその動きを止めろ!』
膨大な圧力を秘めた叫び。力強く見開かれた大きな蒼色の瞳。弾けるように空気が揺れ動く。
その瞬間……異形はピタリと動きを止めた。
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「……止まった?」
アキラが上を見上げて呟く。その声に、珍しく息を切らしたイツキはのろのろと顔を上げた。
見れば異形だけでなく、敵のアーティファクトたちまでもがその動きを止めている。
「あれは……」
イツキは視線を彷徨わせて――異形の目の前、傾いた見張り台の上に小さな人影を見つける。
――修繕師……
あんなに小さな姿なのに、揺れる白銀の髪も、強い光をたたえた蒼色の目もはっきりと見える。
“同調”とでも言うのだろうか。彼女が“精霊の加護”を使っているのが、空気を通して伝わってきた。
「あいつが動きを止めている……」
「先生!?」
アキラは目を丸くする。他の“兵器”たちも天音に気づいたのか、驚きの声をあげている。
彼女の姿を見つめていたイツキは、ふらりと一歩前に踏み出した。
「――ゲンジ、」
「イツキ……?」
アキラの横を通り過ぎて、イツキは前に立っているゲンジに声をかける。初めてイツキの口から自らの名前を聞いたゲンジは、目を見張りながらも返事をする。
「どうした」
「――『遺物境界線』の外側にいる“兵器”を、全員ボーダーの内側に退避させてくれ」
イツキはゲンジを見上げる。
「いいが……どうするつもりなんだ、お前」
怪訝な表情を浮かべるゲンジ。イツキは異形を見上げる。
「動きが止まってるのが相手なら、“精霊の加護”でゴリ押せるから……俺がアレを殺る」
「待てイツキ」
しかし、イツキを止めたのはアキラだった。イツキは彼をちらりと見やる。
「他のやつらを退避ってお前……まさか《暴走》するまでプロテクションを使うつもりなのか?」
アキラの表情は険しい。
「――《暴走》?」
ゲンジも不穏な言葉の響きに、眉を寄せた。しかし、イツキは表情を変えない。
「だったらなんだ。今はそんなことにかまってる暇は無いだろう……?」
「そんなことってなんだよ!?あれで苦しむのはお前だろ?」
アキラは声を荒らげる。周りの“兵器”たちも緊張感の漂う空気に、口をつぐむことしかできない。
しかし――
「……そんなこと、だ。早く退避してくれ。……俺が仲間を殺す前に」
「っ……」
アキラを振り返ったイツキは――うっすらと微笑んでいた。ほんの僅かに弧を描く薄い唇を見て、アキラはぐっと歯を食いしばる。
「将軍……マジで、全員ボーダーまで逃げたほうがいい」
「アキラ……」
苦しげに表情を歪めながらもそう言うアキラを、ゲンジは驚いたように見つめる。しかし、すぐに周りの“兵器”たちを見回した。
「全員後退!怪我人も一人残らずボーダー内まで退避しろっ」
“兵器”たちが動き始めたのを確認して、ゲンジはイツキを見下ろす。
「これでいいか?」
「ああ。後は任せろ」
それだけ言うと、イツキは異形に向かって歩いていく。
「……バカ野郎」
――その後ろ姿を見送って、アキラはぐっと唇を噛むと、他の“兵器”たちとともに戦場を後にした。