アフターストーリー② ウーユゥとクーデル
ーーー結婚から、十数年後。
「到着致しました。足元に気をつけて降りるのですよ」
大街道から少し外れた場所にあるペフェルティ領北部の別荘地に到着し、先に降り立ったアレリラは、馬車の中に向かって声を掛けた。
「はぁ~い、おかーしゃま……」
と、眠たげな声が答えるが、顔を覗かせない。
彼女は、もう8歳だというのに舌足らずな喋り方が抜けない娘、ウーユゥである。
馬車の中で眠るのはともかく、寝起きが悪いのは少々問題だとアレリラは思っている。
顔を覗かせ、しょぼしょぼとまばたきをしたウーユゥは、顔立ちこそアレリラに似ているけれど、イースティリア様より明るい空色の瞳と白髪に近い銀髪を備えていた。
まるでお人形のよう、と言われるけれど、その中身はと言えば。
「ウーユゥ。目を擦るのは、良いことではありません」
「あ、はぁ~い……」
いつまでも幼子のようで、アレリラは最近、少しそのことに悩んでいた。
素直な気質のウーユゥはすぐに手を下ろしたものの、今度はアクビをする。
「アクビをしてはいけません。馬車を出たら、いつ何時でも『誰かに見られている』という意識を持つのです」
実際、宰相と筆頭秘書官、かつ侯爵家の一人娘として護衛は四六時中ついているので、誰かに見られているのは例え話ではない。
「そのような顔を、クーデル様に見られても宜しいのですか?」
「そ、それはいけましぇんわぁ~」
慌てていても、あまり慌てているように見えないおっとりとした娘は、ふるふると軽く頭を振って、目を覚ましたようだった。
常にとろんとした目をしているので、あまり変化は分からないけれど。
「では、手をどうぞ」
アレリラが馬車に向けて掌を差し出すと、ウーユゥは手を取って、ぴょん、と飛び降りる。
「危ないですよ」
「気をつけましゅわぁ~。それよりも、クーデル様はどこでしゅの~?」
「待ちなさい。走ってはなりませんし、そもそもアーハ様へのご挨拶が……ウーユゥ!」
話を聞いていないのか、本人は軽いつもりの足取りで、とてとてと走って行こうとしている。
アレリラはため息を吐いて、横に目を向けた。
「……ナナシャ」
「ええ、お嬢様を捕まえて参りますね」
表情を引き締めているものの、笑いを堪えるような気配を見せた彼女は、今は近衛から引き抜いてウェグムンド侯爵家で、アレリラ直属の護衛として雇い入れていた。
そのナナシャが、ウーユゥを追いかけようとすると。
「アレリラちゃ~ん! 待ってたわよぉ~!」
と、丁度アーハ様が玄関から姿を見せる。
「申し訳ありません、ウーユゥがご挨拶もせずに庭に行ってしまいまして」
「別に良いわよぉ~。ワタシたちが庭に行きましょぉ~♪ クーデルもいるしぃ〜」
その言葉を聞いて、アレリラは一度足を止めたナナシャに頷きかける。
「先に」
「は!」
彼女が素早く歩いていくのを追いかけるように、アーハ様と共に歩き出した。
「アーハ様におかれましては、お元気そうで何よりですね」
「アレリラちゃんもねぇ~。いつまでも若いわねぇ~」
「容姿の話でしたら、アーハ様もさほど変わりはないかと」
『痩せるアメ』の成果か、一時期よりほっそりしたアーハが、相変わらず歯を見せる満面の笑みを浮かべる。
それを見て、はしたない、という感情よりも、今日も元気そうで嬉しくなる程度には、アレリラも丸くなっていた。
「ウーユゥは、いつまでも礼儀を覚えぬ娘で困ったものです」
「あらぁ~、そんなことないわよぉ~。まだ八歳でしょぉ~? これからよぉ〜!」
「もう八歳の間違いでは?」
相変わらず、こうした点は意見が合わないけれど。
「そういえば、ペフェルティ伯爵は?」
「うちの領でお仕事中よぉ〜」
そう言うアーハは、へにょん、と眉をハの字に曲げる。
「【魔銀】をウェグムンド侯爵に丸投げしたのに、『痩せるアメ』のせいで結局忙しくなっちゃったでしょぉ〜? とうとうプッツン来ちゃったみたいでぇ〜」
「……ペフェルティ伯爵が?」
アレリラは少々驚いた。
怒ったところを見たことがない彼がそうなる、というのなら、よほど忙しいのだろう。
「『オッポー達に全部やる! もうヤダ!』って聞かなくてぇ〜。その手続きをしてるのよぉ〜」
「結局丸投げですか」
ボンボリーノらしいと言えば、らしいけれど。
「お互い、主人が居らず残念ですね」
「ホントよぉ〜!」
今回の旅行は、夏の避暑を目的としていた。
今年は別荘で過ごすというアーハに誘われて、アレリラもこの地に赴いたのだけれど、イースティリア様は直前に入った急な職務で抜けることが出来ず、ウーユゥとの二人旅である。
―――あの子の見聞を広げる上で、様々な場所に赴くのは大変意義のあることです。
昔、あまり領地や帝都を出なかった自分を鑑みて、アレリラはそう思っていた。
しかし結局、基本的に誘いがなければ重い腰を上げないので、人の性質はそうそう変わらない。
そして出掛けても結局、肝心のウーユゥの見聞が広がっているかは微妙なところだった。
庭に赴くと、先に行ったナナシャの姿が最初に見え、ウーユゥが木陰にちょこんと座っている。
その横では、金髪に黒縁メガネを掛けた少年が、本を開いて文字に目を走らせていた。
ボンボリーノとアーハの長男、クーデルである。
「いやーん! やっぱり今日もウーユゥちゃんは可愛いわねぇ~!」
最初の子どもが出来るまでの間こそ長かったものの、それから立て続けに男子を三人産んだアーハは、女子であるウーユゥにデレデレなのである。
「やっぱり女の子も可愛いわぁ〜♡ もう一人くらい頑張ろうかしらぁ〜♪」
「お体に障らないようにだけ、お気をつけ下さい」
結局ウーユゥしか産まれなかったアレリラは、少々後継ぎ問題が悩ましいところだった。
女侯でも構わない、とイースティリア様は仰るけれど、生来おっとりしたウーユゥに務まるのかがまだ読み切れないのである。
それに、もう一つの懸念は目の前の光景。
「クーデルしゃまぁ〜♡ 今日のご本は何でしゅかぁ〜?♡」
「ダエラール伯著、『鉱山運営』」
「おじしゃまのご本でしゅわねぇ〜♡ 難ししょうでしゅわぁ〜♡」
「難しくない。ダエラール伯の言葉選びと情報は分かりやすい」
「そうなんでしゅの〜?♡ クーデルしゃまが楽しいなら、ウーユゥも楽しくなってしまいましゅわぁ〜♡」
「ん」
ウーユゥが間延びした口調で話しかけるのに、クーデルが端的な言葉を返す。
―――まるで、昔のわたくしとペフェルティ伯爵のようです。
ボンボリーノも、アレリラが本を読んでいると近づいてきて、色々と話しかけて来たものだ。
違う点と言えば、お互いに恋愛感情を抱いていなかった自分たちと違い、ウーユゥは、物心ついた頃からクーデルにべったりだというところだろう。
そして彼も、娘のことを憎からず思っているのが態度から分かる。
ツンとした態度を取っているのに、耳が赤くなるくらいウーユゥを意識しており、律儀に会話に付き合っているのだから。
その証拠に、先ほどから本をめくる手が進んでいない。
と言ってもクーデルは聡い少年であり、読んでいること自体はポーズではないのだ。
「相変わらず勉強熱心なようで、感心致します」
「ねぇ〜。誰に似たのかしらぁ〜?」
「ペフェルティ家の、伯爵以外の方々ではないでしょうか。むしろ、ウーユゥの方が誰に似たのやらと悩ましいところです」
「そぉねぇ〜……アレリラちゃんのお父様やお母様、お祖母様とかじゃないかしらぁ〜?」
「あり得る線ですね」
父も、幼い頃はこういう性格をしていたのかもしれない。
母もどちらかと言えばおっとりとしたタイプである。
よく考えたら、ダエラール子爵家ではアレリラの方が、ペフェルティ伯爵家ではボンボリーノの方が異質なのである。
ペフェルティ伯爵家の方々は、基本的に皆勤勉で真面目なのだ。
イースティリア様との出会いから知った一連の出来事を加味するに、ボンボリーノの方が彼らの多くよりも本質的に賢い、というのは間違いないけれど、それで他の方々の美徳が損なわれるわけでも、ボンボリーノの適当な部分が帳消しになる訳でもない。
そんなことを考えつつ、アレリラは再び、幼い二人に目を向ける。
「……クーデル様は、良いお子です。個人的には、ご長男でなければ良かったのですけれど」
ウーユゥは全身で『クーデル好き好き』と主張しており、オーラが桃色になって立ち昇っているかのように錯覚する程だ。
しかしクーデルは優秀なので、ペフェルティ伯爵家の嫡子としての地位は揺るがないだろう。
となると、ウェグムンド侯爵家を継がなければならないウーユゥと、連れ添うには不適なのだ。
そうでなければ、今すぐに許嫁としても良いくらいだったので……アレリラは、アーハに一つ相談をした。
「……ウェグムンドで養子を取ろうかと思うのですけれど、どう思われますか?」
彼女は、こちらの問いかけにキョトンとした。
「え〜? どうしてぇ〜!?」
「ウーユゥに女侯が務まるか、心配であるのが一点。クーデル様がペフェルティ伯爵家の嫡男であるというのが一点です。……あの子は、伯爵夫人としてクーデル様に嫁ぐ方が、幸せなのではないでしょうか」
それなら、今のうちに優秀な養子を親戚から取り、侯爵家の家督を譲る教育を施した方がいい。
けれどアーハはそれに対して首を傾げ、とんでもないことを言い出した。
「それなら別に、クーデルを侯爵家に婿入りさせれば良いんじゃないのぉ〜?」
「……え? ですが、クーデル様は嫡男で」
「ボンボリーノはぁ〜『次の伯爵は、次男のサルホーの方が良いんじゃないかな〜?』って言ってたしぃ〜。アレリラちゃんがクーデルを貰ってくれるなら、その通りになるじゃな〜い!」
「いえ、ですが……そんなに軽くて良いのですか?」
「だってぇ〜、ボンボリーノのそういう大事なお話って、間違わないじゃないのぉ〜!」
「ええ、確かに、そうですが」
「それに今どき、長男が家を継がなきゃって考え方自体が古いわよぉ〜!」
アレリラは、最後の一言にハッとした。
そう、それもいわゆる『常識』の一つなのだ。
全ての権利が先に生まれた者や、たった一人の領主に集中する時代を終わらせるために、イースティリア様は様々な法を改正しているのである。
「なるほど。……なるほど」
全てが丸く収まるという意味なら、アーハの提案の方が余程良い。
ウーユゥを女侯とした婿養子であろうと、彼自身に家督を継がせるのであろうと、アレリラとしては、クーデルであれば申し分ないのだ。
「相変わらず、わたくしは頭が固いようです」
「そうねぇ〜。でも、そういう真面目さがアレリラちゃんの良いところでもあるわよぉ〜!」
笑いながらアーハに背中を叩かれて、アレリラは微笑んだ。
「そうでしょうか。アーハ様にそう思って貰えているのであれば、嬉しいです」
―――この歳になっても、学ぶことばかりですね。
帰ったら、イースティリア様にその件を改めて相談してみよう。
そう思いながら、アレリラはウーユゥの嬉しそうな横顔を見て、目を細めた。
うちの娘は、不出来な部分があろうとも、今日もとても可愛い。
そう思いながら。




