エンディング① とある事務官の個人的な記録。
【査察とその後の進展に関する記録 アレリラ・ウェグムンド】
隣国での交渉を滞りなく終えての、帰還後。
帝都近辺の上下水道及び土壌改良計画は、後から見れば順調に進行したと言える。
水質改善の魔導陣式浄化機構を使った水道整備は、元老院で一悶着あったものの異例の速度で予算が組まれ、施工が開始。
帝都周辺に集中した大規模な整備と平行して、ぺフェルティ領と北国バーランドの技術者を召集。
帝都に隣接したウェグムンド領北部でも、私財を投じて同様の工事を実行した。
また、国際魔導研究機構及びアトランテの魔獣研究学者と共同で、瘴気の発生条件と発生域の調査を行い、龍脈の活性や魔物の強大化との関連性を確認。
その際に『探索者』と呼ばれる、規定の住所を持たず、各地で魔物退治や貴重品調達を生業として生活していた民間の人材を大量に投入した。
彼らを十分な報酬で雇い入れた結果、副次的効果として治安の向上を確認。
またイースティリア様の予測通り、ペフェルティ銀山とウェグムンド金山で【魔銀】が採掘された。
これに伴い、ロンダリィズ鉱山と合わせて帝国の【魔銀】の産出量が増加したことで、軍備増強が飛躍的に進展。
ロンダリィズ領との提携でゴーレム量産計画が推進され、イースティリア様は強大化した魔物の発生域の中でも、人類未踏破域に積極的にこれらを配備した。
兵站を求めない戦力ではあるものの、整備を必要とする為そちらの金額が増大する懸念から、一部反対があったものの、イースティリア様は強行した。
さらに整備よりも量産を重要視し、『使い捨て』を前提とした運用を行なった結果、辺境域の魔物被害が目に見えて低下した。
後年、稼働停止したゴーレムの回収作業が事業化したことは別の話である。
土壌改良計画については当初、浄化装置の改変を主体とする予定だったが、こちらの開発は難航。
しかしウルムン子爵が、エティッチ様と共同研究を行い、エリュシータ草の高純度微細結晶化に成功した。
これを大地に撒くと、作物の生育を補助するのみならず、瘴気の発生が抑制されることが実験により証明され、陛下の認可の元、イースティリア様が即座に土壌改良計画に投入。
【魔銀】の各国輸出によって確保した利益を投入し、結晶を精製する為の工場を設立。
微細結晶を撒く人員の確保は、大街道計画の整地に伴って周辺地域へ散布することで対応した。
後に、これが【復活の雫】と呼ばれるものと学会に認められ、ウルムン子爵は二つの薬を開発した功績を認められ、伯爵に陞爵された。
全ての計画の要である【災厄】対策は順調かと思われたが、そのさらに半年後に、大公国にて突発的に高濃度の瘴気が発生。
帝都において何かしらの大地に眠るモノが反応し、帝都周辺のみならず、帝国全土で瘴気濃度が一気に増大した。
その後、局地的に【災厄】の発生が確認。
事前準備で、ある程度抑制されていた瘴気による土壌汚染と魔物の強大化が、瘴気増大によって大幅に進行。
が、仮称【魔王】は出現せず、魔人王と魔王獣のみ出現記録が報告された。
聖剣の複製と【魔銀】装備を配給された帝国軍及び、隣国より派兵された〝光の騎士〟と〝桃色の髪と銀の瞳の乙女〟がこれに対応。
魔人王、魔王獣共に討伐されたものの、再活性した魔物の強大化により、各地で作物収穫等に被害が拡大するかに思われた。
しかし火急の事態に伴い、属国区にある聖教会総本山にて『神爵』が現出。
後に調査したところ『神爵』現出に際して起こった『帝都発光現象と光の粒子散布域拡大』は【復活の雫】及び浄化装置が現出に呼応した現象であり、それによって帝国全土を襲った瘴気の増大も再び沈静化したことが後に分かった。
結果的に【災厄】被害は最小限に抑えられ、計画は成功したと発表された。
※※※
過去の記録をしていた筆を置き、アレリラは小さく息を吐く。
―――イース様は、結局【災厄】が起こってしまったことを気に病んでおられたけれど。
あの方の早急な事前対処がなければ、仮称【魔王】の現出が起こった可能性も、『神爵』の出現の際に量産された浄化装置が呼応せず、被害が現在よりも大きかった可能性もあった。
なのでアレリラは『十分な成果を上げておられます』とお伝えしておいた。
記録を綴っていた日記帳をパタンと閉じて、手配していた馬車へと向かう。
そのまま宮廷の宰相執務室に赴くと、姿勢良く執務机に向かっているイースティリア様へ近づき。
いつものように、直立不動の姿勢でお腹に両手を添え、アレリラは声を掛ける。
「宰相閣下、お話があります」
「聞こう」
手を止めたイースティリア様に、アレリラは少し緊張しながら口を開いた。
「懐妊致しました」
ここ最近微熱が続いており、休んで医師にかかるよう通達されていたアレリラは、診察を受けた結果を報告した。
三人の秘書官と、アレリラの休暇に伴い出勤してくれていたミッフィーユ様がざわめく。
「そうか」
「はい」
「本日は自宅にて療養するよう、と伝えておいた筈だが」
「職務の割り振りに支障が出る前に、早急にご報告すべきと判断致しました」
イースティリア様の問いかけに、アレリラはいつも通りに答える。
もちろん、もう2年近く経っているので自分がいなくとも十分に仕事は回るようになっていた。
イースティリア様の行動速度や職務量に秘書官達がついていけない部分についても、筆頭秘書官補佐の任に就いたニードルセン氏が全体を見て優先順位の指示を出し、カバーしていた。
またヌンダー氏が身体強化魔術の練度を上げることに成功した為、作業量についてもある程度対応可能となり、ノークがその二人の手の届かない部分の補助を黙々と行うことで、ある程度上手く回っている。
ミッフィーユ様は特に、頭の回転が早くイースティリア様との付き合いが長いこともあって、誰の代役もある程度出来るくらいに成長していた。
「アレリラ様――――――!! おめでとうございます――――――!!」
そのミッフィーユ様が、きゃー! と歓声を上げてもう一人の女性秘書官ノークと手を握り合い、ぴょんぴょんと跳ねた後、ツカツカとイースティリア様に詰め寄る。
「ちょっとお兄様!? アレリラ様がおめでたですのに、何でそんないつも通りの鉄仮面なんですの!? 少しは喜んでも良いのではなくて!?」
「職務中、及び公式な場では宰相閣下、もしくはウェグムンド侯爵と呼べと言ったのは、これで通算320回目だ」
「どうでも良いですわ! これから子を育むアレリラ様に、感謝の言葉の一つも述べられては!?」
「それは、その通りだな」
書類から目を上げたイースティリア様は、小さく頷いた。
「ありがとう、アル。私の子を宿してくれたこと、心から嬉しく思う」
「職務中では?」
少し冗談まじりにアレリラが微笑んで首を傾げると、イースティリア様も小さく笑みを浮かべられた。
「君は休暇中だろう。つまり今は、筆頭秘書官ではなく私の妻だ」
「仰る通りですね」
そう答えると、イースティリア様は頷いてから再び表情を消し、手元の書類に目を落としながら言葉を重ねる。
「では、君の休暇に関する申請を行おう。こちらで手配しておく。君は今すぐに屋敷に戻って休むように。道中も細心の注意を払うことだ。必要なもののリストに関しては、侍女に作成させ、君自身は行わないよう」
「閣下」
「それと、出産までに助けとなる侍女の増員も必要だな。ケイティとオルムロに指示を出しておこう。ああ、妊娠中は食事に気を付けなければならないとも聞く。詳しくないので、後ほど資料を読んでおこう」
「イースティリア様」
「申し訳ないが、母上にはある程度侯爵夫人の仕事を代行して貰えるか打診するよう手紙を出す。心細ければ、ご母堂であるダエラール夫人を屋敷にお呼びしても良い。判断はアルに任せる」
「イース」
ついに愛称で呼ぶと、ようやくイースティリア様は再度手を止めてこちらを見た。
「どうした」
「落ち着かれませ。今は職務中であり、休暇の申請以外は私事です。お暇は致しますが、どうか職務に戻られますよう」
「……確かに、そうだな」
「お、落ち着いてなかったの……? いつも通りに見えたのに……」
イースティリア様がまばたきするのに、ミッフィーユ様が呻いた。
なので、アレリラは一つ頷きかける。
「お伝えした時から、大変浮かれておいでです。職務中に職務を忘れる程度には」
「嘘でしょ……!? ていうか、何で分かるんですの!?」
「夫婦ですから」
何故か愕然とするミッフィーユ様に、そう答えて。
「では、失礼致します」
と、アレリラがイースティリア様に背を向けると、後ろからお声が掛かった
「アルはそう言うが、言いつけを破り、体調不良を押して報告にきた時点で、君もかなり浮かれているだろう」
「そんなことはございません」
否定しつつも、図星を刺されて耳が熱くなったので、そそくさとその場を後にした。
後日、アレリラが子どもの生活の世話と教育を専属に行う侍女として選定したのは、2名。
一人は以前、懐妊して体調を悪くした下働き。
よく働くこと、第二子をお腹に宿していたことから、侯爵家での子どもの高等教育と引き換えに、乳母としての仕事も頼んだ。
庭師である伴侶と共に元々侯爵邸に住み込んでいたので、彼女は快諾してくれた。
もう一人は、以前、アレリラに対して使用人と軽々しく言葉を交わすことに苦言を呈してきた侍女。
一通り下働きの仕事を経験させてから侍女に戻していた彼女については、元々貴族子女で教養がある為、主に教育面を担当して貰うことにした。
侍女に戻った後は、気持ちを入れ替えたようで帝国施策について勉強していた、という報告を、ケイティ侍女長より聞き及んでいたのだ。
ウェグムンド侯爵家の『出自を加味しない実力主義』が帝国全体の潮流であると誰よりも理解している、と判断してのことだった。
―――より良く、です。
不満の出ない采配など、基本的にはあり得ないことを、アレリラはもう知っている。
そして不満が出ようとも、未来がより良くなるように、数多くの前例を作ることの大切さも。
常識ではあり得ない、下働きを乳母にすることも。
一度失敗した者が反省した時、その後の功績で許すことも。
間違った常識であれば、従う必要などないのだと……打ち崩して良いのだと、理解出来るようになったのは。
「アル」
「お帰りなさいませ、イース」
誰よりもアレリラを認めてくれる、愛おしい目の前の旦那様と、出会えたから。




