精神操作の魔薬に関する話も、関わってくるようです。
そうしてようやく、アレリラ達は内海を越えて渡航しようとしていた。
これから向かうライオネル王国は『武の国』として知られている。
内海を含む周辺国がある地域を『中央大陸』と呼び、その中にある一国である。
北部が内海に面する南方国。
中央大陸では、属国を含むアレリラ達が属するバルザム帝国が最も広大な国土を持つけれど、兵力の面において、中央大陸で生き残っている北国、大公国、ライオネル王国は質の高い軍隊を有している。
地の利はあれど、そうでなければ過去の帝国の大陸征服を乗り切ることは出来なかったからだ。
その中でも、各国の中で国土としては最も狭いライオネルが特に『武の国』とされるのは、その立地にあった。
まず、内海を挟んだ先には、帝国以外にも大公国北部の〝水〟の領地が存在している。
これに対抗する為には精強な海軍が必要だった。
その上で、大公国南部〝風〟の領地とも、国土の一部が隣接していて、こちらに対抗するには陸軍も必要である。
故にライオネルの中でも北部辺境伯軍は海での戦いに、南部辺境伯は陸での戦いに特に優れているのだ。
さらに、帝国と地続きとなるライオネル王国の西部方向を囲うように『魔獣の大樹海』と呼ばれる、強大な魔獣の生息する前人未到の地域が広がっている。
【災厄】が起こった場合に最も被害に合う可能性が高いのが、バルザム南西部と、国土の西辺がこの大樹海に隣接するライオネルなのである。
そのように【災厄】が起こらずとも日常から魔獣の脅威に晒されていることに加え……ライオネルの存在する地域は一度、王朝が変わっている。
『前王国』と呼ばれた数代前の〝光の騎士〟が興した王国と、当時南部辺境伯であったライオネルの間には、かつて諍いが起こった。
真相は不明とされてるけれど、前王国の全盛期に王家を差し置いて〝光の騎士〟を輩出したライオネル辺境伯に、当時の王室が脅威を感じた、あるいは王家の血統が女神に見捨てられたと焦った、等の説がある。
そして、おそらくは人質として、ライオネル辺境伯家の令嬢を側妃に召し上げたのだという。
だが、前王国の王室は、娶った癒しの力を持つ側妃を蔑ろに扱った上に、疫病が起こった際に酷使したことから、当時のライオネルが激怒。
疫病でガタガタの王都に、一気に攻め込んだと言われている。
その際、ライオネル辺境伯と懇意にしており、疫病への対応を見て『玉座を預ける資格なし』と判断したオルミラージュ侯爵家もこれに呼応し、結果、王朝が変わった。
そうした経緯と『至高の瞳』に数えられる〝攻撃の金瞳〟〝癒しの銀瞳〟の両方を王室血統に受け継いでいることから、ライオネル王国は『武の国』と呼ばれているのだ。
余談だが、他の『至高の瞳』は強大な魔力の持ち主の証である〝紫瞳〟、バルザムの〝真紅の瞳〟、そして南西の大島にあるアトランテ王国に現れる〝白瞳黒眼〟である。
オルミラージュは、言うなればライオネル建国に尽力した第一の忠臣という立ち位置なのだけれど、前王国時代から筆頭侯爵家であった彼らは『馴れ合いは腐敗の温床』と、王室と一定の距離を置いた付き合いを続けて、今日まで存続している。
魔導に優れ、知を持ち、権力を手にしながらそれにあぐらを掻くこともなく研鑽を続け。
前侯爵は主に食、穀物や畜産を助ける多くの魔導具を人々に広め、現当主であるエイデス・オルミラージュ侯爵もまた、【呪いの魔導具】の撲滅を掲げて多くの功績を挙げた。
と、改めて飛竜車の中でイースティリア様に説明されたアレリラは。
「傑物ですね。そして一族としても高潔な方々であると」
「対外的な印象だけでなく、私個人の印象としても、オルミラージュ侯爵家の方々はその評価に偽りない」
「イースのお気持ちとしては、オルミラージュ侯爵家に近いのでしょうか」
アレリラの何気ない発言に、イースティリア様は軽く片眉を上げた。
「どうなさいました?」
「いや。アルが物事を判断する基準に『情』を考えたことが意外だっただけだ」
言われて、軽く瞬きをする。
「そう、ですね。職務に関連する事象ですから、不適切な発言でした」
「いや、新たな情報を得た訳ではないから構わないが。かの侯爵家と〝水〟の間に何があったかを話し合っている訳ではない」
アレリラが謝罪すると、イースティリア様は首を横に振った。
「そうだな。私の心情としては〝水〟の大公よりも彼寄りではある。人物像のみに限るのなら、だが」
「ランガン夫人の示唆された、オルブラン侯爵令息に関してご面識は?」
「ある。アルはないのか?」
「お顔を合わせたことはございませんね」
帝室関係の夜会等に幾度か参加されているという話は聞いているけれど、秘書官としてその場に参加したことはないのである。
「ご夫妻自体は、君が聞き及んだ人物像と大差はない。ズミアーノ氏は、オルブラン侯爵とよく似た性格をなさっておられる……が、彼の方が危険だ」
「危険……?」
不穏な単語に小さく眉をひそめると、イースティリア様は真剣な目で頷く。
「性格的な部分もそうだが『精神操作の魔薬』の件に関して、物証はないが、少々不審さを感じている点はあった。……帝国からライオネル王国へ、その魔薬が流出したルートに関してだ」
「大公国側から、別のルートで入ったという訳ではないのですか?」
婚約を申し込まれた時に処理していた件だけれど、ライオネル側の件は向こうで解決する点なので、国内の状況改善に傾注していたのだ。
「では何故、ライオネルは『帝国側から入り込んだ』という物証を掴んだ?」
イースティリア様は頬に手を当てて鼻先を人差し指で撫でる。
「帝国内で薬を撒かれたのは、帝国内に秘密裏に作られた工場から。その首謀者は、大公国の魔導士と儲けようとした商人、そして共犯は、薬で得をしようとして逆に操られた男爵と帝国内部の文官……」
そこで、彼は目を細める。
「まだ帝国内部での目論見も完了していないのに、魔薬を他国に広める意図は何だ?」
「……持ち出した人物がいる、ということですか?」
「その前に、どうやって魔導士らが文官と繋がったか、という問題もある。調べてみると、彼らが繋がりを持ったのはあくまでもこの魔薬に関する件だ」
「そうですね」
アレリラは頷いた。
まずは魔導士と商人が結託し、その商人が男爵に取引を持ちかけ、文官が最後だった筈である。
「しかし文官が彼らと知り合ったという酒場は、彼の住んでいる地域からは外れている。また価格帯としても、彼自身の給金から出すには高い場所だ。わざわざ赴く理由がないのに、自白は『そこで飲みたかったから』だという」
「……わたくしにはあまり分かりませんが、お酒や食事を楽しむことに価値を見出している方であれば、不思議なことではないのでは」
「彼にそうした趣味嗜好があったという話は、周辺調査でも聞き及んでいない」
それは、確かに不審と言える点ではある、かもしれないけれど、気にし過ぎという部分でもありそうな気がした。
「何故、その点がオルブラン侯爵令息の危険さに繋がるのでしょう」
「彼はその魔薬の件で文官が商人らと知り合うのに前後して、幾度か帝国に渡航している。最後の渡航は、親交の深い別の家の令息らと来た時だ」
イースティリア様は、真剣な目で告げる。
「ーーーその内の一人は、ライオネル国内での精神操作の魔薬事件の主犯だったのだ」




