幸運すらも、利用するようです。
ライオネル王国、オルミラージュ侯爵家。
その家で昔起こった事件について、アレリラは通り一遍の知識しか持ち合わせていない。
先代侯爵の代に火事が起こって彼の妻子が亡くなり、現・オルミラージュ侯爵と、その時屋敷を離れていた先代侯爵だけが生き残ったという事件である。
火事が起こった原因が、人の精神を狂わせる【呪いの魔導具】によるものだった……というのところまでだ。
「【呪いの魔導具】が、水公領のものであるという話は、初めてお聞きしました」
「特に隠されていた訳ではないが、隣国の出来事だからな。帝国側に詳細な記録はない。だが、エイデス・オルミラージュ侯爵が多くの【呪いの魔導具】の原理を解析し、それを無力化する技術を大した益もなく各国に公開し続けるのは、その件があったからだ」
故に彼は、世界中の魔導士や民衆の尊敬を集めている。
帝国内での人気が爆発的に高まったのは、虫害による飢饉に際しての手助けがキッカケではあったけれど。
その後は【呪いの魔導具】に関する滅私の功績が認められて、彼は〝万象の知恵の魔導爵〟を賜ったのである。
実際、彼の公開した無力化の術式や看破の魔術によって、【呪いの魔導具】による被害は世界的に減少傾向にある。
「当時、まだ風公は先代であり、〝水〟の大公も健在だった。そんな当時からこれ程遠回りな仕掛けを打ち、『大公選定の儀』を見据えて水公家を嵌める策略を練っていたのなら、もっと他に出来ることがあるだろう。未来でも見えているのでなければ、こんな状況にはせず、見えているのなら尚更だ」
「そうですね」
確かにその件を加味すれば、素直に『〝水〟がオルミラージュ侯爵家を狙った』と読んだ方が現実的である。
実際、シンズ伯爵夫人はその件について言及していたのだ。
「では何故その当時、水公はオルミラージュ侯爵家を狙ったのでしょうか。また『精神操作の魔薬』に関しても、暴かれれば自らの首を絞めることになります。現状、〝水〟は輸出入業で最も多くの利益を稼いでいる筈です」
言わば、水公領にとって両国は取引先である。
こちらが沈めば、将来的な自らの富を失うことになるのだ。
それが分からない程に〝水〟の大公が無能であるのなら、そもそもその地位まで上り詰めていないだろうし、長く現政権を維持も出来ていないだろう。
〝水〟の大公は、数十年その地位にあり、もう70代の老齢である。
「それこそ、君の口にしたことが他国を狙った理由になり得るだろうな」
イースティリア様は、静かにそう口にした。
「両国の力が削げれば、相対的に水公領の外交面での影響力が増す。自国内でこれ以上の利益を求めることが不可能、外交の利益が頭打ちになる可能性があるのなら、後は相手の力を削ぐくらいしか手がない」
「……かの領から産出されるのは、貴金属の類いでは?」
アレリラは微かに眉根を寄せた。
論理的には正しいけれど、水公領の現状と考え合わせると少し疑問が残るのだ。
平時において権威を誇示する為の宝飾品の類いは、相手の財力がなければ買われることがない。
余裕が削がれれば、皆、まずは生きる為に不可欠なもの、たとえば食料確保などに財貨を使うようになる為、水公領は回り回って自らの首を締めることになるのだ。
けれどイースティリア様は、小さく首を横に振った。
「大公国内部で相互不干渉が貫かれることを前提として。それでも現状以上に力を増そうと思えば、狙うべきものは?」
言われて、アレリラは自分からその考えが抜けていたことに気づいた。
内は狙えず、交易が頭打ちになる、その上で狙うものがあるとすれば……他国の領土。
「……戦争……ですか」
奪えば、手に入る。
それをしないことが国を富ませることが内政であり、同時に為政者の役割……闘争は下策、と思考の優先順位を下げていた。
けれどイースティリア様は、そちら側の考えを〝水〟の大公が持っていると読んでいるのだ。
「仮に帝国やライオネル側の港周辺だけと考えても、手に入れれば支払う関税が消える。今後も輸出入によって稼ぐならば、その効果は計り知れない」
「ですが、その前の人命と損失が」
「その点を考える者は、他者を害する行動を取らない。そもそも、経済闘争という概念自体が近年のものだ。帝国と北のバーランドとの間で起こった戦争の契機……『不当交易』によって認知された。未だ、領土を増やすこと自体が国力の増大に繋がる、と考える古い貴族は多い」
その世代ではないから、理解が及んでいなかった。
今のまま仕掛けても泥沼の闘争になるからこそ、先手を打って仮想敵国の力を削ぎ……あるいは、両国を内や外で争わせて疲弊させることで漁夫の利を得るつもりだったのなら。
オルミラージュ侯爵家を狙い、『精神操作の魔薬』を撒いた理由に筋が通るのだ。
「では、『語り部』が本当に居たとして、その狙いは」
「オルミラージュ侯爵に注視する必要がある、というのなら、おそらくは〝水〟の大公が最も敵視しているのが、かの家なのだろう。国際的な影響力も大きい。国の総体としてではなく、一貴族家として考えるなら、我がウェグムンド侯爵家を超える可能性もある」
魔術と経済、分野こそ違えど、その強大さは同格以上であると。
「〝水〟が腐っている、というのは、そういう点なのだろうな。戦禍を撒き散らす可能性があること、そしておそらく、オルミラージュ侯爵家が水公家を落とす可能性が高いのだろう。オルミラージュ侯爵は、まだ自身の母と姉を殺した相手を追い詰めることを、諦めていないのだろう」
イースティリア様は、そこで微かに笑った。
「かの魔導卿は、義勇の者。ならばその手助けをして〝風〟が〝火〟を推すのにも賛同すれば、我らが次代の覇権を得る。……常ならざる【災厄】に対抗しうる力を持つ者らが各国で覇権を得るのなら、望ましい話だ」
アレリラは、小さく息を吐いた。
「仰ることはよく分かりました。けれど、結局シンズ伯爵夫人の発言を『真』とするには証拠が足りません。裏を取るにしても、どうなさるのです?」
「手紙を出そう。サガルドゥ殿下の手を幾度も煩わせることになって申し訳ないが、今回も動いていただく」
「……? それで、証拠が手に入るのですか?」
「証拠は手に入らんだろう。オルミラージュ侯爵家を探るのは、少々時間をかけるつもりだ。だが、確信を手に入れる方法がある」
「どのような?」
するとそこで、イースティリア様は笑みを深めて、珍しく……本当に珍しく、片目を閉じた。
「我らには、幸運の『黄竜』がついている。無自覚に時流を見極める、愚かな賢者がな」




