アレリラという少女。
アレリラ・ダエラールは、昔から自分のことを、分を弁えた杓子定規な人間だと思っている。
勤勉で真面目、そして同世代の人たちとは話が合わない。
特に婚約者であるボンボリーノとは全く噛み合わず、いつも意見が割れていた。
それは、貴族学校に入学してから顕著になり、月に一度の婚約者同士のお茶会には律儀に来ていたけれど、結局会話は弾まなかった。
ある日は、こう。
「学校の仲良い連中とさ〜、夏休みに遊びに行く予定なんだけどアレリラ嬢も来る〜? 泊まりがけでうちの領地でさ〜」
「申し訳ありません、ボンボリーノ様。夏季休暇中は、家庭教師のレッスン、領地への祝祭に合わせての帰郷、課題のレポートの為の研究、領地経営の勉強と予定が詰まっております」
「隣の領じゃん〜? 一日二日くらいなんとかなるでしょ〜?」
「殿方も多くおいでになられるでしょう? 泊まりがけとなれば、貴族令嬢として、不埒な噂を気にせねばならない年齢にございます。貞淑を疑われるような行動は控えるのが賢明かと」
「お前の言ってること、全然よく分かんねーなー。しなきゃ良くない?」
ボンボリーノは、キョトンとしていた。
そう、不貞行為などしなければ良い。
事実ではあるが、人の噂とはそうしたものではなく、行動をすれば疑われても仕方がないのである。
ボンボリーノに丁寧にそう説いたが、結局彼は納得しなかった。
「人の目気にしてるより、楽しいことしたほうが人生楽しくない? 勉強ばっかしててもつまんないでしょ〜?」
言葉通り、貴族学校の成績はボンボリーノはCクラスの下の方、勉強ばかりしているアレリラはAクラスの首席だった。
「勉強をすることは、将来を有意義なものにすることです。ボンボリーノ様をお支えするのに、大変重要かと存じます」
「人と仲良くするのも大事じゃない〜?」
「どのような意味か分かりかねます」
人と仲良くするのに、何故旅行が必要なのかは、アレリラには分からない。
不利益の方が多そうな話で、誰かと意思疎通が必要なのであれば、用件に合わせて会話するだけで話は済む。
そうして、ボンボリーノとは意見が合わないまま、旅行は辞退した。
帰郷を終えて、数日後は、こう。
一ヶ月に一度のお茶会の日に、ボンボリーノはお土産を持参して。
「旅行でさー、マイルミーズ湖を見てきたんだよ〜」
「ペフェルティ領の飲み水を賄う、貴重な水源ですね。最近新たな水路を引く施工が行われていると耳にしております」
「え、そうなの?」
「自領のことなのに、ご存じないのですか?」
アレリラが首を傾げると、ボンボリーノはヘラヘラ笑いながらも、なぜか少し拗ねたように眉を曲げた。
「知らないな〜。父上から聞いたような気もするけど、忘れた!」
「それでは、領主として立った時に困るのでは?」
「誰か知ってる奴に、良いようにしてってお願いすればいいじゃーん」
「それが正しいことかどうかを判断するのが、ボンボリーノ様の役目かと存じます」
「そっかー。そうなのかなー? やっぱりよく分かんないねー」
「では、やはりわたくしが勉強していることは間違いではないかと」
彼が出来ないことを請け負うのが自分の役割なので。
アレリラが注がれた紅茶に口をつけると、ボンボリーノはヘラヘラと笑いながら、困ったように告げた。
「オレはさー、あの湖めっちゃ綺麗だったよ〜って言いたかっただけなんだけどね〜」
「そうですか。それは申し訳ございません」
「あはは、別に良いんだけどさー」
ボンボリーノは、怒らない人だった。
時折爵位の低い相手に無礼な態度を取られても、全く気にしないような人だから、その旅行が結局噂になっても気にしないのだろう。
貴族学校では彼の友人は多く、いつも人に囲まれていること、そしてクラスが違うこともあって、履修が被ってもあまりアレリラと交友することはなかった。
暇さえあれば図書館に行っていたアレリラに、気まぐれに近づいてくることもあったけれど、そういう時は。
「何読んでるの〜?」
「隣国の貴族年鑑を見て、知らぬ領の風土について調べています」
「へー。それって何で? 宿題?」
「いいえ。他国ではどのような作物が作られていたり、領地運営の資金源になっているのかが気になるからです」
「……それ、面白いのー?」
「多少なりとは。それにもしダエラール領やペフェルティ領に益をもたらす何かが得られれば、それは力となりますし、他国のことや自国のことを知っておくことは決して将来無駄にはなりません」
「よく分かんないなー。そんな役に立つか立たないか意味不明なことするより、今皆と楽しめそうなボードゲームとか、服の流行りとか知る方が楽しくないー?」
「あまり興味はありません。社交に必要な範囲で知識は得ますが、優先順位は低いです」
「そっかー。アレリラ嬢は、恋愛小説とか冒険小説は読まないのー? オレ、あーゆーのの方が楽しいと思うんだよねー」
「わたくしには、なんとも。それが史実であれば歴史として勉強いたしますが、一度読んで楽しいとは思えなかったので」
そもそも既に、婚約者はボンボリーノに決まっていて、将来嫁ぐのはペフェルティ領である。
貴族令嬢として恋愛沙汰など起こせば、むしろ不仲の原因にもなるし、冒険小説のような人生は無縁のものだ。
「趣味合わないねー」
「なぜ合わせる必要が?」
「まぁ、ないけどさー」
やはりヘラヘラと笑いながら、ボンボリーノはたまに来て、何がしたいのか分からないまま帰っていく。
そうして、卒業の時。
彼は右腕に、金髪の少女をぶら下げていた。
アーハ、という、胸の大きくて明るい顔立ちの女性を。
「アレリラ嬢、オレ、バカだしお前と話すのあんま楽しくないんだ〜。それに背もオレと釣り合わないし、オレは黒髪より金髪が好きだし。なんかオレには勿体ない気がする。だからアーハを嫁にするから、ごめんな!」
ちょっと申し訳なさそうな顔をしたボンボリーノは宣言して、横の少女に満面の笑顔を向ける。
彼女も申し訳なさそうに眉をハの字に曲げて、彼を見ると貴族令嬢にあるまじき歯を見せる笑みを浮かべていた。
最初に知り合ったのは、例の旅行だそうだ。
―――なるほど。ボンボリーノ様はこのような少し無作法でも明るい女性がお好みだったのですね。
しかし、それで婚約までも解消するとはどういうことなのだろう。
理由は分からないながら。
「畏まりました」
と、淑女の笑みを浮かべてボンボリーノに告げて家に帰って報告し、数日後。
幸いにして、さほど双方に重要な事業提携がなかった為か、両親と弟は怒っていたが婚約はすんなりと解消され、アレリラの身の振り方は宙に浮いた。
学校でさほど親しい友達もなく、殿方との関わりもなかったアレリラは、首席の実績を活かしてなんらかの仕事をしようと思い立った。
そうして両親に反対されつつも仕事を探している内に、宮廷で働かないかという打診があって、そちらに就職することにした。
『知り合いが、優秀な人を知ってると言っていてね』
と、アレリラに打診してくれた文官は笑っていた。
―――なるほど、社交とはこうした際に必要になるものなのですね。
運良く就職できたが、ツテもなく苦戦していたアレリラは、結婚するにしても就職するにしても、他者とのある程度の関わりは必要なのだと学んだ。
そうして勤勉に仕事をしていると、イースティリア様に召し上げられた。
「君が有能だと聞き及んだ。よろしく頼む」
「誠心誠意勤めさせていただきます」
給与も上がったので、不満はない。
そうして働くうちに、少しくらいは雑談をすることもある。
「なるほど、領地以外に旅行をしたことがないのか」
「はい」
「もったいないことをしたな。知識も重要だが、仕事を円滑に進める際に、学生時代の交流が役に立つこともある。また査察で実情を知る為に、現場を見ておくことには意味がある。水路の施工など、目にしていれば実際に現場でどういう補助が求められているのか知れることもあっただろう」
そういう視点がなかったアレリラは、なるほど、と深くうなずいた。
またある時、イースティリア様は言った。
「隣国のサーシェス薔薇園は見事なものだ。大変に美しく、観光の際に人気がある」
「イースティリア様は、そうしたものを楽しまれるのですね」
「花を咲かすにも職人の手が必要だ。彼らの培った経験と努力がそれを作り出していると考えると、その技術に魅了される。また遊興はその土地に金を落とす客を誘致する意味合いがあり、人が来れば活気が得られ、新たな知識も流入するだろう。そして人をもてなし、不快にさせないということは、領主や主催としての手腕を評価される上で大事なことだ」
「理解出来ます」
「他者の好むものや趣味をよく知っておくことも、そうしたことに通じる」
そうすると、ボンボリーノのやっていたことも、あながち無駄なことではなかったのだろうか、と。
アレリラは、イースティリア様が明確に、理解できるように説明してくれる数々の話を聞いて、得た知識を役立てるよう、まだ自分の知らない形での人との関わりを学ぶということの大切さを知り。
やがて、彼の妻となる時に、秘書として学んでいったそれらの社交的な勉強の成果は、遺憾なく発揮された。
人には相性があり、またどうやったらお互いに相手に伝わるかが分からない、といったすれ違いがあります。
イースティリア様のように、実務的に必要なこととして説明されればアレリラは理解できますが、楽しい、面白い、といった観点で伝えられるといまいち通じません。
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