手合わせなさるのですか!?
「どぅるぁああああッ!!」
「相変わらずうっせぇな!!」
アレリラ達が温室巡りを終えて稽古場に向かうと、激しい剣戟の音と野太い大声が響いてくるのが聞こえた。
「お父様とダインス様は、今日も仲良しですぅ〜」
「あれは仲が良いのですか?」
木の柵に囲われた中で、お互いに上半身に肌着のみを纏う少々行儀の悪い格好になった二人が、巨大な木剣を手に飛び回っている。
ーーー何故自分の身長と体の幅ほどもある木剣を振り回して、あんな速さで動けるのでしょう?
それだけで、身体強化魔術の練度と肉体の鍛え方が尋常ではないことが分かる。
ちょうど同じタイミングで、イースティリア様とラトニ氏が稽古場に向かってきているのが見えた。
その後ろにいる近衛のトルージュが、瞠目しつつも、どこかウズウズとした様子で二人の戦いを見つめている。
アレリラがそのまま横に目を向けると、影のように付き従っていたナナシャも、食い入るような目線を向けていた。
ーーーよく分かりませんね。
戦闘を得意とする方々にとっては、ただ感嘆するばかりでなく手合わせをしてみたいと思うものらしい、と推察は出来るけれど。
「手合わせをお願いしてみますか?」
アレリラがナナシャに提案すると、彼女はパッとこちらを見たが、何かを堪えるように口の端に力を込めた後、スッと表情を消した。
「いえ、失礼致しました。今は職務中ですので!」
「良い心がけです」
近衛が護衛対象の側を離れることは、職務放棄となる。
ロンダリィズ本邸にいる限り、襲われる心配が限りなく0であっても職務に忠実な彼女の態度に、アレリラは好感を持った。
「では、次にロンダリィズ伯にお会いする機会があれば、手合わせが叶うように取り計らいましょう。我慢させて申し訳ないですが」
「いえ! 心遣いに感謝致します!」
パッと顔を輝かせるナナシャに小さく頷いてから、稽古場の柵の外に立つ。
するとアザーリエ様がラトニに向かって満面の笑みを浮かべる。
「爺や〜、やっと会えましたねぇ〜」
「お出迎えもせず誠に申し訳ございません、アザーリエ様。無事のお戻り、心より嬉しく思います」
「爺やも元気そうで何よりですぅ〜」
二人がそのまま話し始めたので、アレリラは近づいてきたイースティリア様に声を掛けた。
「ご用事は無事に済まれましたか?」
「ああ。詳細は伝えられんが、事業計画の見直しが必要になった」
「畏まりました。では、後ほど」
そう答えると、イースティリア様は何故かジッとこちらの顔を見つめる。
「? どうかなさいましたか」
「いや……どことなく、雰囲気が違うように思った」
「そうでしょうか」
アザーリエ様と話して、晴れやかな気持ちであることは確かだけれど。
「そう仰るイースティリア様も、どことなくご様子が違うように見受けられます」
元々、凛々しい方ではあるのだけれど。
そう、どこか表情がより引き締まり、やる気に満ちているような感じがした。
二人きりの時の柔らかい雰囲気とも、職務中のピシッとした様子とも違う、漲るような活力が放たれている気がする。
どちらかと言えば静かな方であり、澄んだ水に例えられることが多いけれど、今はそう、青い炎のように静けさの中に熱を含んでいる。
「天命を得た」
「わたくしも、天啓を得ました」
「では、そういうことだろう。今のアルは、より魅力的に思える」
「……そうですね。イースも」
相変わらず、仕事の話以外は交わす言葉は少ないけれど。
言わなくとも伝わっている、そんな距離感がいつも以上に心地良くて、褒められたことが気恥ずかしくて、アレリラは微笑んだ。
そんな風に和んでいると、手合わせを終えたらしき二人がこちらに気付き……ダインス様は、気分が高揚しているのか、湯気が上がりそうな程に火照っていそうな体を布で拭いながら、イースティリア様にとんでもない提案をした。
「宰相閣下も、一つ俺と手合わせなど如何ですかな!? それなりに鍛えておられるようにお見受けしますが!」
ーーーそれは流石に。
何せ相手は武で名を馳せる公爵であり、たった今、グリムド様ととんでもない大きさの木剣で打ち合っていた英傑である。
イースティリア様の方がお若いとはいえあくまでも文官であり、お体は引き締まっているけれど、戦うのが得意とも聞いたことがなかった。
「ふむ」
けれどイースティリア様は少し考えるそぶりを見せた後に、なんと頷いてしまわれた。
「良いでしょう。では、一度だけ。少々お待ちを」
と、上着を脱ぎ出したので、アレリラは慌てる。
「イースティリア様、流石に危険では」
「旅行や後の職務に支障が出るような無茶をするつもりはない」
そう言い置いて、イースティリア様はさっさと稽古場に入ってしまわれた。
ーーーだ、大丈夫なのでしょうか。
アレリラが動揺していると、アザーリエ様にそっと肘の辺りに手を添えられる。
「そんなに心配なさらなくても、大丈夫ですぅ~。ダインス様はお優しいので、宰相閣下を滅多打ちにしたりはなさらないかと~」
「……魔獣でも打ち倒せそうな一撃だけでも、心配なのですが」
「……さ、流石に手加減なさると思いますぅ~」
ーーー何故目を反らされるのですか。
余計に不安が増してしまう。
イースティリア様とダインス様は、お互いに普通の大きさの木剣を手になさった。
けれど、防具を身につけておられない。
「宰相閣下、防具はよろしいので?」
「条件は対等であるほうが良い、と判断致しました。私は今から、レイフ公に頼みたいことがあります」
「聞きましょう」
すると、木剣を振って手触りを確かめていたイースティリア様は、スッと真剣な目をダインス様に向ける。
「私が勝った場合。最新式の魔導機関に関する技術提供、及び魔鉱石の輸入量変更、ある魔導陣式装置の改良に関するバーランドとの技術提携を行うこと。この三点をお願いしたい」
「……ほぉ?」
ダインス様の表情も、それまでの快活なものから、一転してギラリと不穏な気配を感じるものに変わった。
けれど、すぐに獣のような圧をそのままに、不敵に笑う。
「俺が勝った場合は?」
「歴戦の英雄が勝つのは当然では?」
まるで煽るような物言い。
普段とは違う様子のイースティリア様に、アレリラはハラハラしたけれど。
衝撃的なことに、彼もダインス様に応えるように誰の目にも明らかな笑みを浮かべた。
「冗談です。私が負けた場合は、ウェグムンド領で産出される麦の輸送費をこちらで負担し、帝国女性に大変な人気のある美肌軟膏を優先的に提供し、タイア子爵よりお預かりした光源技術の情報をレイフ公にもお渡し致します」
お互いに破格の条件である。
北への輸送費を負担するということは、実質小麦の価格は三割引。
美肌軟膏については、帝国内でも供給が追い付いておらず価格が高騰しているもの。
光源技術、つまり人手をほぼ必要としない魔導式の街灯は、まだどこにも技術が公表されていないのである。
決して、こんなにも不利な手合わせで賭けて良い条件ではない。
むしろ交渉でそれらをお互いに提供し、価格を擦り合わせた方が有意義では……というところまで考えて。
ーーー時間がない、のでしょうか?
と、思い至る。
対等な交渉というものは、お互いに益を得られる素晴らしい手法ではあるのだけれど。
お互いに納得するだけの条件を取り決めるまでの議論に、最も時間が掛かるのである。
イースティリア様もダインス様も迅速な方だろうけれど、お互いに莫大な利益が動く以上、簡単には進まないだろう。
その交渉の時間が惜しい、何らかの理由があるのだとすれば、行動に筋が通る。
そして、そこまで急ぐ理由はおそらく現状、一つしかない。
ーーー常ならぬ災厄に、何か関わりのあることなのですね。
「なるほど……」
ダインス様は、面白そうに頷いた。
「良いでしょう。代わりに本気でやらせていただきますよ?」
「当然」
そのまま、二人はお互いに木剣を構えた。
イースティリア様は左手の得物を正眼に、ダインス様は切っ先を左下に向けるように。
「勝利条件は」
「急所に一撃」
ダインス様の問いかけに、イースティリア様が応えると。
「始めぇ!!」
いきなり、ずっと傍観していたグリムド様が開始の合図を口にした。
勝負は、一瞬だった。
アレリラが息を呑むと同時に、ダインス様の姿が掻き消える。
直後に、イースティリア様が脇を締めるように右腕を肋の上に添えると、その腕にダインス様の一撃が食い込んだ。
ーーー!?
けれど、イースティリア様は踏み止まり。
そのまま、正眼に構えた切っ先をダインス様の喉に添える。
二人の動きが止まると、グリムド様が感嘆したような声を上げた。
「勝ちやがった! ダインス、テメェの敗けだ!」
「嘘だろ……!?」
目を見開いていたダインス様が、信じられないとでもいうように木剣を下ろすと、イースティリア様
も退いた。
「手合わせ、ありがとうございました」
「おま……ウェグムンド候、腕は大丈夫か!? 俺が止める前に差し込んだだろ!?」
折れていないか、と焦った様子を見せるダインス様に、イースティリア様は腕を振りながら、何でもないことのように答える。
「防御魔術は得意ですので」
確かに異常はなさそうで、アレリラはホッとした。
横で、アザーリエ様も驚いている。
「ふえぇ……ダインス様があんなにあっさり負けたの、初めてですぅ~」
「そう……でしょうね」
未だに信じられない。
ダインス様も納得出来なさそうに、首を傾げていた。
「何故、俺の一撃が見えた?」
「見えませんでした。レイフ公の切っ先の位置と、聞き及んだお人柄から予測しただけです。文官の命である小手も、危険の大きい頭と喉も狙わないでしょう。となれば、後は両脇です。最速で叩き込むのなら、切っ先を置いた側と」
イースティリア様が使用人に木剣を預けながら説明し、微笑みを浮かべる。
「一撃を防げば、頭の位置が正眼の切っ先を軽く動かせば届く場所に来ます。……防御魔術の情報を隠しただけの、ただの奇襲です。後十回やれば、十回私が負けるでしょう」
「……してやられたな」
悔しそうなダインス様に、イースティリア様は淡々と続ける。
「条件そのままとは行きませんが、見返りとして、麦の提供に関しては、一割引をお約束しましょう。美肌軟膏も、私用の範囲であれば。光源技術に関しては、そうですね。預かったのは私ではなくアルなので、彼女と交渉をお願いします」
「ガッハッハ!!」
イースティリア様の言葉に、グリムド様が爆笑した。
「イースティリア、お前、負ける気なんか微塵もなかったな!?」
「勝機のない提案はしない主義です」
こちらに戻って来たイースティリア様に、アレリラは珍しく苦言を呈する。
「……心臓に悪い、と進言させていただいても?」
「済まない。好機と思った」
「今後なるべく、お控え下さい」
「善処しよう。上下水道、及び土壌改良計画が進展する点については?」
「見事な采配であったかと」
上下水道の中長期計画については、確かに必要な鉱物の輸入量が増えるのであれば、進展を見込める。
土壌改良計画に関しては今回の旅行で話し合うことはなかったけれど、予算を増やして早期に進めるということだろう。
それがどう災厄と関係あるのかは分からないけれど。
「また後ほど、土壌改良計画についてもある程度資料を揃えておくよう、帝都へ指示を出しておきます。覚えている限りであれば、書き出しますのでお申し付け下さい」
「頼む」
そんな会話を聞いて、アザーリエ様がポカンとした顔をしていた。
「お二人が何を話しているのか、さっぱり分からないですぅ〜」
するとラトニ氏が、可笑しげな笑みを堪え切れないように僅かに顔を俯けた。
「ラトニ氏。如何なさいました?」
「いえ、大変、失礼を致しました」
咳払いをした老執事は、どこか眩しげに目を細める。
「ーーー帝国の未来は安泰だと、そう思った次第にございます」




