ロンダリィズ夫人と、歓談致します。【前編】
「アレリラ様ぁ〜! お待ちしており……」
「エティッチ」
本当に待ち侘びていた様子で、客間に案内された途端に駆け寄って来ようとしたエティッチ様に、底冷えのするラスリィ・ロンダリィズ伯爵夫人の声が掛かる。
すると、目にも止まらぬ速さでロンダリィズ夫人の横に戻った彼女は、恭しく淑女の礼の姿勢を取った。
「宰相閣下、並びにアレリラ夫人におかれましては、此度の旅行にて当家を宿泊地に選んでいただきましたことに、感謝と歓待の意を表しますわ」
と、まるで何事もなかったかのように口上を口にするけれど。
ーーー最初からそうなされば、怒られないのでは?
ロンダリィズ夫人が同様に礼を取りながら、微かに溜め息を吐いたのを、アレリラは見逃さなかった。
噂好きでちょっと腹黒なエティッチ様と、ロンダリィズ夫人はあまり似ていない。
相変わらずピシッと一部の隙もなく結い上げた黒い髪に、浅黒い肌を持つ彼女は、エティッチ様の姉であるアザーリエ様とよく似ていた。
ロンダリィズ夫人は、元は公爵家の令嬢であり、紅玉の瞳こそ持っていないものの、帝室に近しい者の特徴を受け継いでいるのだ。
それで言うと、何故か男爵家出身の平民である筈のラトニ氏も、日焼けに隠されているものの元の肌色が浅黒い。
帝国では珍しい色ではあるけれど、全くいないという訳ではないので、たまたまだろうか。
深く考える前に、ロンダリィズ夫人が口を開く。
「礼儀を知らぬ娘で、誠に申し訳ございません、宰相閣下、そして御夫人。序列を軽んじ、宰相閣下及び御夫人を差し置いて口を開くなど言語道断です」
「ええ!? ちゃんと口上言ったのに、そっち……!?」
頭を下げたまま、エティッチ様が呻くと、その脇腹にラスリィ様の肘が入る。
「ぐっ……!」
「貴女は、口と態度と、行動と、それらを含めた全てを慎めと言っているのです」
「ぜ、全部……!? 無理……!」
そんなやり取りに、表情こそ変えないものの苦笑する気配を見せたイースティリア様が、小さく頷いた。
「主人も居らず、わたくしとエティッチ二人でのご歓待ともなりますが、ご寛容な心でお許しいただけると幸甚にございます」
「気にしてはおりません。ロンダリィズ伯は先ほど、好きに過ごすよう言い置いて畑の世話に出向かれました」
「……なるほど?」
ピクリ、と眉を動かしたロンダリィズ夫人から、不穏な気配が立ち上る。
「重ね重ね、失礼を致しております」
「ロンダリィズ伯の気質はよく知っているので、問題はありません。エティッチ嬢は、御当主に似ておられるのでしょう」
「良いことではございませんが、気分を害されてなければ、これも幸甚にございます」
おそらくは、後で両名には雷が落ちるのだろう。
グリムド様にもエティッチ様にも、効果はないように思えるけれど。
ただ、アレリラ自身ももしフォッシモが似たような態度を取れば甘い対応はしない質なので、余計にロンダリィズ夫人の苦労が偲ばれた。
「ラスリィ様、そろそろよろしいでしょうか?」
主家のこうした点には慣れたものなのだろう、ラトニ氏がいい感じに口を挟んで、自身もドアの脇に控えてから、手でイースティリア様とアレリラを席へと促す。
「失礼する」
イースティリア様が腰掛けるのを待ってアレリラが隣に座ると、エティッチ様が早速口を開いた。
「アレリラ様、ごめんなさい。お姉様は国家間横断鉄道が少し遅れているみたいで、まだ帰ってきてませんの! お兄様は昨日いきなり隣国に行ってしまって、こっちも不在ですの! とりあえず、お姉様は帰ってきたらまたご紹介しますわね!」
「ええ、是非」
お祖父様から会うように言われているアザーリエ様にお会い出来れば問題はない。
鉱物研究の権威で、加工にも詳しいスロード様にもお会いしてみたかったので、その点は少し残念ではあるけれど。
「スロード氏は、何か急用が?」
「あの子は主人とは別の意味で自由ですので。聖剣の複製と量産について新しいことを思いついたので、隣国のエルネスト女伯に会いに行くそうですわ」
「なるほど、才媛と噂の。国際魔導研究機関で、共同研究しておられるのでしたね」
「ええ。ですが、成果物について大半の権利を有しているのは、出資している向こうの筆頭侯爵ですので、何らかのご期待をされているのならそれには添えませんわ」
ロンダリィズ夫人がいきなりそう切り込んできたので、アレリラは驚いた。
ーーー迅速、ですね。
どうやら、魔物の強大化に伴い、魔王獣や魔人王の出現が懸念されていることを、ロンダリィズ夫人も把握しておられるようだ。
その対策として、隣国に聖剣の複製を輸出して貰うための交渉を行う必要があることも理解なさっているのだろう。
その件に関しては、この後訪れる隣国オルブラン領の夫人を窓口に、と祖父も手紙で告げていたので、情報は共有されているのかもしれない。
それでも、スロード様のことをイースティリア様が口になさっただけで、ロンダリィズ夫人はその意図を察して、先に答えを口にしたことが、彼女の聡明さを物語っていた。
「残念ですね」
「申し訳ございません」
「いえ、口添えの件ではなく、会えないことに関してです」
イースティリア様は特に気を使われている訳ではなく、本心からそちらを残念に思っているのだろう。
けれど、ロンダリィズ夫人はそう受け取らなかったようだった。
「国家の危機ですし、口添えくらいはするように申し伝えております。重ねて申し訳ありませんが【聖白金】の素材である【魔銀】の価格交渉については、奥の手にしておいていただければと。ウルムン子爵の研究成果物に関しても、彼自身に直接交渉をお願い致しますわ」
ロンダリィズ夫人は、どうやら厳格なだけでなく、イースティリア様同様、無駄なことはあまり口になさらないようだ。
人によっては、矢継ぎ早な先回りに鼻白んでしまうだろう。
けれど、相手がイースティリア様だからこそこの話し方をなさっている可能性もあるので、これが彼女のやり方と判断するにはまだ早い気がした。
「なるほど。……百年〜数百年に一度起こる災厄に対抗出来る存在は〝光の騎士〟と〝桃色の髪と銀の瞳の乙女〟であると言われておりますが、それ以外の点についてもご承知、と判断して問題ないでしょうか」
「と、自負しておりますけれど」
二人のやり取りの通り。
訪れる災厄に対抗するのに必要なものは、現在隣国で存在が確認されている彼ら本人ばかりではない、とされている。
その手にする聖剣や薬、他の聖人の存在なども、伝承には言い伝えられていた。
その内、聖剣は隣国の王室が秘宝として保管していた。
今回スロード氏と隣国の者たちが研究して複製に成功したことは、歴史的な偉業である。
が、聖剣の素材である【聖白金】精錬の核となる鉱物【魔銀】は隣国にはなく、ロンダリィズ伯爵家が所有する鉱山から主に採掘されて輸出されているのだ。
そして伝承にある薬……ウルムン子爵が栽培に成功したエリュシータ草と、そこから精製される【生命の雫】については、帝国側が権利を有している。
また【復活の雫】という、エリュシータ草から精製できるもう一つの魔薬については、現在もウルムン子爵が研究中だった。
しかし、この魔薬は、正確な記録が残っている近年の災厄時には存在が確認されておらず、過去にいたとされる『神爵』や『賢人』という聖人らと共に、眉唾ではないかとも言われていた。
この状況で、もし帝国内に災厄が出現した場合。
〝光の騎士〟らの到着まで甚大な被害が出たり、救援がなければひどく厳しい戦いになることが予想される。
そうした被害を少しでも減らす為に、本来であれば騎士と乙女に加えて、聖剣と魔薬を国内に揃えておきたいのが、帝国側の本音である。
しかし二人の英雄は二人の意思で隣国に残っているので、次善の策として量産されるという聖剣の複製と、こちらが所持している【生命の雫】は少しでも増やしておきたい。
隣国もそれは同様であり、いつ魔物の被害が拡大してもおかしくない現状、【生命の雫】が手元に欲しい筈だ。
という点を考慮した上で、両国間で交渉材料になり得る物をロンダリィズ夫人は把握しているのである。
その上で、鉱物の値段交渉を材料にしないよう口にしたのは。
過去の北との戦争でも分かるように、物価の引き上げは関係を悪化させかねず、災厄を前にして国家間に軋轢を引き起こす可能性を懸念しての忠言なのだろう。
ロンダリィズ一家……グリムド様と夫人は特に、あの戦争の矢面に立って肌で感じていた為、そうした点について敏感になっているのだ。
「では、ご存じという前提で話を進めさせていただきますが」
イースティリア様は淡々と答える。
「現在、未確定の問題である災厄が必ず起こると、ロンダリィズ伯爵家では考えておられますか?」
「タイア子爵と同様に。宰相閣下におかれましては、如何でしょう?」
「必ず起こるとは思っておりませんが、起こることを見越して行動しております」
「それは、我々より危機意識が薄いという意味でしょうか?」
二人が口にする情報は、必要最小限だった。
ロンダリィズ夫人が目を細めるのに、イースティリア様はハッキリと否定を口にする。
「起こるかどうかが問題ではない、という意味です。私は、帝国宰相として起こり得る全ての問題について、事前に対処する責務がありますので」
イースティリア様は軽くそう口になさったけれど、それは建前でも何でもなく、ただの事実。
ーーー『問題の芽は可能な限り開花する前に潰し、もし起こった場合には全て必要最小限の被害で解決する』。
それが、帝国で権力を与えられた者の務めであると、イースティリア様は以前口になさった。
問題は常に起こり続け、問題の芽は芽吹き続ける。
それらに対処する為に、最善の事前準備を行うように、イースティリア様は指示を出し続ける方だ。
だからこそ、彼が預かる案件に関しては、大きな問題が基本的には起こらない。
「万全の対応をしても、不測の事態は常に起こります。以前起こった薬物事件然り、今回の旅行の警備体制然り、そして魔物の強大化然り……故に、危機感を持つ何らかの根拠があるのなら、お教え頂きたい」
イースティリア様は、ジッと夫人の目を見つめた。
「災厄の根本である魔王獣や魔人王の出現が起こるかどうかは、我々の持つ情報だけでは確定しません。全て状況からの推察に過ぎない。何らかの確信を抱くだけの、根拠があるのでしょうか?」
その問いかけに、ロンダリィズ夫人は少し考えるように沈黙した後。
「いいえ。確信的な根拠はありません。ですが、より確実性の高い情報は持っています」
と、そう答えた。




