【おまけ③】侯爵様は夫人が愛しいので。
「アレリラ」
「はい、イースティリア様」
ある日のこと。
結婚式をつつがなく終えた後。
横には、先に目覚めておられた愛しい人の顔があった。
「おはよう、アレリラ」
「おはようございます、イースティリア様」
婚約式の後、結婚式もつつがなく終えた翌日。
朝の寝室にて、アレリラはイースティリア様に頭を撫でられた。
「体は大丈夫か?」
「はい、イースティリア様」
初めて結ばれたことで、重だるく違和感のある体を、優しく抱きしめてくれる旦那様の呼びかけに、アレリラは淡々と言葉を返す。
気恥ずかしいと思う気持ちは、耳の先がほんのり熱いくらいしか表に出ないけれど、こちらを見つめるイースティリア様には悟られているようで。
耳を優しく指先でもてあそばれて、少しくすぐったい。
対する彼も、とても整った顔立ちは、いつもながらの無表情だけれど。
アレリラには彼の瞳の色やわずかな表情の動きだけで、その感情を理解出来る為、不便はないし不安もない。
アレリラを、愛しいと思ってくれているらしい、その優しい視線を受けて落ち着かない気持ちになるけれど、目は逸らせない。
ちなみにお互いに、ことを終えた後に夜着はきちんと着込んでいる。
「少し話しておきたいことがある」
「はい」
「一昨日、ボンボリーノ・ペフェルティ伯爵から、ある打診の手紙があった」
「そうなのですか?」
突然出てきた元・婚約者の名前に、アレリラはほんのわずかに目を見開いた。
そもそも一昨日は、仕事納めの翌日。
朝から式の準備に奔走していたのに、この有能な旦那様は雑務の処理まで行っていたらしい。
それよりも、そもそも繋がりがあったことに驚いたが……そういえば、ペフェルティ伯爵領は、ウェグムンド侯爵領と、ダエラール子爵領に隣接している。
なら、イースティリア様と繋がりがあっても、おかしくはない。
「屋敷の方に、私信として出された手紙だ。用件は、『領内で見つかった金鉱脈を譲りたい』というものだ」
「……それは国を通すべきことでは。それと、銀山の間違いでは?」
「いや、金山だ。公にする前に話がしたいと」
アレリラは戸惑った。
山が多く、木の輸出などをしているペフェルティ領は、開拓はほぼされていないものの広大な敷地を持っていて、その山の一つから、少し前に銀の鉱脈が発見されたのだ。
銀山は見つかったら申請が必要になる。
価格崩壊などを起こさないよう、国が採掘補助予算をつけて採れたものを一括で買い取り、利益の二割を、手数料兼税として国に納めることになっている。
その話かと思ったのだが。
「……まさか、新たに金鉱脈まで見つけたということなのですか?」
「そういうことだ。管理しきれないからと、こちらに回したいようだ。丁度、我が領、君の実家、ペフェルティ領の境あたりにあるらしい」
「それはまた、面倒なことですね」
金鉱脈の権利が誰にあるのか、を、はっきりと書面にし、契約を結んだ上で対応しないと、口を挟みたい者を巻き込んで諍いになる。
銀よりもさらに価値がある分、扱いも慎重にならざるを得ない。
国や他の高位貴族との兼ね合いも多く、確かにウェグムンド侯爵家に渡すのは、対応として正しいだろうけれど。
『いやオレ、銀山だけでもいっぱいいっぱいなのに金山とか、他の貴族や賊の対応とか、バカなんでマジ無理なんで〜! よろしくお願いしゃ〜す!』
と、あの能天気な笑顔が口にしそうな言葉と共に脳内を流れて、思わず微かに眉根を寄せる。
「君の不快そうな表情も珍しい」
「あの方の性格は、熟知させていただいておりますので」
なんでもかんでも『お前の喋ってること、意味分かんないから、任せるよ〜!』と投げ出して逃げ出すこと数知れず、その尻拭いをしてきた身である。
補佐が上手いと言われるのは、その影響もあるだろう、と思っている。
―――分からないのなら、なぜ分かろうとしないのか。
質問して理解しよう、と努めない彼の姿勢が、アレリラには昔から一番不思議だった。
「彼が言うには、その金山を君への結婚祝いに出来ないかと」
「……………は?」
「私は賛同し、譲渡の書類を取りまとめ、受け取れるよう手続きを行おうと思っている」
「お待ち下さい、閣下」
「イースティリアだ。今は職務中ではない」
「……イースティリア様。申し上げますが、それはかなり重大な案件です。領主同士の一存で決めて良いことではなく、まして所有者が一夫人などもっての外かと」
「宰相として重々承知している。その上で、明日、陛下の祝福を賜った後に面談の時間を設けていただき、その後、披露宴にて重役達への根回しを行う予定だ」
「……」
手回しが良すぎる、とアレリラが黙り込むと、イースティリア様はさらに言葉を重ねられた。
「その所有者が新婚の侯爵夫人となる点についても、問題なきよう、昨夜早馬にて手を打ってある。現在審議中の婚姻契約書に既に待ったを掛け、話が通れば、婚姻解消の際の条件として一文を加える」
『離縁が夫人有責であれば国に返還、侯爵有責もしくは円満解消の際、譲与財産として金山を譲渡する』。
という一文だと。
「それまでは侯爵家の所有財産として夫人が管理し、管理利益を夫人の個人口座に振り込まれる様にする予定だ。何か質問は?」
「ございません。手際の良さには感服するばかりですが、異議があります」
「聞こう」
「今度からは、手を打つ前に予めご相談下さい。そのように莫大すぎる財産は心臓に悪いです。出来れば辞退したく」
「今後善処しよう」
「現在、善処していただきたいのですが」
「ちなみに金鉱脈の管理についてだが、ダエラール子爵家に下請けを出そうと考えている。初期の資金投資と人員手配等については、侯爵家主導にて行い、その後の採掘に関する諸業務を一任するつもりだ。採掘された金の利益に関する管理者への分配率は、権利を持つ君が決めていい」
「畏まりました」
実家の利益になるように計らうというイースティリア様に、アレリラは手のひらを返した。
アレリラが得る利益の中から子爵家に支払う金額を決めていい、というのなら、数年後には豊富な領地運営資金を確保できる筈だ。
フォッシモならきちんとを有効活用してくれるだろうし、事業が軌道に乗り、利益が出るまでの数年間の雑務にも耐えられるだろう。
アレリラは話を受け入れると、続いて疑問を口にした。
「……ですが、何故ぺフェルティ伯爵がそのような提案を?」
婚約を解消してからの8年間、彼とは一切、顔を合わせていない。
それに彼は、アレリラに良い印象を持っていない筈だ。
正直、このような好意を受ける理由が分からないのだ。
ボンボリーノの顔を思い返しながら問いかけると、イースティリア様はアレリラの髪を撫でながら、淡々と答えた。
「侯爵夫人となった君には弁えておいて欲しいのだが」
「はい」
「世の中には、様々な人間がいる。愚者もいれば賢者もいて、愚者ではない者と賢者ではない者が、その間に数多くいる」
「存じております」
「ペフェルティ伯爵は、愚かな賢者、もしくは賢い愚者だ」
「……その評価は、分かりかねます」
何せ相手は、あのボンボリーノだ。
人付き合いの重要性を知ってから多少見直したものの、それでも、何も考えていないことの方が多いと思っている。
しかし、イースティリア様は淡々と言葉を重ねた。
「ボンボリーノ・ペフェルティという人物とは多少の交流があり、人と為りは多少理解しているつもりだ。彼は、人望がある。その点についてはどう思う?」
「事実かと」
「真なる愚者を、人は慕わない。ただ利用して奪い取ろうとする者ばかりが集うものだ。しかし彼はそうではない。むしろ、助けられ、与えられる側だ」
「……そうかもしれません」
イースティリアの言葉の着地点が珍しく読めず、アレリラは戸惑う。
確かに、思い返してみれば、学生時代にも、ボンボリーノの周りでは笑顔が絶えなかった。
騙されたという話も、喧嘩になったという話も聞いたことがなく。
稀に彼の友人と話すこともあったが、良い人ばかりだったように思う。
―――どうしてなのでしょう?
彼の周りには、アーハのような底抜けに明るい気質の人はむしろ少なく、思慮深い人物や世話焼きな人々がいた。
放っておけないのだろう、と疑問に思ったこともなかったのだけれど。
言われてみれば、不思議な話だった。
アレリラの表情の僅かな変化に気づいたのか、イースティリア様が小さくうなずいて、話を進める。
「私は、ぺフェルティ伯爵が、君になぜあのような仕打ちをしたのか、本人から直接聞いている」
「え……?」
「彼が、君に何と言って婚約を破棄を宣言したか、覚えているか?」
問われて。
あの時のことを思い出しながら、口にした。
「『アレリラ嬢、オレ、バカだしお前と話すのあんま楽しくないんだ〜。それに背もオレと釣り合わないし、オレは黒髪より金髪が好きだし。なんかオレには勿体ない気がする。だからアーハを嫁にするから、ごめんな!』です」
一字一句違わず答えると、イースティリアは何故か苦笑した雰囲気を見せた。
「それを聞いて、君はどう解釈した?」
「背が高く陰気臭く、つまらない女だと言われたのだと」
「深読みのし過ぎだな」
イースティリア様に言われて、アレリラは気づく。
―――確かに。
普段から、人の言葉に込められた意味を……貴族的な思考を含ませているのではと……考えて、人と会話をするけれど。
ボンボリーノは。
「彼は言葉に裏を持たせることがないタイプの人間だ。違うか?」
「言われて、初めて気づきました」
「そうだろう。彼が口にする言葉は、その通りの意味でしかない。『話が合わず、外見も中身も釣り合いが取れないから、君は自分にはもったいない』だ」
さらに、イースティリア様は。
「どうやら、正攻法での婚約解消は前伯爵に止められていたようだしな」
と、口にし、アレリラは、今度こそポカンとした。
「止められていた?」
「そうらしい。ぺフェルティ伯爵を支えるのに、君ほど相応しい人材はいない、とな。私もそう思うが、彼にとってはそうではなかったのだろう」
―――『オレ、バカだし』
―――『なんか、オレには勿体ない気がする』。
―――『ごめんな』
「では……では、いつもわたくしの質問や話題に対して、『分からない』と口にしていたのも、逃げていたのではなく?」
「本当に分からなかったんだろう。そして『何が分からないのかも分かっていなかった』のでは? 分からないことに対して、質問は出来ないからな」
「……はぁ」
言葉に含みを持たせない。
そういう視点は、アレリラにはないもので。
だとしたら、彼とは……本当の意味で、噛み合っていなかったのだろう。
素直に、思うことを表裏なく口にしていたボンボリーノに。
含むような意図までも含めて、考えてしまうアレリラでは。
「それに、君が宮廷に召し上げられるきっかけになったのも、私に文官として君が仕えていることを知らせたのも、ペフェルティ伯爵だ」
―――え?
「……申し訳ありません。珍しく、事実に対して思考が追いついていません。では、私を文官に推薦した人物というのは」
「彼だ。ぺフェルティ伯爵は物事を深く考えないが、彼が起こす行動は、結果として上手くいくことが多いようだ。中でも、それなりに君のことを気にはかけていたのだろう」
その結果。
アレリラを、ボンボリーノの婚約者という立場から解放し。
培った能力を、発揮出来る場所を世話し。
そして今また、もし離縁となってもアレリラが困らぬような財産を、金山という形で贈ったのだと。
そう聞くと、とんでもなく大事にされている気がするけれど。
相手はボンボリーノ。
多分そこまで考えていない。
考えてないが、客観的な事実としては、そうなるのだ。
「ではわたくしは、彼に感謝せねばなりません。その結果、貴方という方と知り合うことができ、その妻になれたのは、この上なく嬉しいことです」
「私もぺフェルティ伯爵には感謝している。君という、心から愛せる女性と出会わせてくれたことに」
イースティリアは微かに微笑み、そっとアレリラの頬に口付けた。
その感触に昨日の夜を思い出して、顔に熱がこもる。
「ぺフェルティ伯爵の行動が君に誤解されたままでは、フェアではないと思った。あの自覚なき賢者の、君への最後の善意が杞憂に終わることを誓おう」
「わたくしも、そう願っております」
「―――生涯、共に在ることを約束しよう。愛しいアレリラ」
耳元で囁かれる言葉に。
アレリラは、確かに幸せを感じて、目を細める。
「はい、イースティリア様。わたくしも貴方を幸せに出来るよう、生涯をかけて努力いたします」
アレリラたちのイチャイチャが見たい! ってことだったのですが、この二人はいちゃついていてもこんな感じでした。