ロンダリィズ本邸の治安が心配です。
「ここが……ロンダリィズ本邸……」
イースティリア様の手を取って馬車から降り立ったアレリラは、その景色に感動していた。
田畑が広がる景色そのものは、ペフェルティ本邸の周りに似ているが、植林が多めだった向こうとは違い、どこまでも平野が広がっている。
そこで栽培されているのは、あまり見たことのない穀物であったり、一部は薬草畑であったりした。
他にもロンダリィズ領では、高価な代わりに質の良い肉を出荷する畜産業、臭みが少なくクセのない魚を養殖している水産業等も行われている。
屋敷の奥の庭には、以前タウンハウスに訪れた時に見かけたものに似た、おそらく魔導具や魔術の研修施設らしき建物も見えた。
さらに、その近くの小屋にはヒーリングドラゴンが一匹寝そべっている。
ーーー動きが早いですね。
『ロンダリィズは、全てに対して貪欲』という言葉の意味を、改めて理解する。
新しいもの好きで金儲けに目がない、と言われるロンダリィズ伯爵家としては、ウルムン子爵を身内に迎え入れるならその技術ごと取り込もう、といったところなのだろう。
悪い意味で使われることの多い文言だけれど、服飾業を含む工業などまで含めて手広く商売を行い、それら全てを成功させるロンダリィズ伯爵家の産業は、アレリラにとって見習うべき点が多いように思えた。
「……屋敷周辺の重要性に反して、警備が薄いように思えますね」
「そうだな」
アレリラが呟くと、イースティリア様が静かに頷いた。
屋敷の周りに立つのは石壁ではなく鉄柵で、田畑の間に立つ民家が、貴族の住む家とは思えない程近くに見えるのだ。
他に、大きな建物がないのもそう感じる理由の一つだと思うのだけれど。
「侯爵家時代からそうなのでしょうか?」
「いや。ここは、元々侯爵時代に本邸があったのとは別の土地だ。先代当主のオリンズ氏の代に、自身の生家に中心地を移している」
「それは、存じ上げませんでした。ですがそれでも、領主一族が住む屋敷がここ一つしかないというのは、不可解ですね。ロンダリィズ伯爵家に分家が少ないのが理由でしょうか?」
「おそらくはな。ロンダリィズ伯爵家の一族は数が少ない。この屋敷に住んでいる者以外は、各産業の拠点に居を構えている筈だ」
ロンダリィズ伯爵家の一族が少ないのは、降爵時の粛清で数を減らした以上に、現当主であるグリムド様の暴走が原因だと言われている。
北との最後の戦争の前、グリムド様の当主継承直後に起こった〝強欲の殺戮〟と呼ばれる事件。
侯爵時代の本家筋に近かった家は、その時にほぼ壊滅した。
その頃は、現在よりもなお当主の権力が強く、領地内で一族の起こした問題は全て当主の裁量で解決するのが主だった為、グリムド様は裁かれなかった。
一応、粛清理由を聴取した記録があるけれど、そこに記されていた理由はただ一つ……『俺のものをどんな風に扱おうと俺の自由だ』というものだった。
しかし実態はともかく『帝国内の全てのものは帝王陛下の所有物であり、領主は貸し与えられているだけ』という建前は当時から存在したので、ロンダイリィズの被害を被った者の一部や、分家の恩恵を受けていた者たちがグリムド様に罰を与えるよう嘆願したとされている。
しかし、同じくロンダリィズの被害を被った者の大半は、グリムド様に喝采を送ったという。
それも、彼がこの世から消した者たちが、軒並み侯爵家時代の有力者だったからだろう。
それらを全て考慮した上で、新年の夜会などでの彼の立ち振る舞いを見ているアレリラは、グリムド様が苛烈で横暴な面のある人物だ、という印象があった。
「迎えだな」
馬車を降りてから、ほんの1分程で姿を見せたのは、タウンハウスで見かけた老執事、ラトニ氏だった。
「宰相閣下、そしてアレリラ夫人。大変お待たせ致しまして、誠に申し訳ございません」
「さほど待ってはいない。ロンダリィズ伯爵はご在宅だろうか」
「ええ、ですが少々手が……」
と、ラトニ氏が言いかけたところで、門番をスルーして一人の子どもが走り込んできた。
護衛たちが一斉に警戒を最大限に引き上げて武器を構えようとするのを、ラトニ氏が制する。
「ご安心を、護衛方。いつものことにございます」
言葉は静かだが、有無を言わせぬ迫力を奥底に秘めた言葉に、近衛の二人を含む全員の動きが止まる、のと。
「ラトニのおっちゃーん!! 野菜持ってきたぞー!!」
と、頭の上にカゴを掲げた日焼けした少年が、大きな声を張り上げてラトニ氏に走り寄る。
「ベックス、いつもありがとうございます。ですが、今は少々取り込み中です」
「え? ああ、お客さん?」
ベックスと呼ばれた少年は、キョトンとした顔でこちらを見回してから、すぐにラトニ氏に視線を戻して野菜が満載に入ったカゴを押し付ける。
「カーチャンに言われてこれ届けに来ただけだから、すぐ帰るよ! お客さんたちも、ゆっくりして行ってなー!!」
相手が貴族だったり騎士だったりするのに、全く気後れした様子も遠慮もなく、快活な笑顔でブンブンと手を振るベックスに、アレリラは思わず手を振り返していた。
そしてまた、来た時と同じ勢いで走って去っていった後。
「申し訳ありません、お騒がせ致しました」
「……少々、驚きました」
あの少年は、確実に平民だろう。
それが、領主の屋敷に顔パスで入り、自由に振る舞っているのだ。
「ロンダリィズ領は、治安が良いようだ」
「我が主家は羽振りこそ良いですが、領地は然程広くありません。この近隣の者たちは皆、顔見知りでございますから、外部からの侵入者はすぐに分かりますので」
イースティリア様は嫌味を口になさった訳ではないけれど、ラトニ氏は暗に警備体制についての返答をした。
「そして、誰よりも彼らと顔見知りなのが、御当主様にございます」
「なるほど。それがロンダリィズの方針か」
「左様にございます。では取り次ぎますので、ご足労ですがこちらへお願い致します」
野菜をカゴを脇に控えた侍女に渡し、慇懃に頭を下げた老執事は、屋敷の中へと足を向ける。
そうしておそらく当主の執務室らしき部屋が見えてきた辺りで、ドスの効いた大声が聞こえた。
「何だぁ? するってぇとテメェらは、この俺の言うことが聞けねぇってことか? あぁ!?」
と。




