ロンダリィズ伯爵家の老執事。
「爺や!」
エティッチ様に背後から声を掛けられ、ロンダリィズ伯爵家の老執事ラトニは、笑みを浮かべて振り向いた。
「おや、どうなさいましたか、エティッチ様」
このロンダリィズの末娘はクセの強い主家の中でも特に社交的だが、代わりに礼儀礼節が父グリムド様に似て少々なっていない。
今も、年頃の娘だというのに軽やかに廊下を走って来ている。
が、人前でなければラトニはそういう部分を注意はしない。
女主人ラスリィ様の雷を何度落とされても変わらない以上、言っても無駄だからである。
「これから、アレリラ様が来るのよね! いつ来るのかしら!」
頬に組んだ両手を当てて、きゃー! と歓声を上げながらクルクルと回るエティッチ様の様子に、ラトニは笑みを浮かべたまま目を細める。
このロンダリィズ伯爵家において、エティッチ様は平和と幸せの象徴のような少女なのだ。
「三日後、とお伺いしておりますよ」
「待てないわ!!」
「エティッチ様がお待ちになれなくとも、時間の流れる速さは変わりませんので、諦められませ」
「もう! 爺やはいつも正論ばかりね! もうちょっと人の気持ちを考えたらどうですの!?」
「これはこれは、失礼を」
ぷん、と頬を膨らませる彼女に、形ばかりの謝罪をする。
前当主の代から仕え、グリムド様とその三人の子の教育に関わっているラトニにとって、こういうエティッチ様をあしらうのも慣れたことなのだ。
「そんなんだから、奥様と離婚もするし、子どもも訪ねて来ないのよ!」
「ははは、耳の痛い話ですな」
そう答えるものの、元オーソル男爵家の者たちが訪ねてこない理由は、ラトニが嫌いだからではない。
とっくの昔に……爵位を剥奪された時点で、この世にいないからだ。
「もう……ただの売り言葉ですのに。爺やはなんで反論しませんの?」
「事実にございますれば」
「爺やは、離婚した後に好きになった人とかもいないの? いつも仕事をしているわよね」
「おりませんな」
あっさりと、そう答える。
彼女は知らないが、ラトニはそもそも宦官である。
ロンダリィズ伯爵家に執事として参じた時からそうである為、仮に夫婦となるような相手を見つけても子も為せなければ、夫婦の営みをすることも出来ない。
そして仮に出来たとしても、それをしてはいけない理由も、あるのだ。
「エティッチ様こそ、ウルムン子爵と仲直りはされたのですか? しばらくの間怒っておられましたが」
どうやら、お互いに憎からず思っているというのに、あのヘタレ子爵が『自分なんかで良いのか』と悩み始めたらしい。
それを巡って、エティッチ様が『そんなくだらないことで悩むなんて! 私のことが好きじゃないの!?』と大爆発していたのだ。
「仲直りしたわよ! 土下座までして来たから許してあげたわ!」
「させたのでしょう」
話を逸らすために尋ねたものの、ラトニはその一部始終を知っている。
何度も手紙で謝罪しているのに許されなかったウルムン子爵が、わざわざロンダリィズ伯爵家のタウンハウスまで訪ねて来たのに、対応したのは自分である。
ドアの外で『本当に私のことが好きなら誠意を示しなさいよ! 傷ついたんだから!』と怒るエティッチ様の声を聞き。
その直後に『申し訳ありませんでした!』というウルムン子爵の声が聞こえ。
『土下座ですって……!? そこまで私のことを……!』という、よく分からない感動をしているエティッチ様の呻きを聞いたからだ。
彼は将来的に、確実に彼女の尻に敷かれることだろう。
能力的には優秀で、根の部分は善良な人物である為、ラスリィ様は呆れながらも認めている。
ちなみに当主グリムド様は、そもそもアザーリエ様の件でも分かるように『ロンダリィズの人間なら、自分の男くらい自分で捕まえてこい!』という人物である為、基本的には放置である。
「ああ、待ちきれないわ! 待ちきれない!! 爺や、時間を早めなさい!」
「無茶をおっしゃいますな」
主家の方々は、ラトニに対して一切遠慮をなさらない。
執事なので構わないのだが、時に家族のように扱われるので困ってしまう面もないことはなかった。
平民の一使用人、という立場を、生涯貫くつもりであるというのに、ままならないものだ。
「もういいわ!」
まるで幼児のようなワガママと話を一方的に捲し立てた彼女は、地団駄を踏んだ後にまたどこかへ走り去ってしまう。
本当に、既にデビュタントを終えた淑女とは思えない振る舞いである。
またその内、ラスリィ様の雷が落ちるだろう。
それでも反省しない点や、自分が変わり者と気づいていない点が、本当に『今』のロンダリィズであると感じる。
ーーーアレリラ・ウェグムンド侯爵夫人……か。
一度、エティッチ様を訪ねて来られた彼女の顔を、思い出す。
生真面目そうで、隙のない立ち振る舞いをしつつも、ロンダリィズの庭園に目を輝かせていたあの女性は……そう、一目見て分かる程に、ラトニの知る女性に似ていた。
性格も雰囲気もまるで違うが、確かにオーソルの血筋を継いでいると分かる、彼女。
あの日から、思い出すことが多くなった過去の記憶がまた浮かんできて、ラトニは目を細めた。




