ロンダリィズ伯爵家は、謎の多い家です。
「イース様」
「どうした」
「わたくしは昨晩から、少し考えたことがございます」
「聞こう」
イースティリア様と、いつも通りにスケジュールを確認した後。
彼が頷いたので、アレリラは一度深呼吸をした。
敬称のない呼びかけを口にするのは、まだかなり勇気がいることなのだ。
「イース。貴方は以前、わたくしに、自分ではわたくしの喜びを引き出すことが出来ない、というような旨のことを仰いました」
「……ああ」
珍しく歯切れの悪い返事と共に、イースティリア様はどこかバツの悪そうな色を瞳に浮かべる。
アレリラが気にかかっていたのは、その点だった。
この旅行が始まる少し前から兆候があったのだけれど、何故かイースティリア様の自信と呼ばれるようなものが揺らいでいるような気がしたのである。
それに伴って、感情の起伏を制御出来ていないような違和感も覚えていた。
アレリラは、その原因を自分なりに考え、彼にその思いを伝えなければならないと結論付けたのだ。
「わたくしを喜ばせているのは、紛れもなくイースです」
そうはっきりと口にすると、イースティリア様が二度だけまばたきをする。
「イース、貴方がいなければ、わたくしはこの場におりません。そして、この旅行が楽しいと感じられるとするならば、それはイースのお陰なのです」
イースティリア様が実際に足を運んで見聞を広めることの重要性を。
人と同じものを同じように楽しみ共有することが、人との関わりにおいてどれだけ大切なことであるかを。
あるいは楽しめずとも、それに理解を示すことの大事さを、示してくれなければ。
ボンボリーノと和解することも、アーハらと仲良くすることも、マイルミーズ湖を美しいと思うこともなかった。
そしてイースティリア様が婚約を申し込んでくれなければ、再び祖父の領地に足を運び、かつてない程の感動を覚えることもなかったのだ。
他者にどれだけ、査察だ、仕事だと言われようとも、これは間違いなく新婚旅行であり、イースティリア様にも、アレリラ同様に楽しんで欲しいと願うのは、間違いではない筈だ。
「イース。貴方がいたから、わたくしは今のようになれております。ですから、そのようにご自身を卑下する必要はないのです。再度言いますが、わたくしを楽しませているのは、貴方なのです」
そう言って、アレリラはいつもの鉄仮面ではなく、最近覚えた、心からの微笑みというものを浮かべてみせる。
相手がイースティリア様であれば、いつだってこの表情をすることが出来る様になる気がした。
「……イース様?」
話し終えた後、何故かポカンとした表情のまま固まってしまったイースティリア様にそう呼びかけると、彼は我に返った様子で小さく首を振る。
「ああ、いや、すまない」
それだけを口にして、今度は目元を手で覆ってそっぽを向いてしまう。
「イース様」
「少しだけ待ってもらえないか」
「はい」
大人しく待つ間。
記憶にある限り、初めて見るその仕草の意味を理解しようと、アレリラはジッと彼を観察し。
ーーーこれはもしかして、照れておられるのでしょうか?
耳がほんのりと赤く、基本的に引き締まっている口元が緩み掛けているような気がした。
やがて、手を下ろしたイースティリア様は、愛おしげにこちらを見て。
「すまない。あまりの嬉しさに、この場で君を抱き締めて口づけたい衝動を抑えていた」
「……!?」
そんな風に爆弾を落とされて、今度はアレリラがピシリと固まる。
しばらく、お互いに気恥ずかしいような気まずいような、そんな空気が車内に流れ、ガタゴトと馬車の走る音と振動だけが響く。
「アル。話は変わるが、君はロンダリィズ伯爵家の成り立ちについて、覚えているか?」
「はい」
露骨に話を逸らそうとしているとアレリラは見当を付けたが、この気まずい沈黙を続けたい訳でもないので話には乗っかることにした。
「どの辺りから、でしょう?」
「ロンダリィズ家が、一度没落した辺りからだ」
「現当主であるグリムド様の祖父に当たる人物の代ですね。領土と財産の大半を没収され、侯爵家から一気に子爵家に落とされたと記憶しております」
「そうだ。原因は第二王子のシルギオ殿下だ。彼が何らかの失態を犯し、サガルドゥ殿下と幽閉されたシルギオ殿下の王位継承権が剥奪され、シルギオ殿下の母君と、その生家にまで責が及んだ」
王家の醜聞に当たる話だったのだろう。
記録には内容の詳細まで記されていなかったけれど、イースティリア様が口にした事実は載っていた。
祖父のサガルドゥ、セダック陛下、そしてミッフィーユの父に当たるモンブリン公爵は、王妃が産んだ王子である。
だが、シルギオ殿下だけは側妃の子であり、その側妃がロンダリィズ侯爵家の令嬢だったのだ。
その当時から、ロンダリィズ家の家訓は変わっていない。
『貴族たる者、悪辣たれ。』
けれどその当時は真に悪辣であり、領民は重税に喘いでいたという。
そうして富と権力を求め続け、贅を尽くした結果、第二王子の失態により没落。
降爵した爵位そのものも、本家筋から分家筋へと移譲された。
その時に爵位を継いだのが、グリムド様の父親に当たる人物である。
そうして彼とグリムド様の努力によりロンダリィズ家は変わった。
当時公爵家令嬢だったラスリィ様を迎え入れて陞爵し、現在のような権勢を誇るようになったのだ。
領地こそ子爵家の時代からさほど広がっていないが、今のロンダリィズ伯爵家の領民は飢えるどころか豊かな生活を送っている。
「そのお話が、一体どうなさいましたか?」
「爵位を下げ、当主すらすげ替える程の王家に関わる何がしかの失態を犯したロンダリィズ伯爵家が、今のような振る舞いを許されている理由が、おそらくある」
普通であれば、そのような罪を犯した者達がたった二代の短い期間に爵位をある程度回復させることも、富を蓄えることも許される訳がないのはその通りだと、アレリラも思う。
「イース様は、その件について何かご回答がおありですか?」
「いいや。だが、サガルドゥ殿下や帝王陛下の信頼を見るに、王家が関わっている話なのだろう。公爵令嬢の輿入れを認め、北との戦争の要を任され、国家間横断鉄道と大街道の中継点にロンダリィズ伯爵領が選ばれている。かの地は今よりもさらに栄えるだろう。だが、それ程栄えさせても問題ない程に信頼する、何らかの理由があるのだ」
「裏切った貴族家が、信頼に値する何らかの理由……」
王家周りの事情は複雑怪奇で、アレリラにはお手上げだった。
結局詳細を問うことはなかったけれど、祖父が遺失していた転移魔術を操って動いていたという荒唐無稽な話も事実であったし、今回の件についてもそうした常識の範囲外の話であれば、尚のことだ。
「これは、あくまでも推測だが」
「はい」
イースティリア様の口になさった言葉は、やはりアレリラにとっては荒唐無稽なものだった。
「実際は王家に近い血筋の何者かが、ロンダリィズ伯爵家を操っている……そういう可能性も、考えられる」




