もう一人の弟。
「お世話になりました、お祖父様」
どうやら、久しぶりのタイア領への滞在を楽しんでくれたらしいアレリラが、杓子定規ながら心なしか弾んだ様子で頭を下げるのに、サガルドゥは頬を緩ませる。
「また、いつでもおいで。と言っても、ウェグムンド侯爵も君も忙しいから難しいかもしれないがね」
笑みのまま、軽く肩を竦めて見せると、アレリラが少し目元を細めた。
「本当に、気軽に来れるのであれば、何度でも足を運びたいと思います。お祖父様の領は、素晴らしい場所です」
「そうだろう、そうだろう」
まったく、孫娘というのはどうしてこんなにも可愛いのか。
娘であるタリアーナも当然可愛いが、また違った愛おしさが湧いてくる。
しかし、ここで意地悪をしたくなるのもまた、サガルドゥだった。
「もし、君が堅物の旦那様と喧嘩してどうしても戻りたくない、顔も見たくないと思った時に、この領を訪ねるといい。一歩も足を踏み入れさせないことを約束しよう」
「冗談でもおやめ下さい。王兄と宰相閣下の全面衝突など見たくもありませんし、そもそも、わたくしとイース様が喧嘩をしたことは一度もございません」
せっかく緩み掛けていたアレリラの表情がキュッと鉄仮面に戻るのを、少々残念に思いつつも面白がってしまうサガルドゥは、軽口を叩き続ける。
「残念だ。我とソレアナは喧嘩ばかりだったよ。いや、一方的に文句を言われている感じかな。彼女は優しいけど気が強くてね」
「お祖母様は、気がお強かったのですか?」
「それはもう。元々はスラム街に近い場所で、タフに生き抜いて来た女性だったからね」
本来なら、知り合うこともなかった女性。
彼女の辿った数奇な運命を思えば、本当に自分との暮らしが幸せだったのかは分からない。
金銭面、生活面では不自由なく過ごせただろう。
しかしあの当時、ソレアナとタリアーナはいつ誰に狙われるか分からない立場であり、年に一度開催される新年の夜会に参加することすらままならなかった。
何の後ろ盾もないまま、王家の血筋に連なる落とし胤『かもしれない』子を産むというのは。
サガルドゥが膝元で保護していたとしても、それ程に危険なことなのだ。
実際、北との戦乱を納める為にサガルドゥが領の側を離れた時を狙って、テナルファスが動いたように。
ーーーあれは十中八九、シルギオの差し金だろうね。
あの男は、当時の第二王子に忠実だったから。
色々と入り組み、捻くれた状況に複雑な思いはあるものの、あの件で唯一許せなかったのは、タリアーナの心に深く恐怖を刻み込むような形で『あれ』を実行したことだった。
「アレリラ。我がソレアナに似ていると思った女性は二人いる。その内の一人が君で、もう一人が今から会いに行くアザーリエ・レイフ公爵夫人だ」
「……失礼ながら、あの女性とわたくしは全く似ていないと思われますが」
「そう、君たち二人は似ていない。けれどソレアナの芯にあった、頑固で、感情すら割り切れるような冷静な部分が君に似ていて、周りを和ませ笑顔にさせるような明るい部分が、アザーリエ夫人に似ているんだ」
アレリラは、理解に苦しむような様子でかすかに眉根を寄せる。
「……少なくとも、わたくしの知る限り、レイフ公爵夫人は控えめで引っ込み思案な人物に思えていますが」
「おや」
サガルドゥは、彼女の言葉に少し驚く。
「君は〝傾国の妖女〟の、あの色香のカーテンに惑わされなかったのだね?」
「おそらくは。ぺフェルティ伯爵も、同様かと」
「そうか、そうか。……君たちはどちらも優秀なのに、本当にソリが合わなかったのだねぇ……」
どこかしみじみと、ボンボリーノのあの能天気で可愛い笑顔を思い浮かべながら、深く頷いた。
「でも、その控えめで引っ込み思案な、要は人見知りの部分を剥ぎ取れれば、アザーリエ夫人はとんでもなく可愛い女性なのだよ。君なら、そんな本質部分を目にすることも出来るだろうし、彼女と話すことは先日も言った通り、君にとって大変有意義だろう」
何せ相手は〝労働環境改善の慈母〟である。
その御大層な二つ名を口にして顔を真っ赤にさせるようなからかい方をしては、あの恐ろしいダインスに剣を抜かれている。
ちなみに、サガルドゥは自分のこの性格を改善するつもりが全くないので、これからも剣を抜かれることだろう。
「おや、ウェグムンド侯爵も来たようだね」
玄関が、使用人の手で先んじて開いたのを見て、サガルドゥは小さく頷く。
彼に、『書庫から必要だと思う資料を自由に持っていって良い』と言ったところ、こんな出発直前まで書庫にこもっていたのだ。
アレリラが、女性が持つには珍しい懐中時計をカパリと開いて、時間を確認する。
「日程遅延ギリギリの時間ですね。閣下にしては珍しいことです」
「アレリラ、呼び方に気をつけないと。イース様、と呼ぶことにしたんだろう?」
「…………はい」
また、ついついからかうような言葉を口にすると、アレリラが案の定恥ずかしそうな反応を見せた。
ピシッと固まった後、耳の先だけがほんのりと赤くなったのだ。
「ウェグムンド侯爵は時間ギリギリだけど、それについては怒らないのかい?」
「はい。予定が守られていますので。また、出立の準備がなければ、わたくしも同じようにギリギリまで書庫探索に参加したかったくらいです」
「ボンちゃんの時とは違って、君たちは本当に気が合うようで素晴らしいね」
そう、軽く賞賛の意味を込めて手を叩くが、アレリラは別のところに反応した。
「……ボンちゃん?」
「おっと、少し気を抜いたかな。我は、彼とは仲良しでね。そう呼ばせて貰ってるんだ」
あの子もあの子で、アレリラやフォッシモとは別の意味で可愛い。
普段はとんでもないおバカで、予測不可能な部分が多いが、何故か彼が関わると全てが上手く行く不思議な人物である。
「では、先に馬車に乗り込んでおくと良い。我が手を貸そう」
「畏れ入ります」
そうしてアレリラが乗り込んだ後に現れたイースティリアとも挨拶を交わした際に、サガルドゥは彼にも一つ忠告を与えておく。
「本当に世話になりました、タイア子爵。この御恩は、帝国の繁栄を以て返させていただきます」
「うん。アレリラにはアザーリエ夫人に会うように伝えたけれど、君にはかの家の執事長に会うことをお勧めしておくよ、イースティリア・ウェグムンド宰相閣下」
その言い方で、ただ人に会えと言っている訳ではないことを察したのだろう、彼の目に、スゥ、と冷徹な色が宿る。
「何か、あるのですね」
「ああ。サガルドゥから会うように言われた、と伝えると良い。執事長の名は……ラトニ・オーソル」
サガルドゥがその名を、馬車の中には聞こえないように囁くと、イースティリアが鼻から息を吸い込んだ。
「一度、ロンダリィズ伯爵家のタウンハウスでアレリラが会ったことがあるそうですが。彼の苗字は、オーソル、なのですね?」
「そうだよ。……爵位を剥奪された、ソレアナの父親だ」
妾の子だった彼女を無理やり貴族令嬢に仕立てて利用し、王族に取り入ろうとした男性の名である。
「何故、そんな人物がロンダリィズ伯爵家の執事を?」
「元々、あの件の黒幕……裏でオーソル男爵家を操っていたのは、当時のロンダリィズだったからね。君は帝国宰相として、全てを知っておく義務がある。私やイントアのことばかりでなく、それ以外の物事においても」
この件に関しては色々と種明かしがあるのだが、それらは全て、イースティリアがラトニに会った時に知ることだろう。
「全ては繋がっているのだ。帝国の闇を次に引き継がぬ為に、論理のみならず情を解することが施政においてどれ程大切なことか……アレリラを得た今の君なら、理解出来るだろう」
「努力致します」
「うん。……それと、アレリラの出自に関する話だけれど」
「はい」
「『紅玉の瞳』なき者は、たとえ血族であっても継承者足り得ないことを覚えておくことだ。アレリラも、フォッシモも、タリアーナも例外なく。……おそらく、シルギオの血を引いてはいないし、引いていても問題はない」
サガルドゥは、王家の鉄の掟をイースティリアに伝えた。
例え長子であろうとも、瞳なき者の王位継承権は下がり、傍系であろうとも瞳を持つ者が王位継承権の上位となる。
それが、王家の鉄の掟だった。
「なるほど……ご厚意に感謝を」
イースティリアの声が少し柔らかくなったのは、『アレリラが利用される危険』が低くなったことに関する安堵だろう。
「帝国の未来を頼みます。帝国宰相閣下」
最後に臣下の礼を取ったサガルドゥに、イースティリアは普段よりもさらに背筋を正し、同様に最敬礼を取る。
「全霊を賭して、民にとってより良き未来をもたらすことが出来るよう、尽力致します。王兄殿下」
その言葉に満足し、サガルドゥは頭を下げたままイースティリアが馬車に乗り込むのを待ちながら、嬉しさに笑みを浮かべる。
ーーー民にとって、か。
イースティリア・ウェグムンドは、この国の未来を任せるに足る男だと、サガルドゥは思う。
セダックとレイダックは、良い臣下を持った。
ーーー王たる者には、両輪たる臣下が不可欠だからな。
ついぞ、サガルドゥには得られなかった存在である。
二人が乗った馬車を見送ったサガルドゥは、そのまま、しばらく会っていない『もう一人の弟』に思いを馳せる。
幽閉されたとされている彼と、最後に二人で言葉を交わしたのは、もう何十年も前の話だ。
『国とは王だ、兄上。優れた為政者がいなければ、国は沈む』
かつてそう口にした異母弟の顔を思い浮かべて、サガルドゥは目を細める。
ーーーいいや、国とは民だ、シルギオ。その考えに変わりはない。
王は、独りで王としては立てない。
何十年経とうと、その思いは変わらないが……『国の為に優れた為政者が必要である』という考えそのものは、今となっては受け入れられるように思えた。
ーーー我らは、当時片輪同士だった。両輪足りうれば、違う未来があったのだろうな。
だが、全ては過ぎたこと。
そう思いながら、サガルドゥは独り、屋敷へ戻る為に踵を返す。
ーーー君の考え方は、あの当時から少しは変わったかい? シルギオ。
お待たせ致しました。更新再開致します。




