弟が成長していました。
「いくらウェグムンド侯爵家の揺れない馬車と言っても、流石に二日で出立は強行軍過ぎない……?」
ダエラール本邸に着き、アレリラは元々自室だった部屋で体を休めていたところ。
顔を見せたフォッシモが、予定を聞いて呆れたように片眉を上げるのに、事実を述べた。
「予定が押しましたので、仕方がありませんね」
「それでも三日でしょう。普通は一週間程度置くものだと思うよ? 体を壊したらどうするの」
少し見ない間に弟の顔つきがしっかりした気がするのは、本格的に領地経営に携わり始めたからだろうか。
背も少し伸びて、顔立ちが少年から青年のそれになっている。
「心配はありがたいですが、問題はありません」
元々、体は丈夫な方で、馬車酔いもしない質だ。
事務仕事で朝から深夜までほぼ机に向かいっぱなしの忙しい時期を考えれば、馬車に揺られているだけで良いのだから、体への負担は少ない方だろう。
「それよりも、フォッシモ。ペフェルティ領からの道程で目にしましたが、西部領の棚田地帯に手の入っていない畑が目立つようです。何か理由が?」
もしかして出稼ぎに行っている者が多いのか、とアレリラは推察していた。
短期的に考えると、そちらの方が稼げるのだけれど、食糧の確保が疎かになると徐々に自給率が落ちる。
結果として、必要な食料の購入に嵩む費用で領地の支出が増えてしまうのだ。
それを懸念しての問いかけだったが、戻ってきた返答はさらに状況としては悪いものだった。
「ああ……金山の管理を任されることになっただろ? それで人足を集めたら、めちゃくちゃ応募があってさ……」
その言葉に、アレリラは思わず眉根を寄せた。
「フォッシモ」
「分かってるよ、姉さんの言いたいことは。だけど仕方ないだろ? 誰かにだけ金発掘の利益が行くってなると、それも不満が出るじゃないか。食料確保の概算は一応、最低ラインは確保してるよ」
「それは、問題の本質を理解した判断ではありません」
アレリラは、痛いところを突かれたような顔をする弟を静かに見つめる。
確かに、不満が出ない采配を行うのは大切なこと。
大切なことだけれど。
「収穫高に余剰がある、というのは、結果としてそうなるだけの話です。天候や虫害の発生を考慮していないギリギリの人員配置は、不測の事態が発生した場合に必要物資の不足に繋がります」
フォッシモの言う最低ラインとは、全てが上手く行った場合の数字なのだ。
中央に納める税と、ダエラール子爵家や領民が一年間、食い繋ぐことが出来る『最低の数字』なのである。
その『余剰分』と評した部分が、災害対策や道の整備などを行う財貨になり、またダエラール子爵家の貯蓄となる。
「でも、税は上がって来た利益によって変動するだろ?」
「12確保した分の2割を支払うことと、10確保した分の2割を支払うことと、8確保した分の2割を支払うことが同義だと思っているのであれば、貴方はもう一度学び直す必要がありますね」
「領民の分は、人足として動く男連中が稼いでくる分の金があるじゃないか」
「額だけで見れば、利益は高いでしょう。ですが、帝国全体で食糧の不足が起こればどうします? 価格が高騰します。そうして遠方から運んで貰うことになれば、さらに運搬料が嵩むのです」
人手はタダではない。
口にする物を確保する為に、間に誰かの手が入る可能性が高くなればなるほど、それは最終的に物資の値段になって跳ね返ってくる。
稼いだ分を超える値段を支払う可能性だって、出てくるのだ。
「『起こらないだろう』という楽観は、下手をすれば民を殺すのですよ、フォッシモ」
「参ったな……姉さんには口では勝てないね」
フォッシモは苦笑して、両手を開いて種明かしをする。
「実は僕も、似たようなことを言ったんだよ。でも、父上と皆に押し切られてね。どうすれば良いと思う?」
「何を言い争っている?」
彼が問いかけて来たタイミングで、イースティリア様が顔を見せた。
父と領地間の関税について話をしに行くと言っていたのだけれど、もう終わったのだろうか。
多分、父が首振り人形のように提案に頷くだけだったのだろう、とは思うけれど。
「金山管理関係の人員配置で、領地の運営に支障が出ているそうです」
アレリラがフォッシモと言い合っていた理由を説明すると、イースティリア様は顎に指を添えた。
「なるほど、それは問題だな」
「宰相閣下なら、どう解決致しますか?」
人の手を借りているとはいえ、ダエラール領とは比べものにならない広大な領地と帝国全体の采配を行うイースティリア様の出す案に興味があるのだろう。
フォッシモが興味津々の様子で問いかけるのに、イースティリア様はあっさりと答えた。
「二つ解決案がある。一つ目は、誰かに責任を持たせてしまえばいい。もう一つは、別の対価を示して引き戻すことだ」
「責任を持たせる、というのは?」
「領地内にも集落があるだろう。代表者がいて、税の取りまとめなどを行なっている筈だ。視野の広い聡い者であれば誰でも良いが、物事を理解出来る者に説明の後、ある程度の権利を与えて義務を負わせる。報酬と罰則を提示すれば、必要な人手の確保や説得を、その人物が行うだろう」
要は、ウェグムンド領の小領主のように『その地域の収穫量を管理する存在』を作る、ということだ。
「では、別の対価とは?」
「一つ目と似たようなことだが、アレリラの言う最低限の財源と税、食糧の確保をさらに小さく分けた上で、必要十分なノルマを『個人』に課すことだ」
現状のように、村全体の責任として収穫量を確保するのと似ているが、イースティリア様のご提案は考え方としてはさらに一歩進んだものだ。
「『収穫にノルマ以上の余剰が発生すれば、それを個人の資産とする』というような領法を作ることは、禁止されていない」
つまり、収穫高の一部を、村の利益ではなく個人の利益にしてしまうのを許す、ということだ。
領民が出稼ぎをする意味は、この『個人の資産』が得られるのが、内職した物を売るか外で対価を得るくらいしか手段がないことにも由来していた。
二つ目に対して少し歯切れの悪い言い方になったのは、帝国法的にグレーゾーンの話だからだろう。
確かに禁止はされていないけれど、基本的に『領民と領地の資産は帝国のものである』とされる。
領主は帝王陛下から土地を預かっているだけ、という法の定めは、第二代皇帝の頃に制定されたもので、領主の領民への横暴を防ぐ目的で作られた。
しかし実態として、権利関係はさほど変わっていない。
領民の訴えに中央が介入出来るように、と定められただけである。
それを勝手に『個人の資産として良い』とするのは、厳密には法に反する。
が、税を納めないことに対する罰則はあっても、余剰分を領主が個人の裁量で分配することに対する罰則はないのである。
「宰相閣下がそれを薦めて良いんですか……?」
フォッシモも気付いたのだろう、軽く頬を引き攣らせるが、イースティリア様は動じなかった。
「現法の改正は、元老院で既に議題に上げている。領地を持たない商人貴族や、定めた家を持たない平民の行商人の権利確保と合わせて、権利関係を明らかにすることが今後必要になって来ているからだ」
経済の実態と法は、往々にして乖離する。
法が基本的に後追いであるからだが、本来ならアーハの父は『準男爵』という地位に当たる。
準爵位は、領地持ちの男爵位と同様の税を課され、権利を与えられるのだが……最近そうした領地を持たず交易を主とした商人貴族の方が、資産が多く力を持ち始めているのである。
しかし、階級としては準の方が劣るという慣例があり、それで衝突や差別が起こる問題が頻発したことで、イースティリア様はそれを是正しようとなさっていた。
「故にウェグムンド領では、帝王陛下の許可の元、既にそうした施策を行っている。成功事例が多ければ改正の後押しになるからな」
「凄いですね……」
フォッシモは唇を指先で撫でて思案してから、すぐに答えを出した。
「個人資産とする、方を試してみることにします。それを踏まえての、ご相談なんですが」
「ああ」
「兄上から、父に口利きして貰えます? 爵位を継ぐまで、後少し耐えようかと思っていたのですが……本格的な動きが始まる前に対処しておいた方が良さそうなので」
ニヤリと笑うフォッシモに、アレリラは内心で驚いた。
ーーーいつの間にか、強かになっていますね。
どうやら、弟が変わったのは外見だけではなかったようだ。
もしかしたら、アレリラの指摘にたじろいだ態度を見せたのも、演技だったのだろうか。
ーーーいつまでも、子どもではないのですね。
アレリラ自身が変わり始めているように、フォッシモも変わっていっているのだろう。
以前なら、その変化に戸惑いを覚えたかもしれないけれど、今は『頼もしくなった』と思えるのが、自分でも不思議だった。
イースティリア様は、フォッシモの茶目っ気まじりのお願いに、目線を和らげて、これまたあっさりと頷いた。
「良いだろう。隣接する領を預かる義弟に貸しを作っておくのも、悪くはないからな」
時系列が少し前後しているので説明しておくと、新婚旅行の頃のフォッシモは、まだミッフィーユと出会っていません。
この後の社交シーズンにある、爵位授与の披露宴で出会う形ですね。
アレリラと共にフォッシモの成長を祝ってくださる方は、ブックマークやいいね、↓の☆☆☆☆☆評価等、どうぞよろしくお願い致しますー!