マイルミーズ湖に来ました。
「ようこそおいで下さいました!」
翌日も天気が良く、マイルミーズ湖を訪れたアレリラ達を、緊張した面持ちの男達が出迎える。
交易街への上下水道の工事に携わった貴族と平民達である。
結局全員を呼びつけることはなかったが……その中には、ボンボリーノの父である前ペフェルティ伯爵と、アーハの父であるコルコツォ男爵の顔があった。
彼らに同席してもらった理由は、祖父の話を聞くためである。
「ご足労いただき、感謝する」
「滅相もございませんッ!」
「お、お目通りの機会をいただき、こちらこそ感謝しております!」
明らかに二人の顔が引き攣っているが、その理由はそれぞれに違うだろう。
ボンボリーノの父は、アレリラの破談を踏まえた上で夫となったイースティリア様に何を言われるか、という怯え。
アーハの父は言葉通り、普段なら決して直接会話する機会がない宰相の接待、という状況への緊張だ。
「早速、上下水道の工事内容と現状についてお伺いしたいが、よろしいか?」
「勿論です! こちらへどうぞ!」
ボンボリーノの父は、マイルミーズ湖の脇に立つ木造の建物……おそらくは管理用の施設なのだろう……場所へと、イースティリア様を促す。
アレリラはそれを見送った。
おそらく同席しない方がボンボリーノの父の心労が少ないだろう、という配慮である。
「いつも偉そうにしてるのに、父上が小さくなってたねぇ〜!」
「それはそうよぉ〜! アナタのせいなんだから、ちょっとは可哀想だと思ったらぁ〜?」
なぜか楽しそうなボンボリーノに、アーハが至極当然のツッコミを入れている。
アレリラはそんな二人を横目に、マイルミーズ湖に目を向けた。
湖は、ペフェルティ領の山岳部……実家のダエラール子爵領とウェグムンド領を含む三角地帯に存在する金山銀山のある山……の北端、交易街に続く街道近くに位置している。
昨日滞在していたペフェルティ本邸は、北西〜南東にバナナのような形で存在するペフェルティ領の真ん中辺りに位置している。
アレリラがこちらの領を訪れる際にはダエラール領から向かっていた為、目にする機会がなかったのだ。
片側に崖を持ち、その間にある上流の川から水が流れ込んでいる。
崖は美しい半円を描く眼前の水際に繋がっており、そこから繋がる下流の川が存在する平野側には水門が存在していた。
周辺の緑が豊かで、注ぐ陽光が透き通る青い湖面に煌めいている。
そのコントラストも美しいが、水の透明度は、手を伸ばせば届くのではと錯覚するくらいに透き通っており、浅瀬部分ははっきりと底まで見えるほどだ。
湖そのものの大きさは帝国内でも上位にあり、対岸は霞んでいる。
「お昼ご飯はどこで食べようかしらねぇ〜?」
自由なアーハは今、観光よりも食い気なのか、楽しそうな足取りで侍女を連れて馬車の方に向かって行く。
アレリラは、水辺の少し涼しげな風を感じながら、目を細めた。
「……美しいですね」
それは、素直な感想だった。
イースティリア様が、足を運んでおくべきだと口にした理由も、分かる。
知識だけでは得られない体感というのは、きっとこういうものなのだろうと。
そう思っていると、隣のボンボリーノが珍しく驚いた顔をしており、こちらを見ていた。
「どうなさいましたか?」
「いや〜……良かったねぇ〜、アレリラ」
問いかけると、ボンボリーノはすぐにいつもの、少し気が抜けたような満面の笑みを浮かべて、親指を立てる。
周りに誰もいないからか、呼び方がウェグムンド夫人から、昔のように呼び捨てに変わっていた。
「良かった、ですか」
「そうだよぉ〜。だって、綺麗だと思えるようになったんでしょ?」
彼の言葉の意味が、一瞬理解出来なかった。
マジマジと今度はアレリラの方からボンボリーノを見つめるが、今度は彼の方が湖に目を向けている。
「昔のアレリラならさ〜、きっと景色を楽しむよりも、あの小屋に行って資料を見たがったんじゃないかなぁ〜?」
「それは……そうかもしれませんが」
それの、何が『良かった』になるのだろう。
疑問が拭えないままのアレリラに、ボンボリーノは言葉を重ねる。
「何かをさ、キレー! とか スゲー! とか思う気持ちを誰かと共有できるって、めちゃくちゃ良いことじゃーん?」
「……」
「オレはさ〜、皆で『楽しい〜!』ってことするのとか、笑ってるのとか好きだからさ〜! アレリラも、そういうので盛り上がれるようになったなら、嬉しいよね〜!」
ボンボリーノは。
何か裏がある様子もなく、いつも通り素直な口調で告げる。
ーーーそのように、思っていたのですか。
旅行に行ったり遊びに行ったり。
勉強もせずにそんなことばかりしていて、何の意味があるのだろうと、昔は思っていた。
『オレはさー、あの湖めっちゃ綺麗だったよ〜って言いたかっただけなんだけどね〜』
昔、彼がマイルミーズ湖への旅行に行った後。
話題を振られたアレリラは、湖そのものの話ではなく、上下水道の設営に関する返答をした。
その時のボンボリーノの、少し困ったような、どことなく悲しげな表情の、意味が……今なら、分かる気がした。
「きっと、ウェグムンド侯爵のお陰なんだろうね〜!」
一人でどんどん上機嫌になっていく、ボンボリーノに。
彼の口にする言葉の意味に。
気づけるようになった自分の変化に、アレリラは戸惑う。
ーーーイースティリア様の。
思い返してみる必要すらなく、それはその通りだ。
人の成長には、勉強面だけではなく、情緒面と呼ばれるものがある。
知識や礼儀礼節なども重要だけれど、人の気持ちを慮る力というのは、人と関わることでしか養われないのだと、当時のアレリラは知らなかった。
正しいことを述べている筈なのに、時に人とぶつかり、遠巻きにされていたアレリラは、ボンボリーノよりもよほど、情緒面では子どもだったのだ。
それを一つ一つ、理解できるように教えてくれたのは、間違いなくイースティリア様だった。
両親も、ボンボリーノも、かつての上司も……きっと伝えようとしてくれてはいた。
だけれど、アレリラの心には響くことがなかった。
それは多分、彼らの問題ではなく、アレリラ側の問題。
形の上では尊重していても、本当の意味で彼らのことを知ろうとはしていなかったから。
尊敬し、少しでも近づきたいと思う気持ちがあれば、きっと違ったのだろうけれど。
心からそう思った初めての相手が、イースティリア様だったから。
あの方がいなければ、アレリラはきっと、ずっと昔のままだったのだろう。
今、ボンボリーノとこうして、湖を見ながら話すことも、なかった。
改めて景色を見ても、やはり美しいと思う。
だから。
一度目を閉じたアレリラは、微笑みを浮かべて、かつての婚約者に告げる。
「……ありがとう、ボンボリーノ」
最後まで恋仲にはなれなかった、これからもきっと、心の底からお互いの全てを理解しあえることはないだろうけれど。
それでも長い時間を共に過ごしてきた幼馴染みであり、今は友人でもある彼に。
アレリラがこの景色を美しいと感じることを、喜んでくれた彼に。
そう、礼を述べる。
その後の、ポカンとしたボンボリーノの顔を面白いと思えることもまた、周りが望んでいた自分の成長なのだろうと感じて、アレリラはますますおかしくなった。
遅い思春期ッ!←
この話、ずっとやりたくてようやく書けました。
どうせボンボリーノくんは脊椎反射で喋ってるんですが、こういう友達がいたら本当に楽しいだろうなぁと思う作者です。
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