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廃嫡した第一王子。

 

「リシャーナ。君との婚約を破棄しようと思う。我の有責でな」


 バルザム帝国第一王子、サガルドゥは。

 貴族総会のパーティーの最中、朗らかな笑みと共に婚約者リシャーナ・オルムレイド侯爵令嬢に婚約破棄を突きつけた。


 ーーーいや何やってんの、兄者!?


 それを壇上、父母の横から見ていた第三王子セダックは、その愚行に息を呑んだ。


 いつも飄々としていて優秀な一番上の兄。

 今八歳であるセダックが見ても、その聡明さと快活さに憧れているサガルドゥの行動は『愚か』だと思えたのだ。


 兄の横には、黒髪の男爵令嬢がひっそりと立っているのが見える。


「兄上。貴殿は、自分が一体何を言っているのか、分かっているのか!?」


 と、声を上げたのはセダックではない。

 兄の婚約者であるリシャーナとそれまで談笑していた第二王子、二番目の兄であるシルギオだ。


「十分に理解しているとも、シルギオ。さ、リシャーナ。返答をくれないか?」


 いつもの飄々とした顔で、サガルドゥは片目を閉じた。

 そんな彼に、リシャーナはどこか諦めにも似た悲しげな表情で問いかける。


「……わたくしに、何か至らぬ点がございましたか?」


 ーーーいや、あるわけないだろ!?


 サガルドゥと男爵令嬢を見比べた彼女に、セダックは心の中で突っ込む。

 リシャーナは兄にも劣らず聡明で、一点の曇りもない美貌と知性、貞淑さを持つ金髪碧眼の控えめな女性だ。


 セダックはいずれ義姉となる彼女に、憧れ以上の強い感情を抱いていた。

 それを初恋と呼ぶのだと、からかい混じりの残酷な現実を教えてくれたのは、他ならぬ彼女の婚約者であるサガルドゥだった。


 直後に、自覚と共に訪れた失恋に凹むセダックを抱きしめてくれた母上に、みっちり怒られていたけれど。


 バルザム帝国の直系血族は、皆同じ特徴を持っている。


 浅黒い肌に、紅玉の瞳。

 側妃が母親である次兄シルギオだけは父上似で、サガルドゥとセダックは帝妃である母上に似ていた。


 そして、この場の主役とも呼べる中の最後の一人である男爵令嬢は、黒髪青目の少女。


 美人だとは思うけれど、淑やかさの中にも華のあるリシャーナに比べて、どこか陰が差すような暗い顔をしている。

 左目の下にある泣きぼくろと、胸のおっきさが目立つ体つき。


 二人を比べれば着ている服も立ち姿もリシャーナの方が……高位貴族なのだから当然なのだけれど……美しく、高潔な淑女としての名に恥じないもので、兄が従えている少女はどことなく猫背気味だ。


 お腹が痛い時のような姿勢で、そのせいで胸のおっきさが強調されている気がする。


 これがシュラバってやつかな……なんてちょっと現実逃避気味に考えていると、サガルドゥはリシャーナの質問に、ことも無げに肩をすくめて見せた。


「至らぬ点だって? もちろんあるとも。我にも、君にもな」

「……以前にも、お話はさせていただいたと思いますが……そちらのソレアナ・オーソル男爵令嬢に、なんらかの関係がございますか?」


 黒髪泣きぼくろの少女は、ソレアナ、というらしい。

 名前を呼ばれた少女が肩を震わせると、サガルドゥが庇うように少し体をずらした。


「そうだな。至らぬ点と関係なくもない。我は、彼女と婚姻を結ぶこととした」


 そんな爆弾発言をしれっと落とした長兄に、パーティーの場が大きくざわめく。

 このまま順当に立太子すると目されていた第一王子の、突然の暴挙だ。


「正気か、兄者……リシャーナ嬢に恥を搔かせた上に、そんな娼婦令嬢を国母とする、と?」


 シルギオが唖然とし、それに、彼の取り巻きが同調する。


「そんな事が認められる訳がない。貴族の血筋と帝妃の地位を何だと思っているのだ……!」

「誰も支持せんだろう。リシャーナ嬢とアレでは比べるべくもないというのに」


 それを見て、サガルドゥは冷たく目を細めた。


「イントア侯爵令息。そして、ハルブルト伯爵令息。そなたらに発言を許した覚えはないが」


 王族とその婚約者の会話に、低位の者が割り込むのは不敬である。


 セダックも知っているくらいの礼儀だ。

 つまり『血筋を口にする割に、見合った礼儀をわきまえていないな』というサガルドゥの皮肉である。


 二人の令息も正確に読み取ったのか、唇を引き結んで眉根を寄せた。


 それを読み取れる程度には、セダックも優秀だと言われている。


 が。


「……ショウフって、なんですか……?」


 セダックが母上にこっそり問いかけると、彼女は他所行きの穏やかな顔で……でも、目の奥が笑っていない顔で、小さく答えてくれた。


「また今度、教えてあげましょう。……この場でのことも、本来なら貴方に聞かせる話ではないのですが、関係があるのですよ」

「そうなのですか……?」


 セダックは、よく意味が分からないながらも、頷いて目を戻した。

 どうやらサガルドゥの行動は、帝王である父上と、帝妃である母上も承知の話らしい。


 なら、何か考えがあるのだろうと、成り行きを見守る。

 視線の先では、リシャーナが失望を隠しきれない目で、ソレアナを庇うサガルドゥを見つめており、セダックは少し心が痛んだ。


「申し訳ありません、殿下。よろしければ、その提案を受け入れる前に、わたくしがその方に劣る部分を、教えていただけますか?」

「特にないな」

「……ない、のですか?」


 あっさりとしたサガルドゥの答えに、リシャーナが戸惑う。


「我は『至らぬ点がある』と言っただけで、君とソレアナを引き比べている訳ではない。君は賢明で、高潔な女性だ。次期国母としての自覚も十分にあり、非常に優秀。仮に今のままでも、我々と同じ世代で君ほど国母に相応しい者はいないだろう。……だが」


 長兄は、まっすぐにリシャーナを見据えて、こう口にした。



「真に国母として立つには、今の君は視野が狭すぎる」



 シィン、と、それまでのざわめきが消える。

 それは言葉こそ苛烈ではないが、真正面からの罵倒に近かったからだ。


「どういう……意味でしょう?」

「リシャーナ。君と長く交流する中でお互いに確認したことを、今一度問うが。君の、国母足らんとする決意には変わりはないな?」

「当然でございます」

「そうだろうな。だからこそ、先ほどの諫言だ」


 そこで、飄々としていたサガルドゥが表情を消した。



「ーーー気概があろうと、〝一方的な言い分〟を鵜呑みにするその姿勢は、評価出来ない」



 その瞬間。


 兄の身から、一瞬で空気が冷えたかと思われるほどの圧が広がり、フロアを支配した。

 その変化に、リシャーナのみならず、二人の令息ともう一人の兄シルギオも息を呑む。

 

 王者の覇気、とも呼べる高圧的な気配。


 あの第一王子が愚かな行いをした、と思っていた者達が、セダック自身を含めて全員、背筋を正していた。


「我も君も至らぬ、と言った。先程述べた通り、君の瑕疵は視野の狭さだ。ソレアナに関する噂は知っているな? そう、そこの愚物が口にした『娼婦令嬢』という話だ。君は、その噂の真偽(・・)を確かめたか?」


 サガルドゥの問いかけに、リシャーナはハッとした顔をする。


「いえ」

「では、どのような噂だったかを口にしてみろ」

「……複数の殿方に言い寄り、ふしだらな振る舞いをしている、と。そして……」


 リシャーナは言い淀むが、意を決したように口にした。


「ついに第二王子殿下のみならず、第一王子殿下にまで言い寄った、と」


 そんな彼女の言葉に、サガルドゥは薄く笑みを浮かべる。


「我が、ソレアナ本人から聞いた話では。『妾腹の男爵令嬢など、母親同様に体を売るしか能がないだろう』と無理やり手篭めにされて純潔を散らされ、その後も、権威を盾に複数の高位貴族令息に幾度も体を使われたそうだ」

「え……?」


 虚を突かれたように、リシャーナが目を見開き……すぐに、表情を戻す。


「それは、事実でしょうか?」

「と、我は見ているが」

「……ソレアナ様が、自分に都合よく、嘘をついている可能性は?」

「そして我も誑かされている、と? なるほど」


 サガルドゥが顎を撫でて、さらに言葉を重ねる。


「では訊くが。君の中で、噂の的であるソレアナと、噂を口にする他者。その両者への『信頼の多寡』は、どこから生まれている? 両方の言い分を聞き比べ、その上で判断した訳ではないのだろう。まさか一方の言い分だけを聞き入れ、片方の話も聞かぬままそれを口にしている訳ではあるまい?」

「それは……」

「証言者の多さが真実に直結する、と思っている訳でもない筈だな? 噂など口さがないもので、真実を知らぬ者も口にするのだから、下世話な話には証言が多くて当然だと我は思うが」

「……」


 整然と詰めるサガルドゥに、リシャーナが言い淀む。

 と、何故か少し顔色を悪くしている次兄シルギオが、庇うように口を開いた。


「ですが、身分の卑しい者と、高貴な者の証言、どちらが信頼に値するかなど目に見えているでしょう!」

「血筋が良い者の証言は信頼に値する、と? なるほど。ではシルギオ。君の目にしてきた、我の、生まれてから今までの行い全てを加味して答えるといい。君から見て我は『愚鈍』か?」


 何一つ恥じるところなどない、と高らかに謳うように、サガルドゥは顎を上げる。


「そして帝妃の長男にして(・・・・・・・・)帝王陛下の嫡子である(・・・・・・・・・・・)我は(・・)ソレアナの(・・・・・)証言と己の(・・・・・)目にした光景を信じて(・・・・・・・・・・)証言をしているが(・・・・・・・・)……当然、信頼に値するな?」


 その言葉に、リシャーナとシルギオが完全に青ざめる。


 セダックの憧れである兄サガルドゥは、相変わらず完璧だった。

 相手の論理を以て、相手の論理を覆していく。


 彼らが言っていた通り、サガルドゥは帝妃が産んだ、この帝国において最も高貴な血統を継ぐ人物の一人である。


「リシャーナ。そなたは我の証言とシルギオ達の言葉と、どちらを信じるのかな?」

「……」


 彼女に、答えられる訳がなかった。


 サガルドゥが正しいとすれば、ソレアナの証言が正となり。

 シルギオ達が正しいとすれば、血筋は証言の信頼性に関係ない、と、自分の調査の甘さを認めることになるからだ。


 ーーー凄いな、兄者!


 どっちにしても相手が詰むように、話を持っていったのだ。


「あ……兄上の目は曇っているのだ!! その女に誑かされ、嘘を真実と思い込んでいるのであろう!」

「シルギオ。そう言うだけの根拠は? 何故我がこの場で、この状況で婚約破棄を宣言し、両陛下が黙っているのか。本当に、その理由が分からないのか?」


 サガルドゥはシルギオを一顧だにせず言葉のみで切り捨て、あくまでもリシャーナだけを見つめていた。


「愛、などという不確かな理由のみで、我がこの場に立っていると思っているのか。これは高貴なる者の責務であり、我を含む、それを怠った者たちに関する断罪の場だよ。……リシャーナ・オルムレイド」


 兄の放つ覇気は、もう、受けているだけで痛みを伴いそうなほどで。

 控えている二人の令息は体を震わせており、シルギオも脂汗を流している。


「国母たらんとする己の責務を弁えているのなら、答えよ。そなた(・・・)は、双方の証言を聞き比べ、状況を理解し、その上でシルギオらが正しいと判断したのか?」

「…………いいえ」


 リシャーナはただ一人、その覇気には怯まずにいたものの……静かに目を伏せた。


 己の非を認めたのだ。

 その答えに、サガルドゥの覇気が少しだけ緩む。


「だが、我とてそれを知ったのは、二ヶ月前の夜会だ。シルギオがそこの愚物どもと一緒に休憩室に下がるのを見た。ソレアナを囲むように伴うのを不審に思った我は、しかし歓談の誘いを受けたばかりで、すぐに追えなかった。……従者にどこに向かったかだけを追わせ、挨拶がひと段落した頃には半刻が経っていた。従者に案内され赴いた先で、ソレアナが一人置かれ、どんな姿をしていたか。そなたに想像出来るか」


 そんな彼女の話を聞いたサガルドゥは、彼女を守るために、最近貴族令嬢も入学が認められたばかりの貴族学校で、共に過ごすようになったのだという。


 『女性の権利というものがあまりにも認められていない』と、その法を定めることを提案して実行したのは、サガルドゥ自身だった。


「そなたに呼ばれた『話し合いの場』に彼女を伴い、すぐ近くに置いておいたのも同様の理由だ。その場で、リシャーナ。そなたが第一声に何を言ったか、覚えているか」


 周りに立っている男達の(おぞ)ましさを理解したのか、視線を向けて、ふらり、と離れるように一歩前に出たリシャーナは、小さな声で答えた。


「……『あのようなふしだらな噂のある女性を側に置くのは、御身の評判を落とします。ご再考を』と」

「そうだ。そなたは問わなかった(・・・・・・)。そこに何か事情があるのかを知ろうとすることもなく、一方的に『ソレアナは悪である』と断じたのだ。不貞を疑ったのなら、我に対しても同様の責める態度を取るべきであろうに、下位の貴族であるソレアナのみを責めたのだ。権力者である我に対しては、媚びるように態度を曖昧にしてな」

「わたくしは……決して、そのような」

「それが、民を子として愛すべき、国母を志す者の振る舞いか?」

「……っ」

「己の感情に振り回され、噂を鵜呑みにした」

「問われずとも……仰って、くだされば」

「何故、こちらから進んで伝えねばならない。知ろうとすること、その上で公平であること。それこそが権力の頂点に座さんとする者の責務ではないのか。そなたは臣下ではなく、次期王妃であろう!」

「……」

「将来、誰も逆らえぬ立場になった時。自らが間違った時もそうして言い訳をするのか?」

「……いえ」


 リシャーナの返事には、力がない。

 彼女はすでに、サガルドゥに自分が何を責められているのか、理解しているようだった。


「せめて『なぜ不貞を働いたのか』と我に問うていれば、答えただろう。我々は婚約者であると同時に、並び立つ者であらねばならなかった。だが、そなたは違った。そうして、あえて黙る我に対する失望を目に浮かべた。リシャーナ自身が『一度のミス』と感じたことを理由に、我への期待を止めたように。その反応を見て、我もそなたを一度で見限った。それだけのことだ」


 理由を問わなかった。

 真偽も確かめなかった。

 事実を知ろうとしなかった。

 その上で、下位の者が悪いと一方的に断じた。



 ーーー国母たる資質に、疑問を覚えた。



 サガルドゥは、リシャーナにそう告げたのだ。

 彼女は、静かに涙をこぼした。


「……人の上に立つ身として、あるまじき振る舞いであったことを、認めます。誠に申し訳ございませんでした。……ソレアナ様にも、同様に謝罪致します」


 リシャーナが深く頭を下げるが、ソレアナは彼女を見ず、答えなかった。

 それどころか、サガルドゥの後ろに隠れるようにして両手を固く結び、顔を一切上げない。


 セダックは、その姿がソレアナという令嬢の傷の深さを物語っているような気がした。

 サガルドゥはリシャーナに頷きかけ、それからようやく、シルギオと令息たちに目を向ける。


 再び、厳しい覇気がその身から放たれていた。


「ソレアナは孕んでいる。(たね)は、そこの三人の外道の誰かだ。我は彼女に指一本触れていない」


 サガルドゥの宣言に、成り行きを見守っていた者達がざわりとざわめく。

 ソレアナに無体を働いたという三人は、まだ不満そうにしており、シルギオは吐き捨てるように告げた。


「……たかが男爵の妾腹に、何をそんなに躍起になっているんだ、兄上」

「まだそんなことが言えるか、シルギオ」


 そんな彼に、サガルドゥは酷薄な笑みを浮かべる。


「平民を、立場の弱い貴族を、その中でも、さらにさしたる権利も持たぬ女性を。……帝国の子らを慈しむ心なき者に、王族たる資格はない」


 ポタリ、と彼の握った拳から何かが滴り落ちた。

 それは多分血で、サガルドゥが握り締めた拳の力が強すぎて、掌を爪が突き破っているのだ。

 

「資格なき者が犯した愚行の責を負うのは、同じく王族たる者の役目だ。……陛下より賜りし沙汰を、言い渡す」


 セダックが思わず横を見上げると、黙って見守っている父母は、冷徹な為政者の顔をしていた。



「第一王子サガルドゥ・バルザムは、第二王子シルギオの愚行に責を負い、王位継承権を放棄する」



 その発言に、夜会に集う貴族たちが一斉に息を呑み、数人の女性が短い悲鳴を上げた。


「同時にリシャーナ・オルムレイド侯爵令嬢との婚約をサガルドゥ有責の上、破棄。その上で子爵位を賜り、名誉を穢されたソレアナ・オーソル男爵令嬢を妻とする」


 ーーーえ? マジで?


 あまりの急展開に、セダックは思わず顔を引き攣らせた。

 しかしそんな混乱をよそに、話は進んでいく。


「シルギオ・バルザムは王位継承権剥奪の上、牢獄の塔に生涯幽閉。また、連座して愚行を働いた者達は、それぞれの当主より貴族籍を剥奪する旨を伝え聞いている。剥奪を罪の発覚まで遡り、貴族女性に手を出した咎により、生涯、鉱山での労働刑に処す」


 王位継承者二人が、それも第一位と二位がいきなり消える。

 そのあまりにも重い処罰に、ざわめきが大きくなった。


「ふざけるな! 何故俺が……!」

「他者を道具のように扱う者は、この先の帝国にも王族にも必要ない。ソレアナは、その転機たらんと、己の傷を詳らかにすることを決意してくれたのだ。……連れて行け!」


 サガルドゥの命令により、わめくシルギオ達は即座に衛兵に拘束されて、この場を去る。


「皆もよく聞け。第一王子としての最後の言葉だ。たとえ王族であろうとも、貴族であろうとも、身分に胡座を掻き、愛すべき国民を貶め、己の欲の為に虐げれば処罰されるのだということを、心根に刻んでおけ!! 古き時代は過ぎ去ろうとしている。商人や平民が力を持ち始め、多くの国が交易を結ぶ今、実力が全ての時代がそう遠くない内に来る」


 サガルドゥの言葉に、多くの貴族が真摯に耳を傾けていた。


「帝国と帝国貴族は、高貴なる者の義務として、変わる時代の規範として、先駆けねばならん。身分によって他者を侮る者から堕ちてゆくことを理解せよ。貴族たらんとする誇りが、そなたらの中に本当にあるのならば」


 サガルドゥは、堂々としていた。

 自ら、新たな時代の責任の取り方、というものを証明してみせた聡明な兄の姿に、セダックは思わず手を叩く。


 ーーー兄者、カッケェ……!


 すると、それが徐々にその場の者たちに伝染した。

 その拍手が収まると、サガルドゥがリシャーナに声をかける。


「そなたは、己の過失を認め、正すことの出来る聡明な女性だ。……我は横に立つことは叶わぬが、帝国繁栄の為に、そなたがより相応しき国母たることを望む」

「……己の不明を恥じると共に、真に国民の為に立つべく、再び精進して参ります。サガルドゥ殿下にも、ご多幸を」


 と、リシャーナが応じたところで。


 ーーーん? あれ?


「……母上。もしかして、この場に私が参加した理由って……」

「ようやく気づきましたか?」


 苦笑した母……妃陛下は、父王と共に前に出るよう、セダックの背中を押す。


「第一王子、第二王子の継承権放棄に伴い、第三王子セダックを第一王位継承者とする。立太子は成人後に、暫定の婚約者をリシャーナ・オルムレイドとする。勅命である」


 帝王の宣言と共に、参加者達は一斉に深く、頭を下げ。

 セダックは、サガルドゥやソレアナと共に奥へと下がった。


※※※

 

 ーーーいやいやいや、ちょっと待って!


 セダックは、めちゃくちゃ混乱していた。


 あの後、共に下がったサガルドゥは、身籠っているというソレアナに対して気遣いをして椅子に座らせた後、深く頭を下げたのだ。


『女性にとって、この上なく不名誉な役割を引き受けてくれてありがとう。そして、申し訳なかった。生涯をかけて償い、これ以降決して不快な思いをさせないと誓おう』


 と。


 それに対して、ソレアナはケタケタと笑った(・・・・・・・・)のだ。

 夜会での態度は何だったのかと思うほどに、あっけらかんと。


「あっはっは、そんなに畏まらなくて良いですよ、殿下! 見ました? 連れていかれる時の連中の顔ったら! ザマァみろって感じでしたねぇ!」

「え? え?? どういうこと!?」

「全部演技だったんですよ、セダック殿下。サガルドゥ殿下もリシャーナ様も全てご承知の茶番だったんですよ、アレ」


 頭を上げないサガルドゥと、妙に明るいソレアナを交互に見ていると、彼女は身の上を話してくれた。


「あたしはね、カネだけはあるクソ親父に『高位貴族の男を落としてこい』って送り込まれたんですよ」


 帝国では、女性が一人で生きていく方法が少ない。


 オーソル男爵家で運良く侍女をしていたソレアナの母親は、そこから運悪くお手つきになって妊娠すると捨てられ、彼女を産むと身売りをして生計を立てていたのだと。

 

 そして病気になって亡くなった。


「あたしも元締めに体を売らされてた。そうしたらね、どっかからあたしが貴族の(たね)だって聞きつけた元締めが、クソ親父にナシつけやがったんですよ」


 ソレアナ自身はどういう経緯か知らないが、男爵家の死んだ娘の名を与えられ、高位貴族に取り入る為の駒として、オーソル男爵家に迎え入れられることになったのだと。


 冗談じゃない、と思いながらも従うしかなかったソレアナだったが、貴族学校では大人しくしているつもりだった。

 だが、知らないところで捕縛された三人に話がつけられていたようで、有無を言わさず犯されたらしい。


 その後の経緯は、先の夜会での話通りだと。

 

「今ごろ、オーソル男爵もソレアナの経歴を騙った罪で密かに捕縛の手が伸びている」


 ようやく頭を上げたサガルドゥの言葉に、ソレアナは髪を掻き上げてセダックに流し目をくれた。

 色気のあるその仕草に、セダックは落ち着かない気分になって目線を彷徨わせる。


 サガルドゥは、そんな彼女に生真面目に告げた。


「ありがとう、ソレアナ。君の勇気が、この後同じような目に遭う女性を救うことになる。父王は、今後このような人の尊厳を踏み躙る事件が起こらぬよう、法を定めると約束してくれた。そして、女性の地位向上を世の流れが後押ししてくれる。帝国にとって、そなたは英雄だ」

「嫌ですよ、殿下。あたしはただ、好き勝手しやがった野郎どもに復讐しただけですから。そんな大それたもんじゃありませんよ!」


 本当にせいせいしているようで、ソレアナは肩を竦める。


「でも、本当に良かったんですか? あたしは暮らしていけるだけのお金と住処だけ貰えれば良かったのに、わざわざあたしみたいな女と添い遂げなくて良いんですよ?」

「……その子を王位継承の争いに巻き込みたくはないからと、誰の胤であるか分からないということすらも公表した。女性にとって、身を引き裂かれるより辛い役目を、そなたは全うしてくれたのだ。素晴らしい女性を妻に迎えられることを、我は誇りこそすれ、厭うことなどあり得ない」

「御大層なこと言ってますけど、王子様暮らしの長かった人が、子爵とはいえ下位貴族の生活出来るんですか?」


 それまでとはコロッと表情を変え、ズケズケと物を言うソレアナに、サガルドゥは苦笑する。


「もう決めたことだ。それに、暮らしていけるかどうかは我の努力次第だろう」


 サガルドゥは、言いながらソレアナの手を取った。

 二人で見つめ合って笑い合う様は、責任感だけでなく仲睦まじいように見える。


 長兄はどこまでも高潔で、ソレアナも良い人なんだと思う。

 でも、八歳になったばかりのセダックには、ちょっと刺激が強すぎて、どうしたらいいものやらとモジモジしていたが。


 さらに、リシャーナまで姿を見せて、もっと話がややこしくなった。


 コンコン、とドアがノックされて、案内されてきたらしい彼女は、ドアが閉じるなりその場に跪き、まるで神に祈るように懺悔を始めた。


「わたくしは……! 民のために生きる身でありながら、ソレアナ様にこのような苦行を課してしまったこと、サガルドゥ殿下のお立場を失わせておきながら一人のうのうと罰もないこと、申し訳のしようも……!」


 と、今にも泣きそうな顔で頭を下げるのに。


「ちょ、リシャーナ様!?」

「我も、帝国の未来に必要なことであったとはいえ、あのような場でそなたの名誉を侮辱してしまった。恨んで貰っても構わない」


 慌てるソレアナをその場に留まらせ、サガルドゥがリシャーナの手を取って立ち上がらせる。


「この先、王太子妃として、国母として、そなたの道は更なる苦難に満ちるだろう。もしかしたら、それを理由に立場を追い落とそうとする者もあるかもしれん」

「そのようなことは……! この国を変えるために、耐えるべきことです……! それに、わたくしよりもセダック殿下の方が……!」


 ーーーあ、そうだった。


 セダックは、涙をこぼすリシャーナの言葉に、内心でぽん、と手を打つ。

 色々衝撃すぎて頭から飛んでいたが、自分が王太子になって彼女が婚約者になるのだ。


「やっぱり、王子様やめないほうがいいんじゃないですか?」

「それは出来ない。責任は取らねばならない。それに、そなたを一人放り出すわけには……セダックには申し訳ないと思うが……」


 と、話がだんだんこちらに向いてきたので、セダックは問いかけた。


「あのさ、これから、リシャーナ嬢が私の婚約者になる、んですよね?」

「左様でございます。10も年上では、お気に召さないかとは思いますが……ソレアナ様の為にも、次期帝妃を退く訳には参りません。ですが、セダック殿下に想い合う方が出来れば、わたくしは何も文句を言うつもりは……」

「いや、そっちじゃないんだ。私はその、嬉しいっていうか」


 ーーーなんだこの羞恥プレイ。


 は? という表情をしてこちらを向くソレアナとリシャーナに、頬が熱くなるのを感じながら、セダックは告げる。


「いやその。……わ、私は、リシャーナが好きだから……」


 サガルドゥにからかわれて、めちゃくちゃ凹んでいたのを見て、母上が本気で怒るくらい本気も本気だったのである。


 ーーーまぁぶっちゃけ、帝位とか継ぎたくないんだけど。


 リシャーナがお嫁さんになってくれるなら、悪くないかなぁ、って思うセダックである。


「せ、セダック様?」

「まぁ、そういうことだ、リシャーナ。我は喜んで、弟の初恋の君と今の立場を譲ろうとも」


 驚くリシャーナに軽口を叩いたサガルドゥは、改めて、面白そうな表情でこちらを見ているソレアナに目を向ける。


「準備もあるから、最後に確認するが。……お腹の子は、本当に自分の手で育てるかい?」


 サガルドゥの問いかけに、不敵な笑みを浮かべたソレアナは、ぽんぽん、と自分のお腹を叩く。


「育てますとも。誰の子種であっても、あたしの子ですからね。大体そんなこと気にしてたら、女手一つであたしを育ててくれたお(かあ)に申し訳立たないでしょう?」


 強い女性だ、と。

 セダックが彼女のことをそう思ったのは、事情がだんだんと鮮明に理解出来るようになった年頃のことで。


 その時は、兄と同様にカッケェな、と思っただけだった。

 ソレアナはそれから半月もしない内に、サガルドゥと共に子爵領に旅立った。


「セダック殿下。良い国にして下さいねぇ」


 と、晴れやかな笑顔で言い残して。

 

 それから、女性や平民の権利の向上、救済制度、女性官吏の登用や、民に寄り添う政策など、徐々に国は変わってゆき、また、セダック自身がリシャーナと共にそれを変えていった。


 セダックの代になると、サガルドゥの醜聞を知る者たちは『王家への不敬に当たる』と事件のことに口をつぐんだ。


 その後、政策などの相談を【風の宝珠】を通じてセダックから持ちかけることは多かったが、兄の方から連絡があったのは一度きり。


 やがて遺恨を遺していた北との戦争が勃発した直後に『こちらは任せろ』と、ただ一言。


 そしてロンダリィズや軍団長と共に、実際に戦乱を収めてみせたが、ついぞサガルドゥの名は表には出てこなかった。

 

「これが、兄が廃嫡した経緯の全てよ」


 セダックは、次代を担う愚息と聡明な宰相に対して笑みを浮かべる。


「そんな兄から、わざわざもたらされた二度目の連絡が、余のことではなくどこぞの宰相のこととは、誠に遺憾よの」


 少し嫌味を込めて告げてやるが、鉄面皮の宰相はまるで表情を変えない。


「心得ました。厳重に対処致しましょう」

「うむ」


 話は、それで終わりだった。

 二人が退出して夕刻になると、セダックは足取りも軽く晩餐の席に向かう。

 

 何年経っても、歳を取っても相変わらず愛しい妻の元へと。

 

めっちゃ長くなった……一万文字くらいありますね……。すみません。


というわけで、次からアレリラ視点に戻ります!

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― 新着の感想 ―
[一言] サガルドゥは主役張れる器 カッコ良過ぎる
[気になる点] 結婚する必要性が分からない。 責任を取るとか言っているが一方的なものにしか見えなかった。 あれ?どこかに相手が結婚を望んでると書いてあったっけ。
[良い点] 何処ぞの設定厨の小説の何百倍面白い笑 読みやすく濃厚! 喜多方ラーメンですね!
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