想い人と会いました。
婚約式はつつがなく終わった。
イースティリア様は、記憶にある限りご令嬢の服装を通り一遍以上に褒めたことはなかったと思っていたが、アレリラに対しては賞賛に近い雰囲気で褒めていただき、居た堪れなくなったけれど。
そして後日、二人で夜会に赴く。
業務の関係で婚約式後のお披露目はなし。披露宴そのものは婚姻の後に、イースティリア様の主導でやるとのこと。
代わりに、前侯爵の弟に当たる伯爵様のお屋敷で、婚約後初夜会の参加が決まった。
エスコートして貰っての入場を待つ間に、アレリラはイースティリア様に話しかける。
「イースティリア様に、お伝えしておきたいことがございます」
「聞こう」
「わたくしは、夜会での評判がさほどよろしくありません。口さがない話に気分を害されてしまうこともあるかと思います」
「留意しよう」
以前の婚約破棄騒ぎについて、やはり彼はご存知なかったようだ。
―――元々、噂などに興味がおありの方じゃありませんものね。
入場して主催への挨拶を終えると、一度ダンスを踊る。
注目の視線を浴びつつも、いつも通りお互いに表情も変えずに踊り切った後、イースティリア様は参加者の方々と仕事の話に入った。
元々秘書であり、それらの話に習熟しているアレリラは側を離れるよう言われはしなかったが、彼はふと気付いたようにこちらを見る。
「何か?」
「しばらく休憩すると良い。今は公務の時間ではない」
「特に問題はありませんが」
「食事くらいは摂ることだ。私もある程度終えたらそうする」
「では」
勧められて場を辞すと、軽食を手にして壁際に赴く。
静かに食事を摂っていると、取り巻きを連れて向こうから歩いてくる女性が見えた。
小柄で胸が大きい、ストロベリーブロンドの少女。
ミッフィーユ・スーリア公爵令嬢だった。
「アレリラ・ダエラール様。この度はイースティリアお兄様とのご婚約、おめでとうございます!」
大きな鳶色の瞳をキラキラと輝かせて、にこやかに話しかけてくる彼女に、アレリラは戸惑った。
―――イースティリア様の想い人のはずなのだけれど。
しかし、きゅ、と鋼鉄の淑女の微笑みの下にその戸惑いを押し込めて、アレリラは挨拶を返す。
「ありがとうございます、ミッフィーユ様。縁あって嫁がせていただくこととなりました」
「イースティリアお兄様から聞いているわ! とても優秀な方だって!」
「恐縮です」
「それにお美しいわ! わたくし、ずっとお会いしてみたいと思っていましたの! 凛としていて、その立ち姿に惚れ惚れと見惚れてしまいましたわ!」
背の高い無愛想な女に対して、ミッフィーユ様はずいぶんと大袈裟に褒めて下さる。
「でも、わたくしがデビューした頃にはおられなくて。一体何故今まで出てこられませんでしたの?」
―――もしかして嫌味の類いなのかしら?
と、その質問に訝しんだところで、取り巻きが口を挟んだ。
「ミッフィーユ様、アレリラ様は、以前婚約なさっていた方と夜会の場で婚約を解消されておられましたの」
「そうですわ。ご傷心なされて、その後控えておられましたのよ」
「イースティリア様も、他に想い人がいらっしゃると聞いておりましたのに、アレリラ様をお選びになるなんて」
彼女達の目にはニヤニヤと愉しむような光が宿っている。
―――なるほど、こういう手段ですか。
本人はあくまでも無邪気に、取り巻き達が心配する体で馬鹿にしてくる形だ。
そう思っていたが、ミッフィーユ様は目をパチクリさせた。
「まぁ、それは存じ上げなくて申し訳ありませんでしたわ。ですが、お兄様に他に想い人が? そんなお話は聞いたことがありませんけれど……」
これが演技ならば大したものだと、アレリラは思った。
わざとらしさや白々しさのないミッフィーユ様の態度にいっそ感心しながら、アレリラは淡々と告げる。
「婚約の申込みに際して、色気のある雰囲気ではなかったのはその通りですわね」
職務上のやり取りとほぼ変わらない形だったのは事実であり、言外に契約結婚だと匂わせる。
すると、ますます戸惑ったようにミッフィーユ様が眉根を寄せた。
「えっと……どのようなプロポーズだったのか、お伺いしても……?」
「職務中についでのように『婚約を申し込みたい』とお伝えされ、それを受けました。その後、婚約に際して必要な事務手続きを、お互いの間で取り交わしましたわ」
「えぇ……?」
ミッフィーユ様が、唖然としたところで、イースティリア様がこちらに向かって歩いてくるのが見えた。
「何を話している?」
「お兄様? 一つお聞きしたいことがありますの」
「このような場ではウェグムンド侯爵と呼べと、いつも言っているはずだが」
二人は幼い頃から交流があるとは聞いていたが、ミッフィーユ様だけでなく、いつも通り無表情ながらイースティリア様も気安げな雰囲気だ。
「アレリラ様にプロポーズするのに、色気もロマンもない状況だったとお聞き致しました」
「事実だな」
「そして今、不穏な事を耳にしたのですけれど。お兄様に、アレリラ様の他に想い人がいると」
ミッフィーユ様の発言に、場の空気が凍る。
―――いえ、ミッフィーユ様ご自身と、イースティリア様が恋仲なのではなかったの?
唐突に放り込まれた発言に、イースティリア様がとてつもなく不機嫌そうに、スゥ、と目を細めた。
「誰だ、そんな噂話を口にしているのは?」
「違うのですか?」
イースティリア様とミッフィーユ様の鋭い口調に、アレリラは戸惑う。
そう納得して結婚の申し出を受けたのだけれど。
ちなみに、嫌味のつもりでミッフィーユ様に話を吹き込んでいた取り巻き達は、一斉に顔を青くしている。
彼女らにしてみても、予想外の発言だったのだろう。
少し同情している間に、イースティリア様とミッフィーユ様のやり取りは進んでいく。
「他の方に想いを寄せているのに女性に婚約を申し込むなど、あるまじき話ですわ、お兄様」
「何故そうなる。私が一度でもその話を肯定したのか?」
「ですが、アレリラ様もそう思っておられるようですけれど?」
「そうなのか?」
何故か衝撃を受けたように、一度細めた目を軽く見開くイースティリア様。
それは彼にしてみれば、最大限の驚愕に近い表情だ。
「婚約を申し込まれた時、『愛する方がいらっしゃるか』という問いかけに、『当然だろう』と返されたので」
「当然だろう。何故私が、特に誰かに勧められた訳でもない子爵家のご令嬢に対して、愛してもいないのに婚約を申し込むのだ?」
「政略的に旨味がないからこそ、申し込まれたのかと。一つ申し上げておきますと、その別の想い人とされていたのはミッフィーユ様です」
「なるほど。誤解の理由はそれか」
イースティリア様は、即座に己と噂になった相手の政争的な立ち位置を理解された。
うなずく彼の横で、ミッフィーユ様が頭痛を覚えたような顔で頭に手を添える。
「わたくしがお兄様となんて、ありえませんわ……というかお兄様!? 愛する人にそう問われて、何故答えがそれになるのです!?」
「是か、非かで問われたら、是非で返すのが当然だろう」
「違いますわ! 愛する人ご本人に問われたら、目を見て『君だ』と返すのです!」
「そうなのか」
イースティリア様は、こちらに向き直ると、ジッと目を見つめてきた。
「では、やり直そう。もう一度質問を」
「は。……イースティリア様には、愛する方がいらっしゃいますか?」
「君だ」
真顔で、そう返されて。
―――本当にそういう意味で、わたくしに婚約を申し込まれた、のですね。
と、衝撃を受けた。
イースティリア様は、淡々と言葉を重ねる。
「君は賢く、そして美しい。仕事も丁寧で早く、非の打ち所がない。家格は低いが、私にとってはむしろ好都合だ。だから婚約を申し込んだ」
いつもと変わらない調子でイースティリア様が口にして。
かすかに、笑みを浮かべる。
「受けてくれて嬉しく思っている」
その言葉に。
尊敬する人から本当に想われていたことを理解したアレリラは、顔が熱くなるのを感じて。
鉄のごとき自分の表情が、珍しく緩むままに任せて、笑みを返す。
「―――ありがとうございます。わたくしも、とても嬉しいです」
と。