すれ違いです。【中編】
最近、アレリラの様子がおかしい。
イースティリアは、少々困惑していた。
心当たりがないのだ。
執務をしていてもミスはない。
そもそも、イースティリアの執務室に唯一の常駐秘書として働いていた彼女は、今よりも仕事の量が多かったので、現在二人、有望な者に仕事を割り振っている関係上、多分に楽になっているだろう。
しかし、どこか上の空だ。
それとなく、彼女が席を外している際に他の者に尋ねても、特におかしいと思われる点はないようだ。
つまり、イースティリアしか気づかない程度の些少な変化だということになる。
ーーー様子が変わったのは、いつからだったか。
思い返してみると、二週間ほど前だったように感じた。
あの日は何をしていたか、はすぐに思い出せた。
アレリラが休みで、特に面会の予定などもなかったイースティリアは、昼食時間を利用して少し外出していたのである。
理由は、アレリラへの贈り物の購入であった。
有名な香水店で、独自の香りを調合してくれるという調合師に会いに行ったのだ。
イースティリアのイメージする、アレリラに似合う香水である。
香りというのは、人によっては全く合わないものではあるものの、二人の香りの好みはよく似ており、甘すぎず清涼感のあるものを好んでいた。
中でも、アレリラは檸檬系の、イースティリアはミントの香りを主につけることが多い。
その為、檸檬の香りに似た香水で、よりアレリラの凛とした中にも、自分にだけ見せてくれる甘やかな雰囲気に似合うもの……柑橘系の香りを調合してもらったのだ。
ーーーそういえば、あの夜は少し動揺していたように思う。
残り香でも匂ったのだろうか。
しかしそれだけで、態度が変わる理由がよく分からなかったので、イースティリアは大街道整備計画の件について話すついでに、王太子妃ウィルダリアに尋ねてみた。
「最近妻の様子が少しおかしい。故に、少々性癖に難のある変わり者とはいえ、貴族女性最高峰に近い妃殿下に問いたいのだが」
「君って、本当にボクらのことナチュラルにバカにするよね!?」
〝傾国の妖花〟アザーリエ・ロンダリィズに、王太子と共に惚れ込みまくって、彼女の後宮入りまで二人で計画していたウィルダリアは、その青い瞳でイースティリアを睨みつける。
幼馴染なので、その辺りは気安い。
「問いたいのだが」
「しかも無視!?」
「もし自分の知らない香水の匂いを夫が漂わせていた場合、動揺する理由が何かあるだろうか?」
「ボクは、レイダックがどんな香りをさせてても気にしないけど、一般的には浮気とかじゃない?」
流石に、後宮にいる側妃たちを統べる女性らしい言葉と共に、ウィルダリアが答えた。
「なるほど、浮気か」
「え、何々? イースティリア浮気したの?」
「そのような馬鹿げた行動を取るのは、未だに他国の公爵夫人に懸想して、尤もらしい理由で国庫を圧迫するかのような行動を取る高貴な方に似た浅はかな者くらいかと」
「それボクかな? ボクだよね? 不敬罪でぶち殺すよ!?」
「どこに不敬な要素が? 例え話に過剰に反応して、言いがかりをつけられるのは遺憾でございます」
「っかぁ〜! わざとらしい丁寧口調すら腹立つぅ〜!!」
基本的にドレスなどの礼装を好まないウィルダリアは、その見事な艶を持つ金髪をガシガシと掻きむしった。
お茶会や面会がない時、彼女は髪をリボンで後ろに纏め、男装で普段を過ごしている。
「まぁそれくらいじゃない? 避けられてるの?」
「多少は」
と言っても、あの日以来寝室を分けているというわけでもない。
旅行前に妊娠などとなれば行程に支障が出るため、夜の営みは控えているもののスケジュールに変化はなく、食事は共にとり、同じベッドで眠っている。
しかし仕事の後、眠る前に少々アレリラが自室にこもる時間が出来、休みの日にどこかに出かけたなどという報告をオルムロ執事長やキッケ侍女長から受けてもいた。
どのような理由で、と彼らに問うても、『ご心配なさるようなことではございません』と含むように言われたが、アレリラの態度と合わせて気になるものは気になる。
「は〜。堅物傲慢慇懃無礼冷酷非情なイースティリアでも、妻のことになると動揺するんだねぇ」
「無礼ですよ」
「どの口が言うの!? ねぇ、どの口が!?」
感心したようなウィルダリアにそっけなく返すと、彼女はまた怒り出した。
これで表では完璧な淑女なのだから、人とは分からないものだ。
ーーーアレリラにも、そうした裏の顔が?
ふとそんな疑問が頭をよぎるが、イースティリアにはよく分からなかった。
家族と会った時も、他の親しくしている者と会った時にも、アレリラが態度に変化を見せている様子はない。
まだイースティリアに心を許し切れていないのか、という疑問に対しては、明確に否を唱えることが出来るだけの傍証が多いのだ。
しかし、今までふとした瞬間に見せてくれていた柔らかな瞳の色も、微かに浮かべる笑みも、最近見ていない。
怒らせてしまうような心当たりが本当になく、そうなると、香水の匂いを浮気だと勘違いした説というのが現実味を帯びてきた。
ーーー今日は少々早めに仕事を切り上げるか。
幸い、香水は既に出来ているとの連絡が来ている。
誤解があるのなら、早急に解いておくべきだろうと考えた。
イースティリアは即断すると、ウィルダリアの前に広げていた資料を集め始める。
「あれ? 何してるの?」
「急用が出来ましたので、失礼いたします。こちらとこちらの資料に関しては、一両日中に処理をお願いいたします。また、ウルムン子爵にこちらのポストを与える予定ですが、まだ未定です。誰かを入れないように計らってください。後はこれとこれは急ぎではありませんが、処理をお願いいたします」
「って、え。どういうこと!? いくつかやってくれるんじゃないの!?」
「体調が優れないので、早退します」
「いやいやいや、さっき急用って言ってたよね!? 政務より優先する私用ってこと!?」
「休養の聞き間違いでは? では、失礼いたします」
焦るウィルダリアに、容赦無く仕事を押し付けると、喚く彼女を置いて退出した。
その後、急ぎの仕事を振り分けると、二人の秘書は魂が抜けそうな顔をしていたが、イースティリアもアレリラも一人で処理出来る程度の仕事なので、出来てもらわなければ困る。
今日中に処理するように、と言い置いて、イースティリアは王宮を後にした。
ーーーイースティリアが仕事の鬼から、愛妻家の鬼に変わった、という噂が立つのは、この件があってしばらく経ってからのことだ。
と言うわけで、イースティリア目線でのお話。
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