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滞りなく引っ越します。


「彼女に似合うドレスを。ついでに私の礼服も仕立ててくれ」


 冷酷宰相イースティリア様は、服飾店に赴いても変わらない。

 

 深みのある銀髪に、冴え冴えと冷えた蒼い瞳。

 とてつもない美貌はほぼ表情を変えずに口元だけが動く。


 真っ白でシンプルな宰相服は、彼自身のためにあつらえたようによく似合っている。

 どこをとっても完璧な造形の顔や、すらりとした長身と相まって芸術品のようだと言われていた。


 ―――どのようなドレスを身につけても、私のような者が横に立って見合うとは思えませんが。


 宰相に負けず劣らず変わらない表情筋に、淑女の微笑みだけをたたえてアレリラは店員に希望を口にする。


「婚約式は身内のみで行うものです。外を歩くので裾の長さは足首まで、デザインは年齢的に、なるべく装飾は控えめなものでお願いいたします。色味は淡いものでも青系統と銀糸で纏めていただけると、イースティリア様のお色となるので有り難く存じます」


 仲の睦まじさを示すのに、相手の色を纏うのは基本中の基本。

 王家御用達なだけあって、宝飾品の取扱いもあり、専門の宝石商が在籍しているようだ。


 ドレスや礼服に関するデザインや布地を詰めると、そのまま宝飾品の選定に入った。


「石は二種類、ブラックオパールとサファイアを合わせてくれ。台座は白銀が望ましい」

「でしたら、良きものがございます。一組取り揃えますか?」

「あくまでも婚約指輪だ。彼女の分だけでいい。結婚指輪に関しては、職務上の問題で石のないモノで」

「分かりました。でしたら、黒と銀のラインが入ったものではどうでしょう? こちらの素材でしたら〜」


 全てつつがなく進むが、『質問は?』とイースティリア様が問いかけてきたので、アレリラは笑みのまま提案する。


「一つだけ。先ほど婚約指輪のみとされていましたが、イースティリア様の胸に飾るブローチに類するアクセサリーを婚約指輪と同じ宝石で仕立てて下さい。夜会や公式の場に出る際に、身につけるものを揃えておくに越したことはございません」


 アレリラの提案に、イースティリア様は小さく頷いた。


「認めよう」

「ありがとうございます」


 その場でのやり取りを終えて馬車に戻ると、そのまま王城に向けて走り出す。


「閣下にも時間をお取りいただきまして、誠にありがとうございます」

「共同事業で、必要な条項を共に確認するのは当然のことだ。それと、君のプライベートと職務を分ける姿勢は素晴らしいが、閣下ではなく今後は敬称を使うように。婚姻の後は、職務中以外は敬称も外すこと」

「心得まして、イースティリア様」


 彼は小さく頷くと、さらに続けた。


「それと、二人の時に嘘の顔をする必要はない。君が表情を変えるのを苦手としているのは承知している」

「お心遣いありがとうございます」


 ス、と表情を無にすると、イースティリア様はまた満足そうに頷いた。


 ―――取り繕う必要はない、ということでしょうね。


 イースティリア様自身も、誰が相手であろうと愛想の良い笑みなど浮かべはしない。

 お互いの利害が一致したパートナーとして、そうした気遣いをして貰えるのは素直にありがたいものだ。


「時に、イースティリア様」

「何だ」

「お住まいの屋敷の見取り図や、雇っている使用人の名や役職の割り振りなどの一覧を拝見することは可能でしょうか?」

「一両日中に手配しよう」


 何のために必要か、などという無駄な問いかけはない。

 今後一緒に住む以上、それが家政の予習であることなど、求めた内容を聞けば当然過ぎることだからだ。


「あまり根は詰めるな」

「心得ております。業務に支障が出るようなスケジュール管理は致しません」

「他に質問は?」

「二点ございます。いつまでにわたくし自身が侯爵邸に移動すれば良いか。また、わたくしの後に入居予定がある方、あるいは頻繁に出入りなさる賓客はいらっしゃるかどうか、をお教えいただければ」


 離れがあればミッフィーユ様がそちらを使うか、もしくは客間を使うか、あるいは専用の部屋を本邸に用意するのか。

 どのくらいの頻度・期間で屋敷を利用するかで変わってくる。


 ミッフィーユ様との逢瀬がどうなるのかは、お飾りとして把握しておかないと、余計な憶測を生む。

 頻繁に出入りするのであれば、それこそアレリラ自身との交友という形での演出が必要かもしれない。


 ウェグムンド侯爵家やイースティリア様ご自身の名に傷がつくような要素は事前に排除しておくべきだろう。


 そう思ったアレリラだが、イースティリア様は怪訝そうに微かに眉を寄せた。

 はたから見ると気分を害したように見えるだろうけれど、この表情は違う。


 純粋に疑問を覚えている時のお顔だ。


「君の部屋は、すでに屋敷に用意させている。移動三日前までに申告してくれれば、輿入れはいつでも構わない。それと、近いうちに屋敷に入居する予定の者はおらず、頻繁に出入りする賓客の予定もない」

「畏まりました」


 つまりミッフィーユ様との逢瀬は、外で行うのだろう。

 であれば、多少気楽になる。


 イースティリア様自身が、うっかり足を掬われるような脇の甘い真似をする筈がないからだ。


「では、婚約式の前日に一日休みをいただければ。スケジュール調整と移動の手配を致します」

「構わんが、当日は私も休みにしておくように」

「さほど荷物はありませんが」

「初日に主人が、妻となる女性の輿入れに同席しないのは問題だろう」


 言われてみれば、そうかもしれない。

 どうにも自分のことになると、そうした面を考慮しない自分を反省しつつ、アレリラは頭を下げた。


「浅慮でした。申し訳ございません」

「私も自分のことであれば気付かぬこともあるだろう。気にせずとも良い」


 アレリラ自身でも珍しいと思うミスだったからか、微かに表情を和らげたイースティリア様に、少し恥ずかしさを感じつつ、今後もっと気を引き締めなければ、とアレリラは気持ちを新たにした。


 お飾りであることは問題なくとも、この上司に失望されるのは本意ではない。

 

※※※


 後日。


 宰相から正式な婚約申し込みがあったことに泡を吹きそうなお父様とお母様、それに弟に対して、噂と自分の立ち位置を告げると、三人は何とも言えない表情をした。


「それは……」

「あまりにも……」

「良いんだよ姉上。断っても」

「何故です?」


 本気で分からなかったアレリラは、首を傾げた。


「余った権利を有意義に使うことには、利がありますよ」


 そんな娘に、父母は口をつぐみ、弟は呆れを隠さなかった。


「自分のこと好きでもない男に、結婚前から浮気確定で娶られることの、どこに利があるの?」

「家の利が。政略結婚などそんなものでしょう」

「別にうちの家は困ってないよ? 少し貧乏ではあるかもしれないけど」

「あって困る繋がりではありません」

「そうだけど! 姉上の気持ちも大事だろって!」


 声を荒げる弟に、アレリラは無表情のまま首を傾げる。


「わたくしは、イースティリア様の実務能力やお人柄を尊敬しております。何か問題でも?」

「浮気野郎の人柄のどこに尊敬する要素が!?」

「婚前からハッキリ言ってくれる分、途中から浮気して婚約破棄を申し渡す者よりも誠実ですし、その上で了承しております。同様に、年齢的に問題のあるわたくしとしては、後妻として貞淑な妻を求められるよりも、仕事を続けられることの方が重要です。何より楽しいですし」


 アレリラの性格や、以前の婚約破棄の顛末を勿論承知している弟は、それ以上何も言わなかった。


※※※


 婚約式の前日。


 つつがなく荷物の搬入を終えたアレリラは、イースティリア様の誘いを受けて庭の東屋でティータイムを行うことになった。


「体調に問題はないか?」

「生家を出たのは初めてなので、多少の緊張はありますが、明日に影響が出るほどではございません。本日は早めに休息をいただければと思います」

「そのように手配しよう。部屋に不満は」

「十分でございます」

「ならば良い。現在の部屋は後日君の執務室となるので、荷解きの際はそれに留意するように。正式な婚姻後、夫婦の私室に移動してもらう」

「畏まりました」


 ―――体裁かしら?


 夫婦の寝室を挟んで両脇に私室、というのは、貴族としては当然の間取りだ。


 睡眠は私室でも取れるようにしてあり、夫婦の寝室を必ずしも使用する必要はない。

 お互いに、私室側から鍵を掛けられるようにもなっている。


 使わないなら移動する必要もないと思いつつ、アレリラは問いかけた。


「つかぬことをお伺いしますが」

「何だ」

「懐妊の必要はありますか?」


 侯爵家の後継問題は、先に確認しておかなければならない。


 ミッフィーユ公爵令嬢の子に継がせるのなら、アレリラが不用意に妊娠するわけにはいかない。

 その場合は養子縁組の手続きをし、正式に迎え入れて教育を施す必要がある。


 特にその予定がないのであれば、イースティリア様との子をなす必要があり、なるべく早く産まなければ年齢的にアレリラが複数の子を作るのは難しいだろう。

 

 あるいは、どちらの予定もないのであれば、近い血筋から養子を取る必要が出てくる。

 イースティリア様は、今度は微かに不機嫌そうな、同時に戸惑った雰囲気を滲ませた。


「懐妊に問題があるのか?」

「年齢的な問題もそうですが、わたくしが懐妊しますと、現在の秘書業務に支障が出ることもあるでしょう。健康に自信はありますが、子を宿すのは不測の事態が起こるものです。なので、早期に引継ぎや人材育成を行わなければなりません」


 現在のアレリラの作業量をこなせる者がいなければ、イースティリア様の負担が増える。

 もし一人に引き継がせるのが不可能であれば、二人に分担して仕事を与えなければならない。


「家政の問題についても。流石に現在の公務量をこなしながら可能であるかは、未知数です」

「現在担っている前侯爵夫人(母上)に、しばらく補佐に当たっていただくよう打診しよう。それに、家のことはある程度、家令と侍女長でも分担出来る」

「お気遣いありがとうございます」


 先日顔合わせをさせていただいた際、朗らかな前侯爵夫人は『早く領地に引きこもりたいわぁ。やっと素敵なお嫁さんを見つけてくれたわねぇ』と言っていたので、あまり手を煩わせたくはない。


 ―――どちらにせよ、公務を分担できる人は必要ね。


「私は君に懐妊してもらいたいと思っている。異存があれば、今聞こう」

「特には。……ですが、閨教育に関しては知識しかございません。その点、不足があるかと思いますが」


 流石に、それを告げるのは少し頬が熱くなる。

 行き遅れであっても、恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。


 表情を変えたつもりはなかったが、イースティリア様はめざとく顔色を見極めたようで、何故か少しだけ顔を緩めた。


「君でもそのような顔をするのだな。意外だ」

「一応、未婚の令嬢です。これでも」

「忘れたことはない。各方面有能なので、君でも自信がない部分があるのだと知れて嬉しい限りだ」


 ―――嬉しい?


 どういう意図での発言なのだろう、とアレリラは混乱した。

 

 元々、どういう面においても自信などないのだけれど。

 それに人並みの羞恥心くらいは持ち合わせている……と、思っている。


「明日の婚約式で、君のドレス姿を楽しみにしている」

「粗相のないように努めさせていただきます」


 アレリラが小さく頭を下げて、その席での対話は終わった。

 

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