イースティリアから見たアレリラ。
イースティリアがアレリラを初めて目にしたのは、15歳のデビュタントを終えてすぐに開催された、夜会だった。
その当時、貴族学校の卒業を間近に控えていた為、公務の折に関わる者たちに顔を売るために、王太子殿下の側近として参加していたのだ。
王太子殿下と、後に妃殿下となるウィルダリア公爵令嬢は、一人の女性に夢中だった。
ーーーアザーリエ・ロンダリィズ伯爵令嬢。
隣国との戦争を終わらせる立役者となった救国の英雄、グリムド・ロンダリィズ伯爵の御息女である。
〝傾国の妖花〟と呼ばれた彼女に夢中だったのは、彼らだけではなかった。
もちろん女性の身で御息女を口説いていたのは、当時から変わり者で有名だったウィルダリア様だけではあったが、男性はほぼほぼ例外なく彼女に夢中だったと言って良いだろう。
どのような贈り物も受け取らず。
どのような誘いにも乗らない。
そこにあるだけで、視線ひとつ、指先の動きひとつ、歩く姿だけで色香を振り撒き、微笑みや囁きでも得ようものなら、男たちは興味を引こうと前のめりになる。
ーーーくだらん。
その、女のやっかみと男の性欲渦巻く狂騒を、イースティリアは冷めた目で見ていた。
気付かぬ愚鈍が多いが、かの少女は男を惑わす妖艶な女などではなく、中身は臆病で、男にも女にも、声をかけられるたびに怖がっている。
それに気付かぬ者たちに、彼女が靡くはずもない。
煩わしさもあって必要最低限の言葉しか口にせず、その言葉も相槌などの中身のないものばかり。
ーーー何故、会話も成立していない相手に夢中になれるのか。
イースティリアには全く理解出来なかった。
騒ぎから離れ、必要な者にだけ声を掛けていく。
アザーリエという少女も、その他の連中も、イースティリアにしてみれば大した違いはなかった。
少し話せば分かる。
すぐに底の見える、狙いが分かる浅い連中。
そうしたやり取りに少し疲れた頃合いに、テラスに出ようとしたイースティリアの背後から、こんなやり取りが聞こえた。
「アザーリエ様は凄いねぇ〜。色気ムンムンでモテるんだねぇ〜」
「そうでしょうか。凄いのは彼女様ご本人ではなく、お父上のロンダリィズ伯爵様では?」
まだ幼さの残る気の抜けた男の声と、それにしっかりと答えるご令嬢の声。
チラリと目を向けると、その先にいたのが、まだ名前も知らなかった頃のボンボリーノとアレリラだった。
背丈が同じくらいの二人は、踊るでもなく壁際に並んでいた。
「え〜? でもさ〜、アレだけ人を従えるって凄くない〜? 本人は迷惑そうだけどさぁ〜」
「清廉なお方ではあると思われます。噂と違い、贈り物などを一度も受け取っておられないとか。以前、ロンダリィズ伯爵家と繋がりのある取引先の方が父に述べておりましたが、おそらくは外国に嫁ぐことになるそうです」
「へ〜。確かにまぁ、この国で結婚したら、旦那とフラれた奴らでケンカになりそうだねぇ〜」
イースティリアは驚いた。
そこそこ顔立ちは整っているが、一見ヘラヘラと平凡以下にしか見えない観察眼の鋭い少年。
アザーリエにまつわる裏事情と、その人物評価を実績面から正確に行っている無表情な少女。
チグハグなその組み合わせと、会話の内容に。
ーーーどこの者たちだ?
少し気にかかり、後で調べてみると、デビューしたてのぺフェルティ伯爵家の子息と、ダエラール子爵家のご令嬢だった。
婚約者同士、ということで、子息が伯爵家を継いだ後には少し懇意にしておこう、と考えて、頭の片隅には置いていた。
しかし、それから五年後。
伯爵家から銀山発見の話が出て、子息の元へ赴いてみると、彼の横にいたのは別の女性だった。
少し話してみると、アーハという彼女もボンボリーノ同様、一見するとあまりマトモそうには見えないのだが、しっかりした価値観を持っているようだ。
「以前、ぺフェルティ伯爵は別の方と婚約されていたと思ったが」
「あ〜、アレリラですか〜? あの子、俺と釣り合わないから別れたんですよ〜」
「バカでしょぉ〜? ホントもったいないですよねぇ〜」
「あの子貴族学校を首席で卒業して、今は宮廷で働いてるはずですよ〜。宰相補佐様の秘書とかにどうですかねー?」
「アレリラ様、向いてそうねぇ〜!」
「そうだろ~?」
二人してキャッキャと笑い合うのを聞いて、イースティリアはうなずいた。
「調べてみよう。情報に感謝する」
実際、アレリラは働いていて、かなり有能との噂だった。
周りとの軋轢は多少あるらしいが、詳しい内容を見てみると、どう考えても周りが愚鈍なだけ。
ーーー勿体無いことだ。
そう考えたイースティリアは、結婚していないことを理由に宰相位につくことを反対していた勢力を黙らせて就任した後、アレリラを秘書官に召し上げた。
「アレリラ・ダエラールと申します。よろしくお願いいたします」
黒髪を引っ詰めにして、以前見かけた時と変わらず無表情で、知性をたたえた瞳でこちらを見た彼女は、美しい所作で頭を下げる。
わざと地味にしているのか、ドレスも華やかではないが、完璧な淑女に成長したアレリラがそこにいた。
全ての仕草に意識が行き渡り、一分の隙もないその姿に、イースティリアは好感を覚える。
「イースティリア・ウェグムンドだ。これからよろしくお願いする」
「こちらこそ、宰相閣下のご迷惑にならぬよう、精一杯勤めさせていただきます」
そうして共に働き始めて、少しした後。
イースティリアは、仕事中に苛立ちを感じることが、どんどん少なくなっていっていることに気づいた。
最初は慣れないアレリラに、いくつかの要望を伝えることも多かったが、彼女はそれが注意、叱責となる前に……それどころか、イースティリアがふと溢した、彼女宛てではない一言すらも拾って、一度で全てを改善していっていたのだ。
内心、舌を巻いた。
ーーー何だ、この女性は。
人との関わりで、苛立ちを感じないことなどほぼなかったイースティリアにとって、アレリラはひどく興味深かった。
イースティリアの考え方についてくること、そのものが。
わずか15歳にしてその聡明さの片鱗を見せていたアレリラは、再会した後、その内面までもが立派に開花していた。
イースティリアは、自分の中に芽生えた感情の名前を知らなかった。
そうして、アレリラと共に仕事する間に、些細な他人とのやり取りで苛立っていた心すらも薄れてゆき、心地よい日々を過ごしていた。
次に気づいたのは、ふと意識を抜いた時にアレリラを目で追う自分。
ーーー今日も美しいな。
今まで、どんなに他人から魅力的だと言われる女性にも感じたことのない思いを、イースティリアは抱き……その日、アレリラが些細なミスをした。
書類の数字が、ほんの一桁書き間違っている。
珍しい、と思いながらそれを口頭で伝えると、アレリラが恥じるようにわずかに耳の先を赤く染め、わずかに目線を下げた。
他の誰も気付かないような、本当に些少な変化だ。
「申し訳ありません。すぐに訂正を致します」
そう、心なしかいつもより素早く頭を下げて書類を受け取った彼女を。
ーーー可愛らしいな。
イースティリアはそう感じた。
書き間違いなど、他の連中であれば日常茶飯事で、大して重要な数字でもない上に、そもそもそれをアレリラはチェックしただけで、厳密には彼女本人のミスではない。
にも関わらず、アレリラは随分と焦っているように見えて、そこまで気にしなくとも、と思ったイースティリアは。
そんな自分に、少し遅れて驚愕した。
他人のミスに苛立つこともなく、それを可愛らしいと思うなど、未だかつてなかったことだった。
ーーーもしかすると。
イースティリアは一つの可能性に思い至り、王太子殿下に問いかけた。
「ある女性がミスをした際、それを恥じるような仕草を可愛らしいと感じた。今までなかったことだ」
「は?」
幼馴染みの王太子殿下は、まるで奇妙な珍獣を見るような目をこちらに向ける。
「有り得ないほどの恋狂いである殿下なら、こうした心の動きについてご存知ではないかと愚考した次第だ」
「謙ってる風に見せて他人をナチュラルに侮辱する態度、マジでいつも通りだな!」
現在妃としているウィルダリア様と共に、アザーリエにアタックしていたことを公然の事実とされている殿下は、苦笑した。
「ああ、言ったのが普通の奴ならよくある事と言いたいところだが、イースティリアだからな。間違いなくそいつは恋だ。お前が他人のミスを可愛いと感じるなんて、青天の霹靂だ」
「そうか」
イースティリアはうなずき、準備を始めた。
まずは下調べ。
アレリラに現在、特定の相手はいない。
次に聞き込み。
アレリラの口から上司であるイースティリアに対する愚痴はなく、尊敬していると口にしている、という多くの話を聞いた。
つまり嫌われてはいない。
最後に非常に重要な事として、彼女に婚約の申し込みをするのであれば、円滑に、きちんと、滞りなく全てが進むように手配をしなければならない。
受け入れてもらえた場合、彼女が最短だと思う動きは、イースティリアと同様だろう。
なので、宝飾品やドレス、式場の手配から引っ越しの段取り。
全て申し込みをして受け入れられた場合に準備を始めるだろう日から逆算して、さりげなく各所の予定を押さえておく。
その間に、上位貴族の一派閥に蔓延し始めていた違法薬物への対処という急務が入り、アレリラと共に摘発の証拠集めと事態の収束に忙しくなってしまった。
アレリラの予定を押さえ、空きがある日に予定していた会食については、キャンセル。
まだ申し込む前なので、アレリラ自身には伝わっていない。
しかし婚約を申し込む予定の日が迫り、結局、後始末がその日までずれ込んでしまった為。
イースティリアは、共に残務を整理しながら、アレリラに告げた。
「君に婚約を申し込みたい」
と。
※※※
「君が居たから、私はこれほどまでに心穏やかに過ごすことが出来ている」
イースティリア様の話を聞いて、アレリラは気恥ずかしさを押さえきれなかった。
ーーーそんなに前から、イースティリア様はわたくしを知っていて下さったのですね。
肩を抱かれて、手の甲を撫でられるままに話を聞いていたけれど。
ーーーそんな風に思われていたなんて。
全ての下準備を終えてから、なんて、さすがはイースティリア様。
道理で、滞りなく物事が進んだと思っていた。
君の好きなように、なんて言いながら、その実、全て分かられていたなど、この方にはまだまだ敵わないようだ。
「一つだけ不思議なのは、なぜあんな些細なミス一つで、君があれほどに恥じらったのかという点だな」
「……わたくしは、その、イースティリア様を尊敬しておりましたので。ご迷惑をおかけするわけにはいかないと。初歩的なミスをしてしまったことが、逆に恥ずかしいと思っておりました」
「そうか」
ふ、と小さく吐息を漏らしたイースティリア様は、アレリラの頬に手を添える。
「君は細かいことを気にしすぎなのだな。私も人のことを言えた性格ではないが」
「そんな。イースティリア様は寛大でいらっしゃいます」
「君にだけだ。……これからも、側にいてくれるか?」
どこか熱のこもった瞳で見つめられて、アレリラは小さくうなずく。
「はい」
「感謝しよう。そして一つ、わがままを聞いてもらっても良いだろうか」
「何なりと」
すると、少し照れたような表情になったイースティリア様は、口付けを落としてから、密やかに囁いた。
「二人きりの時は、私のことを、イース、と呼んでくれないか」
問われて、アレリラは頭が真っ白になる。
「その、ような。恐れ多いことです……」
「なぜ? 私たちは夫婦だろう?」
「……その」
アレリラは苦慮する。
恥ずかしい。
何故か分からないけれど、とても恥ずかしい。
様付けでお名前を呼ぶのに抵抗を感じなかったのは、それが妻としての務めであると理解していたからだ。
でも、これは多分違う。
イースティリア様が、アレリラを特別だとハッキリおっしゃって下さっている。
そして、名前を呼ぶのをジッと待っておられる。
顔を見ていられなくて、せめても、とその首筋に頭を預けて瞼を閉じたアレリラは。
全身が心臓になったような自分の音を聞きながら、小さく告げた。
「…………イース」
「ありがとう、アル」
自分の名前も、愛称で呼ばれて。
とっくに限界だったアレリラは、許容量を超えて顔を両手で覆う。
そのまま、気づけばイースティリア様に抱き上げられて、ベッドに攫われてしまっていた。
そのうち、アレリラを恥ずかしがらせることに喜びを覚えそうなイースティリア様でした。
幸せいっぱいの二人ですが、そろそろ新婚旅行に行かせないといけません。
その前に、ウルムン子爵の矯正です。
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