執事として、女主人をお迎えいたします。
ウェグムンド侯爵家に勤める執事長オルムロは、イースティリア様がお連れになった奥方に、内心興味津々だった。
勿論、侯爵家の執事として無礼になるような態度は表に出さず、臣下の仮面を被ってはいるが。
ーーー坊っちゃまのお選びになった方ですからね。
何せ、あの坊っちゃまである。
『私自身が必要とする女性以外を、妻に迎えるつもりはない』と明言し。
本来であれば奥方を迎えなければ継げないはずの侯爵位を、宰相位まで実力でもぎ取ることで継承を認めさせた、あの方が認めた奥方なのだ。
最初にお迎えした時の印象は、イースティリア様に似ているな、だった。
あまり変わらない表情や、隙のなさそうな雰囲気などが。
外見的な意味合いで言えば、古風な印象の女性だ。
身に纏うドレスも地味で、飾り気のない黒い直毛の髪に、白く抜けるような肌。
身長は女性にしては高めで、姿勢も相まってスタイルがいい。
華のある顔立ち、というわけではないが、涼しげな印象の整った顔立ち。
イースティリア様の横に立っても遜色ない女性で、なるほど、と頷いたものだった。
仕事に行く時は常にピンで止めた引っ詰め髪だが、どうやらそもそも、髪を下ろすこと自体があまり好きではないご様子。
屋敷でお寛ぎの際も、くるりと纏めてバレッタで留めていることが多い。
ご年齢としては、女性に対して少々失礼な話ではあるが、結婚するには歳が行き過ぎている。
26歳は、一般的な貴族女性であれば、既に二人三人、お子様がおられてもおかしくなく、後添えでもなく初婚となればさらに少数だろう。
高位貴族に限れば、前代未聞と言っても過言ではない。
しかし、イースティリア様ご自身が補佐官として見出しただけあって、中身は非常に優秀なようだった。
ある日、居間にて何かの書類をめくっておられた彼女は、通りかかったオルムロを呼び止めた。
座っている姿まで、きちんと足を片側に倒して揃え、背筋を伸ばして浅く腰掛ける、というお手本のような貞淑さ。
ウェグムンド邸の趣味の良い調度品と相まって、一枚の絵画のようにも感じられるが、彼女は生きた人間である。
「オルムロ様」
「様、は必要ございません」
顔を上げてこちらを見た彼女に、オルムロは柔らかな笑みと声音で答えた。
すると彼女は、頭こそ下げなかったが謝罪を口にする。
「失礼致しました。では、執事長」
「はい、何でしょう奥方様」
「まだ正式に奥方となったわけではございません」
「失礼致しました。アレリラ様」
年上の男性を呼び捨てることに慣れていないのか、妥協的に呼び方を変化させたアレリラ様は、即座にやり返してきた。
軽妙なテンポでこうしたやり取りを行えるのは、オルムロとしては悪くない。
内心笑みを浮かべていると、アレリラ様はきゅ、と口の端を上げられた。
淑女の微笑み、と呼ばれる表情で、オルムロは彼女の無表情かその表情しか見たことがない。
しかし涼しげな美人であるアレリラ様が浮かべられる笑みは、本当に表情を読ませず鉄で出来ているのかと思われるほどに動かないが、だからと言って人形のようかと言われるとそうでもない、素晴らしいものだ。
イースティリア様が仰るには、慣れると無に見える表情の中にも、戸惑いの浮かんだ顔、少し照れた顔、嬉しそうな顔など、意外とバリエーション豊かに可愛らしさを感じられるそうなのだが。
あいにく、知り合ったばかりのオルムロにはそこまで細かい見分けはつかない。
イースティリア様の表情は読み取れるので、おそらく本当に『慣れ』の問題なのだろう。
そんなことを考える間に、アレリラ様は呼び止めた本題に入られた。
「庭園整備と遊興費、服飾品の予算を、もう少し増やすことは可能でしょうか」
「と、申されますと?」
「既に社交界で十分な権益を持っておられる前侯爵夫人と違い、子爵家出身であるわたくしには基盤がございません」
アレリラ様の言葉に、静かに目で先を促す。
下位貴族出身とは思えない所作のせいで忘れがちだが、確かに彼女は後ろ盾が弱い。
「であれば、好意的な派閥の方をお招きし、茶席を共にする機会が増えるかと思われます。ごく親しい方とのものであれば、ドレスの使い回しや定められた庭園でもお許しいただけるでしょう。しかし今後しばらくは、そうではございません」
「なるほど」
オルムロは、自分から何かを発信することは基本的にはしない。
主人の考えを誘導する、というのは、上が無能な時には有効な手段だが、そうでない場合は邪魔なだけだ。
そしてオルムロは、無能を上として敬うつもりがない。
「また同様に、遊興費については、よその茶会にも招かれれば積極的に参加する予定なので、手土産を準備する機会が増えるだろうと予測してのことです。申し訳ありませんが、これもしばらくは通り一遍のものではなく、お相手が好ましい物の中で少々高価なものをお渡しする予定です」
アレリラ様は、テーブルに置いた書類を数枚取り上げて、オルムロに手渡した。
「こちらが、現在考えているお茶会の相手とする予定の方々と、それぞれに合わせた土産の一覧表となります」
「拝見いたします」
どうやらご本人手書きのようで、見やすく纏められた貴族名の一覧と、ご婦人の出身地域、その地域の風土や育まれた嗜好に合わせた土産の内容、そして王都でも高価で喜ばれる品目が並んでいる。
ーーー素晴らしいですな。
オルムロが見る限り、よく練られている。
「わたくしがこの書類に関してお尋ねしたいのは、三点。
その表を見て、何か気になることがあれば指摘していただきたいこと。
個々のご婦人方への話題として好ましいことを知っていれば、可能な限りお伝えいただきたいこと。
その上で、この品目に合わせた予算の引き上げが可能かどうかを教えていただきたいこと。
以上です」
さらにアレリラ様は、もう一枚書類を手渡してくる。
「続きまして、庭園整備については、季節に合わせて庭師の方と相談します。ですが、現在の予算がこれなので、おそらく年に4回、多少の変更が可能な程度でしょう。より細かく調整し、大きく変えて目を楽しませることを追求する際に、予算がどの程度上乗せで降りるのか。これもご回答いただければと思います」
そして、もう一枚。
「最後に、服飾費です。こちらに関しては、申し訳ないのですが前侯爵夫人とどの程度振り分けが変わるかによりますので、変更幅が読めていません。相談の上で、どちらかが出席となれば仕立て費用は折半可能ですが、同時に出席することが多くなると単純計算、二倍かかることになります」
前侯爵夫人は小柄で、体格が合わないので、お下がりを仕立て直すにも限度がある、とアレリラ様は言う。
「これらを私にお尋ねになる意図は?」
「現在、家政全体の予算を把握しておられるのは、執事長と伺っております」
「アレリラ様のお立場であれば、全ての帳簿をお見せすることも可能でございますが……」
暗に、自分で全てを把握して調整してみてはいかがか、とオルムロは問いかけた。
するとアレリラ様は、笑みのままジッとこちらを見つめる。
それは責めるような目の色ではなく。
「わたくしは、引き継ぎもなく他者の仕事を荒らすつもりはございません。特に執事長に関しては、前侯爵夫人もイースティリア様も頼りにしていると伺っております」
ーーー満点の女主人ですね。
オルムロがおもむろに笑みを深めると、アレリラ様が何度か瞬きした。
目が、普段よりも軽く開いている。
キョトンしている、といった様子で、なるほど、これが可愛らしい表情の変化か、とオルムロは納得する。
「わたくしは、何か執事長を楽しませることを申し上げましたか?」
アレリラ様は、こちらの些少な表情の変化もよく見ているのだと、さらにオルムロの評価は高くなる。
使用人を下に見て存在しないものと扱う貴族も多い中で、礼儀までをも払ってくれるなど、とんでもなく平等な人物であると言わざるを得ない。
「失礼を致しました。ええ、そうですね。予算の問題といたしましては、予備費からある程度の補填は可能かと思われます。ですが、服飾費と庭園整備の予算は兼ね合いになるかと存じます」
「というと?」
「準備設営費の問題が抜けております。お茶会と夜会の規模にもよりますが、使用人とて職務の範囲を厳格に定めております故、それ以外の手間には当然、手間賃を支給しております。テーブルを運び、クロスを綺麗に張り、食器を磨く、そうした手間が多くなればなるほど、設営費は増すのです」
「なるほど。勉強になります」
アレリラ様は、こちらの言葉に真剣に、そして熱心に頷いた。
非常に好感の持てる生徒だ。
読めない、幅の大きい服飾費、金を掛けたいが一番掛かる金が多い庭園整備費、使用人への給金と手間賃、手土産とその取り寄せや輸送などにかかる費用、夜会であれば食事の準備等。
そうした家政は、基本的に領民からの税や通行税、関税、そしてウェグムンド侯爵家で行っている事業の利益などで賄われており、税の方は、領地の整備や屋敷そのものの整備、住み込みの者や自身の日々の食事などにかかる定額費用を差し引いた上で、貯蓄と家政を行うのだ。
「使用人の人数を使える者に厳選して、手間賃を抑えるやり方もありますが」
「人に対して支払う金銭を通常以下に抑えるつもりはありません。人件費は一番重く掛かりますが、育てるのに一番時間が掛かるのも人間ですから」
淡々と告げられた言葉は、しかし温かく、ものの道理を理解した言葉だった。
オルムロは、今日のこのやり取りだけでアレリラ様が気に入った。
ーーー坊っちゃまが欲しがるわけですな。
素直で賢く、分を弁えている。
その上で高い目標を持つという向上心と、問題解決に向けて努力する才能と、人をよく見定めて労いをかける慈悲を、持ち合わせている。
「では、僭越ながら幾つかのご提案をさせていただきます」
「お願いいたします」
オルムロは、彼女に対して、問題解決の糸口をお伝えした。
「侯爵家の庭園は広く、東屋やベンチを含めて、いくつかのスポットがございます。また、雨天時に使用する温室などもございまして、大きく変更出来ない場合でも、最初に入念に庭師と相談し、どの角度からでも見栄え良く作られることによって、同じ庭で複数回、楽しんでいただくことが可能です」
「なるほど……」
アレリラは、感心したように小さく何度も頷いた。
これによって、庭の整備費用が想定よりも格段に下がるだろう。
「続きまして服飾費の問題ですが、これに関してはアレリラ様の手腕次第という部分がございますが、イースティリア様は公爵家、ひいては王室と大変懇意になさっておいでです。お茶会の誘いも、そちらから来ることもございます。
公爵家の次女様、第二王子妃様は、おそらくアレリラ様とそうお変わりない身長です。そうした際に、ドレスの下賜を賜れれば、一枚で数回使い回しをしても友好のアピールとなり、侮られることはございません。
また、仕立てたドレスに関しては、下取りと合わせて次を仕立てることで、価格を抑えるということも可能でございます。
宝石類の装飾に関しましても、そうですね、お似合いになるドレスについては同系統の色味を増やしておけば、装飾類を毎回ドレスに合わせて無理に増やさずとも使い回しがしやすいでしょう。
これに関しては体型が関係ないので、大奥様が持たれる物の中で、お似合いになるものをつける、石だけ貰い受けてアクセサリーの型を最新のものに変える、などの方法がございます」
これらは、上流社会ではごく一般的な知識となる。
そうそうドレスなど仕立て直せない下位貴族や、ある程度妥協を認められた伯爵家などと違い、侯爵や公爵ともなれば、一度のお茶会で非常に高価なドレスを使い捨てる……と言っても、お茶会に参加する顔ぶれを変えることで二、三回は誤魔化せるが……などということが、普通にまかり通っているのだ。
どの家も基本的には裕福で広大な土地を与えられて、幾つかの事業を起こしているとはいえ、あまりに額面通りにやり過ぎれば、子が増えただけで破産してしまう。
ウェグムンド侯爵家については、イースティリア様の手腕や宰相という立場に対して入ってくる報酬もあって、予算としてはとんでもない額を得ていたりするのだが。
『あるから使うなら、多くの人々に還元せねばならん。湯水の如く使うにしても、使い道は多岐に渡らせろ』
というのが、我らが侯爵様の真っ当すぎる意見なので、家政に関しても最低限の予算を組んだところから、どうしても足りない場合に吟味して予備費から費用を加えているのだ。
それを知っているわけでもないだろうに、予算を自分で調べて提言してきた辺り、アレリラ様は目端と機転がきく女性だ。
しかし当の本人は。
「やはり、イースティリア様は凄い方ですね」
と、どこか嬉しそうに、自分の伴侶となる男性の、金の使い方に関する考えを誉めていた。
そんなアレリラ様に、オルムロも同意してから、話を続ける。
「最後に、お土産や遊興費のことですが……これに関しては、しばらくすれば、イースティリア様の投資している事業が侯爵家の要となるでしょう。こちらを特に懇意にしたい方の手土産にすれば、むしろ高位の方ほど価格が抑えられると思いますよ」
「……美肌クリーム、ですか?」
「ご名答です」
オルムロは、静かに頷いた。
イースティリア様がこれを作った小領主を買っているのは本当の話だが、これの開発支援嘆願書に目をつけたのは、おそらくアレリラ様を娶ることを見越したからだろう、と読んでいる。
女性受けがよく、希少な品。
社交界にアレリラ様の存在感を植え付けるには、うってつけの品なのだから。
「そこまで……イースティリア様は考えて下さっているのですね」
オルムロはこれに関して口に出さなかったが、どうやら自分で考えて同じ結論に達したらしいアレリラ様は、胸元にそっと両手を添えて、顔を俯ける。
まるで少女のように可憐な様子に、オルムロも一瞬目を奪われ、そんな自分に驚愕した。
それらを全て腹の底に飲み込んでから、アレリラ様に告げる。
「個々のご婦人方に関する話題につきましては、侍女長の方が詳しいでしょう。私からの提案は以上になりますが、もう一つだけ、忠告がございます」
「何でしょう?」
アレリラ様が顔を上げるのに合わせて、オルムロは恭しく頭を下げた。
「私ども使用人を丁重に扱っていただくのは誠にありがたいことですが、礼を述べること以外の敬意を示すことは、爵位が低い出であることを侮られる要因ともなります。お気をつけ下さいませ」
アレリラ様は、ここに来てからずっと、自分を含め全ての使用人に対して敬語を使い、頭を下げ、礼を述べている。
大切にしてくれるのは、口にした通りにありがたい。
しかし主人が、従者に遠慮していてはいけないのだ。
「これからも、なんなりとお申し付けください。出来ることなら、それが女主人として、であると、喜ばしいことにございます」
頭を上げると、アレリラ様は正確に言葉の意味を読み取って下さったようで。
口元に、両手を当てていた。
表情は変わっていないが、目元に涙が浮かびそうになっているように見えるのは、気のせいだろうか。
オルムロは、アレリラ様を女主人として認める、と、今ハッキリと口にしたのだ。
「……ありがとうございます、執事長」
礼を述べたアレリラ様は、口元から手を離すと、そっと膝に重ねて、小さく首を傾げる。
そして、スッと微笑みを消して無表情に戻ると(おそらくそれが素なのだろうが)ハッキリと口にした。
「ですが、自分に出来ないことをする他者に敬意を払うのは、人として当然のことです。そこを改めるつもりは、わたくしにはございません」
ーーー信念も強いようで、何よりですね。
本当に、イースティリア様のように素直で率直で頭が回り、その上で女性らしい柔らかさと繊細さ、気配りを持ち合わせている。
あっという間にこの屋敷を掌握し、取り回しそうな女主人に。
「差し出がましいことを申し上げました。お許しください」
と、オルムロはまた、深々と頭を下げたのだった。
ウェグムンド侯爵家の執事は、人を見る目が厳しくて、甘いものが大好きで、雀の世話が楽しみな方です。
彼と侍女長が認めた人物である、と使用人に周知されると、あら不思議、使用人にアレリラが侮られることはなくなるんですね。
こまめでコツコツと几帳面な努力をする彼女は、中々表立って華々しい成果というものには縁がありませんが、縁の下の力持ち的な人には好かれるのです。
年上から見るとアレリラって可愛いんだな……って思った人は、ブックマークやいいね、↓の☆☆☆☆☆評価等、どうぞよろしくお願いいたします。