【書影あり】婚約を申し込まれる。
「君に婚約を申し込みたい」
その日。
この国で宰相を務めるイースティリア・ウェグムンド侯爵が書類から目を上げないまま口にした言葉に。
事務官として仕えているアレリラ・ダエラール子爵令嬢は、同じく書類の仕分けをしながら淡々と答えた。
「それはどのような冗談でしょうか?」
「私は冗談を口にしているほど暇ではない」
「十分に存じ上げております」
お互いに手は止めないままのやり取りをして、アレリラは考えた。
―――冗談ではない、ということは、婚約を望んでいるのは事実なのね。
ではその前提で、理由を考えなければならない。
アレリラは御年26歳、貴族社会では立派な行き遅れだ。
その理由は、18歳の時に婚約者であった伯爵令息に、よりによって多くの貴族が見ている前で婚約破棄を宣言されたことに由来している。
理由はいくつかあるようだった。
曰く、無愛想。
アレリラは幼少の頃より、表情を作るのが苦手だった。
嬉しい、悲しいという感情は当然あるものの、表情筋が鉄で出来ているのかと思うくらい変わらない。
一応、淑女の微笑みを浮かべることは自分の意思で出来るものの、あまりにもそのまま動かないので人形のようで不気味だと言われる。
また話術もさほど得意ではなく、淡々と事実のみを述べてしまう為、嫌な顔をされる。
曰く、見た目が陰気臭い。
アレリラは黒髪黒目で、肌は白いものの、それだけだ。
また、顔の作りが大人びていたため、淡いピンクや浅葱色などの明るい色が表情も相まって壊滅的に似合わない。
その為、深い青や紫の、装飾が控えめのドレスを纏うことが多く、スレンダーな体型で色気というものにも縁がない。
ゆえに『格好いい』という評価はもらったことがあるものの『男なら良かったのにね』と陰日向にご令嬢がたに馬鹿にされた。
曰く、背が高すぎる。
女性にしては背が高いアレリラは、ヒール付きだと大抵の殿方よりも背が高くなってしまい、ありがたくも『大女』の称号をいただいていた。
しかしこればかりは生まれ持ったものでどうしようもなく。
政略的にさほど旨味がないのに幼少時に結ばれた婚約の被害者である伯爵令息は、アレリラの背丈が彼を追い越した時点でいたくプライドが傷ついたようだ。
上記のような理由により、また社交界の噂話に特に興味がなかったので放置している間に、あれよあれよと悪者にされて、無事婚約破棄を告げられた、という訳だった。
ちなみにその時の彼は、アレリラと正反対の、金髪碧眼に小柄で可愛らしい男爵令嬢を腕にぶら下げてご満悦の様子だった。
その後、子爵家の18歳無愛想な大女に婚約を申し込みたがる、年頃のご令息が売れ残っている筈もなく。
子爵家を継ぐ弟の学費もあることだし、と、さっさと自分の結婚に見切りをつけて、王宮に仕官した。
アレリラは貴族学校で、並み居る高位貴族のご令息や平民上がりの秀才を押し退け、果ては淑女教育に至るまで、全学年全学期、全てでトップを独走し、首席の座に座って卒業したので、就職には困らなかった。
今思えば、そういうところも疎まれていた原因かもしれないけれど、今でも勉強しなかった方が悪い、としか思っていない。
宮廷には最初、ただの雑用として入ったが、色々他の人間の杜撰な仕事に口出ししている内に、宰相閣下の目に止まったのが21歳の頃。
すでにお局と呼ばれていたアレリラは、入所してから変わらないままの、黒髪を引っ詰めにして、化粧は最小限というスタイルを崩さないまま5年間。
敏腕にして冷酷と言われる、イースティリア様の片腕として働いている。
彼はアレリラの2つ年上で、独身かつ、とんでもない美貌の持ち主でご令嬢達に大人気。
爵位が違いすぎてアレリラにとっては造作の良し悪しに関わらず、対象外のお人だった。
むしろ何故結婚していないのか謎だったが、仕事に関係ないので聞いたことはない。
が、どうでも良いのに耳に入ってきた噂話は知っている。
曰く、5つ年下のスーリア公爵家三女ミッフィーユ様と熱烈な恋仲である、と。
―――つまり、これはお飾りを探している、ということかしら?
現状の貴族のパワーバランス的に考えて、スーリア公爵家とウェグムンド侯爵家が繋がるのは、あまりよろしくない。
王太子妃となる方のご実家が伯爵家であり、あまり強い勢力ではない為、王室よりも貴族側の繋がりが強まり過ぎてしまうのは、いただけないのだ。
スーリア公爵家は、王弟殿下が臣籍降下されて出来た家なので、その辺りも大変絶妙に権力闘争が起こる火種を抱えそうな塩梅。
なので、政略的に既に価値のない三女様は当たり障りのない貴族に嫁がせるか、別に体裁を気にしなければ独身のままでも良い、というくらいの立ち位置なのだ。
「つかぬことをお伺いしますが」
「何だ」
「宰相閣下には愛する方がいらっしゃいますか?」
「当然だろう」
その返事に、アレリラは深く納得した。
これは、最近周りに結婚しろとうるさくせっつかれているから、本当ならミッフィーユ様と添い遂げたいが無理なので、とりあえずお飾り妻が欲しいということで間違いない。
アレリラなら、力のない子爵家で揉める心配もないというところだろう。
―――弟もそろそろ継ぐし、うちにとっては侯爵家との繋がりは願ったり叶ったりかしらね。
権力を実際に使わせて貰えるかどうかはともかく、あの子の後ろ盾に宰相ひいては侯爵家があるぞ、と見せられるのは役に立つだろう。
自分がお飾りであることは、アレリラ的に全く問題ない。
そもそも結婚する気がなかったのだから、余った権利は有効に使わなければ。
「婚約、お受けいたします」
「そうか。では婚約届けをそちらに回すから君もサインを」
「用意周到ですね」
「目的の為に必要なものを、可能な限り迅速に揃えておくのは当然のことだろう。婚約式は宮廷内の小祭殿で行う。ドレス等の形など希望はあるか?」
「特には。ですがまともなものを持っていないので、祭礼課に、祭殿使用許可ついでに貸し衣装の手配をしておきます。代金はどちらに請求を回しますか? また、届けは婚籍管理課にいつ頃提出なさいますか?」
「小祭殿の使用許可は四週以上先にしてくれ。招待客はお互いの二等親族までで希望者のみ。こちら側のリストは君に後で渡すので、招待状を作成してくれ。業務時間内で構わない」
「承りました」
「婚約届けは、祭殿使用日時から逆算して五日以上余裕を見れば、届けるのはいつでも問題ない。貸衣装は頼まなくていい。出張扱いで、こちらのメモの店に行けるように、私と君のスケジュールを調整してくれ。一点もののドレスを仕立てる。代金はウェグムンド侯爵家で持つ」
イースティリア様とアレリラの机は、向かい合わせにくっつけて置いてある。
お互いに引き渡す書類の種類ごとに箱が備えてあり、いちいち立たなくてもやり取りをスムーズにする為だ。
二人が来客に背を向けることがないよう、ドアに対しては横向きになっていた。
すぐに来たメモを手に、アレリラが口を開く。
「異議があります。スケジュール調整は可能です。そしてドレスに対する経費を出していただくのはありがたいことですが、巨額になり過ぎるのは我が家の家格を考えると、少々対外的な問題があるかと」
「気にしなくていい。宰相と宰相補佐の婚約だ。こうした婚約の場合、陛下からの祝儀も出る」
「畏まりました」
このやり取りの間、甘い空気など微塵もなく事務的に、しかし案件を片付けるのと同様に最速で決定していく。
結局、最後の最後までお互いに目すら合わせなかった。