【1-19】 炎
鬱蒼とした森に囲まれて、水面が静かに揺れている。小鳥たちのさえずりと、かすかな葉擦れの音。時折駆け抜けていく、爽やかな風。
ちょうど木の実がたくさん見つかってお腹いっぱいになったので、小さな湖の畔で休憩中。
深い森に囲まれた泉って、なんかいかにも神秘的でファンタジーな雰囲気だよな。今にも、森の奥から妖精かなにかが出てきそう。
あれ?
でも考えてみれば、別に妖精なんか出てくる間でもなく、既に湖畔にはドラゴンが寝そべってるような気もするけど。
まあそんなわけで、満腹で気分も良いし、少し昼寝でもするかと、顔を地面に近づけ……、ふごっ!?
ちょっ、待って。草が鼻の穴に……くさが……くはっ……くっくしゅん!
ん、何だ今の?
なにか今、目の前にオレンジ色の炎みたいなものが見えた……ような?
一瞬だけだったけど、気のせいじゃないと思う。だって、地面の草が焦げてるし、その向こうの湖面から湯気が上がってるし。
もしかして、ぼくって実は、口から火を吹く能力を持ってたりする?
考えてみれば、火を吹くのはドラゴンにとっては基本中の基本のような気もする。そういうお約束は、こっちの世界でも一応通用するのか? もしそうなら、これこそ探してた遠距離攻撃だ。ぜひマスターしたい。
でも、どうすればいいんだ?
とりあえず、息をちょっと強めに吐いてみる。当然、何も起こらない。
もう少し強く吐いてみる。まったく、何も起こらない。
そりゃそうだよな。息を吐くだけでいいなら、呼吸するたびに炎が出てるはずだ。
では、なんでさっきだけ炎が出た?
くしゃみは、あまり関係ないと思う。ドラゴンになってからでも何回かくしゃみはしたけど、炎が出たのなんて今回が初めてだし。
今回がこれまでと違ったのは……。くしゃみしながら、無理に声を出そうとしたこととか?
試してみよう。
「あー」
出ないな。
いや、でも、さっきはこんな普通の声ではなくて、もっとこう……。
「あ、う゛ぁー」
「あ゛ー」
あ、出た。小さい炎だけど、確かに出た。
「あ゛ー」
うん、間違いない。これだ。
なんというか、声にならない声というか。発音できるはずのない音を無理に出そうとする感じというか。そんなときの喉の動きが、点火スイッチになってるわけか。
ドラゴンにとって、炎と声は同じものということなのだろうか? それとも、この変な声に火炎魔法の呪文詠唱と同じような効果でもあるのか?
詳しい理屈はわからないけど、とりあえず、ぼくに口から火を吹く能力があることは理解した。
ただ、けっこう難しいというか、かなり意識してやらないとできない感じ。暴発を防ぐという意味では、そのほうがいいのかもしれないけど。でも、完全に使いこなすには、もう少し練習して慣れる必要がありそうだ。
ところで、何度か火を吹いてるうちにふと思ったんだけど、この炎って熱いのかな? さっき実際に草が焦げたんだから、それなりに高温なのは間違いないと思うけど。
炎を出して指を近付けてみる。うん、わりと熱い。
指をさらに近づけてみる。間違いなく熱い。けど、なんだろう? なんとなく、熱さに違和感がある……ような。
何度か指を炎に近づけているうちに、違和感の正体に気が付いた。
熱いという感覚は、間違いなくある。指が高温にさらされていることは、はっきり感じる。でも、それだけなのだ。その熱さには、危険だとか火傷しそうだとかいうような焦りというか危機感というか、そういう感覚がまったく伴っていない。早く指を炎から離したいという衝動が、全然湧いてこない。熱いのに平然としていられる、不思議な感覚。
思い切って、指を炎に突っ込んでみた。うん、余裕だな。思ってたより熱いななんて、呑気に考えていられるくらい。
炎から出して眺めてみても、指はなんともない。痛みもまったくないし、物に触れてみると皮膚の感覚も正常のようだ。数秒間は炎に入れていたはずなのに、火傷のようなダメージはまったくないみたいだ。
なるほど。ドラゴンは炎を吹くけど、ドラゴン自身は炎は平気なのか。炎を吹くたびに口の周りを火傷してたんじゃ大変だから、考えてみれば当然だな。




