始まりの日ー前編
「わあ! ネットの写真で見たのよりもずっと大きい! 広い! 修学旅行だけど、来れて良かった!」
学校のバスから降りて、青いワンピースを着た長い黒髪の少女は目を見開き、興奮気味でそう言っていた。
少女と同じようにはしゃぎ気味な同級生が他にも沢山居て、学校のバスを降りた後、キョロキョロと周りを見ている。
そして一番先に降りた少女はと言うと、目の前にある大きいなお城のような建物を見て、キラキラした目で彼女は少し走った。
けど、すぐに隣に誰もいない事に気づき、一度足を止めて、彼女はバスの方へ手を振りながらそう声を上げた。
「ちずなちゃん、こっちこっち!」
「もう澪、ちょっと待ってよ。というか、そんなに急がなくても、ショッピングモールは逃げないんだって」
「分かってるよ、それくらい……」
少しからかいを込めたちずなの声を聞き、少し照れたように、澪は長い黒い髪の先端を弄った。
しかし、すぐに澪は髪を放し、ちずなの元へ駆け寄った後、恥ずかしそうにワンピースの裾を触りながら、素直に澪はちずなに言った。
「だって、初めてちずなちゃんとのデートだから、そりゃワクワクするよ! ちずなちゃんはその、ワクワクしないの?」
「そりゃまあ楽しみだけど、デートの相手は幼馴染の僕より、他に相応しい人がいるだろう? ほら、澪はすごくモテるから、勇気を出してその好きな人を誘ってみたら?」
「もう! ちずなちゃんのイケず!」
ちずなからの返事を聞いて、思わず澪はそう不満を口に出した。
一気に頬を膨らませて、澪が「フンッ」と顔を背けたのを見て、ちずなは小さくため息を吐き、少しだけ苦笑いを浮かべながら、ちずなはそう言った。
「ごめんな澪、僕が悪かった。僕もね、一緒に遊べるのがすごくワクワクする」
「……本当に?」
「本当だよ。ほら、今日は私服の日だから、僕なりに結構頑張ったぞ!」
そう言い終わると、ちずなは背負ってるバッグを下ろし、一回転をして、澪に自分の格好を見せた。
周りの学生に比べると、澪が小柄よりなのに対して、ちずなはやや長身だった。
そんなちずなが黒いジーンズを履き、ダークグレイのシャツに運動用のスニーカーと合わせて、ティーンっぽい格好のに、どこかクールに仕上げられていた。
少し照れているようなちずなを見て、澪は嬉しそうに笑みを浮かべ、ちずなの手を引きながら、澪はそう言った。
「うんうん、今日のちずなちゃんもカッコいい、すごくイケメンだね!」
「いや、イケメンとかは流石に言い過ぎ」
「本当なんだって! あ、そろそろ時間なんだから行こって、うわ!」
浮かれ気味な澪が歩き出そうとしたその瞬間、突然地面が大きく揺れて、彼女はバランスを崩した。
けど、すぐにちずなは手を伸ばして、倒れそうになった澪の体を引き、そのまま彼女の体はちずなに抱き留められた。
ちずなの胸に顔があたり、どこか動揺している澪がちずなを見上げると、揺れが収まり、地面が動かない事を確認した後、ちずなは手を離した。
すると、のろのろと澪はちずなから離れて、顔が真っ赤になりながら、澪は顔を背けて、恥ずかしそうに彼女は言葉をこぼした。
「もう、これだから天然は……」
「えっ? いやどういう事? というか大丈夫か?怪我はないよな?」
「どっかの誰かさんが受け止めてくれたから、ぜん、ぜん、平気なの!」
そう力強く答えると、澪はまた顔を膨らませた。けど、しばらくすると、澪はちずなの手を掴み、空いた方の手で遠くにあるショッピングモールを指しながら彼女はそう言った。
「もう、色々あったけど、今はお腹ぺこぺこ。ちずなちゃん、早くモールに行こう!」
「はいはいわかった」
澪にそう言い返しながら、ちずなは地面に置いた自分のバッグを掴み、それを背負い直した。
その後、澪の方を見て、今度はちずなが手を伸ばした。
自然と澪はちずなの手を掴み、二人は手を繋いで、一緒にショッピングモールへと歩き出した。
喧騒に巻きれて、澪と一緒に歩き進めている時、ちずなは空の色が少し変わった事に気づいた。
天気予報では晴れって言っていたけど、もしかして結構大きい雨が降るかも知れないと、その時ちずなは思った。
でも、せっかくの遠出だし、晴れだと喜んでいた澪を落ち込ませたくないから、ちずなは澪にそう話した。
「なあ、やっぱ先にモールに行かないか?」
「え? 先に何か食べていかなくてもいいの?」
「うん、せっかくだし、モールで食べようかなって」
「そっか、それもそうだね。じゃあ、先にモール行こう」
そう言って、澪はちずなの手を強く握り、意気揚揚と先にショッピングモールの方へ歩き出した。
大通りを歩き、途中で澪とちずなは同じく修学旅行で来ている同級生や他校生と出会った。
途中でかわいいぬいぐるみの店や美味しそうなスイーツの店が幾つか見えたが、澪とちずなの目的地が変える事がなかった。
実はショッピングモールは学校の指定した集合地点から一番離れていて、モールの方へ向かったら、自由行動の残り時間で他に回れる場所は、今通ってる大通りにある店だけになる。
けど、今日の為にコツコツと貯金した澪とちずなはモールに行く事を諦めない。
学生寮に住み、外出するにも申請する必要があり、休みの日でも滅多に学校から出られないこの二人は決めていた。
修学旅行の日、自由行動があるこの日で、二人は貯金の許す限り、盛大に贅沢をしようと。
欲しい服も買うし、普段表紙しか見れない本や雑誌も絶対に手に入れる。
好きな物を沢山買って、必ず自分の些細な夢を叶うと。
そう決意を抱き、澪とちずなはショッピングモールへと進み続けた。
「わあ! 大きい! 広ーい! 見て見てちずなちゃん! 建物の中に噴水があるよ!」
「わかったから、少し落ち着いて、澪」
「なんだよ! ちずなちゃんだってすっごくワクワクしてるくせに!」
「あのさ、時間押してるから、先に買い物を済ませてからゆっくり見ようって話だよな?」
「あっ、それもそっか」
ショッピングモールに立ち、大きいな扉から中入った途端、巨大な噴水が目に入り、澪は子供のように目を輝かせた。
目を離すと先にどっか行ってしまいそうな澪の手を掴み、ちずながそう言った後、澪は少し冷静になった。
可愛らしい水色のショルダーバッグからスマホを取り出して、澪は保存してあった店の情報を開き、内容を確認しながら、彼女はちずなにそう聞いた。
「そう言えば、ちずなちゃんは本とCDだけでいいよね?」
「うん、服とかアクセサリーとか買って、もし家族にバレたら、またなんかの理由をつけて怒られるし、全部捨てられるのが目に見えるからな」
ちずなの言葉を聞き、澪は少し眉間にしわを寄せながら、どこか呆れたように澪はそう言った。
「本当、ちずなちゃんのお家って厳しいのね」
「まあ、一番上だからな、仕方がない」
「でも、一応弟さんもいるんでしょう?」
「あっ、ああ、そういや言ってなかったな、実は僕の弟、目が見えないんだ」
「へー、そうなんだってえっ、嘘!?」
淡々とそう話したちずなの顔を見て、澪は最初理解してなかったけど、一歩遅れてちずなの言葉の意味を飲み込むと、驚いた声を上げて、彼女は目を丸くした。
そんな澪を見て、ちずなは思わず苦笑いをこぼし、取り出した買い物リストを折りたたんだ後、ちずなは澪にそう返した。
「生まれてすぐは見えていたけど、結局視力の神経が切れたらしくてさ。そんで、次に生まれた弟も死んだし、家を継げるのはやっぱり僕しかいないと」
「えっ、えっ、ちょっと待って、私、ちずなの馴染みをやって十年も経つけど、こんな事全く知らなかったよ!?」
「いやいや、そりゃこういう事って、普通切っ掛けがないと話せないじゃん」
「そ、それもそうだけど、ええ、てか、ええ……」
明らかに驚き戸惑った澪の顔を見て、ちずなは思わず吹き出してしまい、その反応で目を丸くした澪を見て、無理矢理に話をそらすかのようにちずなはそう言った。
「まあ、僕の話は置いといて、さっさと買い物しよう。一時間半後、真ん中の噴水で待ち合わせでいい?」
「へっ!? あっ、うん、わかった。じゃあ、私はアクセサリー見てくるから」
「おう、気をつけてな」
元気に走っていく澪に手を振り返した後、ちずなは適当に歩き、事前に印刷したショッピングモールのマップを開いて、ちずなはエスカレーターの場所を探した。
各階にある店の場所を確認しながら、ちずなは本屋のある階まで上がるために、噴水の横にあるエスカレーターを使った。
先に本屋に行って、欲しい本と雑誌を買った後、今度はレコード屋さんに、ちずなは足を踏み入れた。
(レコード屋って、CD以外にも色々売っているのか! でも今日はCDを買うんだ、我慢我慢)
広いフロアを見渡し、ライブグッズとガチャガチャに驚きながら、誘惑を断ち切るように、ちずなはバッグから自分のヘッドホンを取り出した。
音楽を聞けるマシンの前まで歩き、欲しいアーティストのCDを確認して、番号を入れた後、どこかワクワクしながら、ちずなはヘッドホンのコードを繋げようとした。
正にその時だった。
どこかで低い音が響いた後、地面が強く揺れ始めた。
棚の中のCDがガタガタとぶつかる音を発し、陳列台に置いてあった物は次々と地面へ落ちていく。
急いでヘッドホンのコードを仕舞い、周りを見渡しながら、ちずなは今の揺れについて考えた。
バスから降りた時に感じた揺れとは少し似ていたけど、その頻度は違った。
一度揺れるだけでは止まらず、二度目、三度目と、今の揺れがそう間も置かずに揺れ続けていた。
その時、妙な違和感を覚えて、ちずなは持っていたCDを全部置いて、落ちてきた物に気をづけながら店を出た。
「はあっ? うそっ、なにこれ?」
モールの光加減がおかしい事に気づき、ちずなが上の方へ視線を向けた時、その両目は大きく見開いた。
元々モールの天井は一部透明なガラスを使われて、自然な光を室内に落ちるようにデザインされいていた物だった。
しかし、今ガラスの上には見たことのない丸い物体が置かれており、ところところ不自然な影ができたのが、これが原因だった。
きちんと天井の状態を確かめようと思い、ちずなが近付こうとした時、所々に天井の破片っぽい物が落ちている事に気づき、ちずなは足を止めた。
そして、もう一度天井を見上げると、凹んでいるようなコンクリートが目に入り、ちずなは理解した。
今の揺れは地震による物ではなく、何物かがぶつかってきた時の衝撃だった、それも横からではなく、上から、空の上からの落し物だ。
その事に気づいた瞬間、段々と揺れの間隔と強さが増して行き、どこかの店にいる澪の事を思い出して、ちずなは慌てて下への階段を探した。
全く馴染みのないショッピングモールだが、辛うじて覚えてるマップを頼りに、ちずなは下の階へ全力で向かった。
突然不吉な音が鳴り響き、天井が崩れて、あまりにも大きいその破片はフロアをぶち抜き、丁度その下にいるちずなに直撃する。
しかし、その寸前に、大きいな叫び声と共に、ちずなの体は遠くまで吹っ飛んだ。
「危ない!」
「うわっ!?」
いきなり横からタックルされて、ちずなは驚いたが、すぐに破片に気づき、ちずなは頭を庇う体勢を取った。
そして、タックルを仕掛けた人は勢いで転がりながらも、ちゃんとちずなを庇う体勢を取り、なんとか二人とも無事でいられた。
まだ揺れが続いているか、落下した建物の破片を見て、声を震わせながらも、ちずなは自分の上を被さった人に礼を言った。
「た、助けてくれて、ありがとうっ」
「礼なんていいから! 下の階へ急ぐぞ!」
「えっ? うわ!」
手を引っ張られて、ちずなは一瞬で寝転がった体勢から強制的に立ち上がらせられて、その人に手を掴まれるまま、ちずなも一緒に走った。
一応目的地は同じ下の階になる、断るつもりはないけど、ひどい手汗とその人の蒼白な顔を見て、何があったのが気になり、ちずなはその人にそう聞いた。
「あの、何があったんですか?」
「ああああれだ、上の窓から落ちてきた物に、変な丸い物があって」
「確かにありますね」
「そ、そいつに、俺の友たちが、喰われた」
「……ふあ!?」
驚いて変な声を出したちずなを見て、その人も驚いたようにちずなの顔を見た。
必死に話そうとついちずなの手を離し、焦ったように口をパクパクさせながら、その人はなんとか言葉を絞り出した。
「お、俺だって最初は信じられなかったんだ! でも、俺の友たちがっ、俺を庇って、俺の……」
「っ! 危ない!」
まだ話の途中だったが、今度はちずなが落ちてくるコンクリートに気づき、躊躇なくちずなはその人を突き飛ばし、二人が立っていた場所に、コンクリートの破片が落ちた。
「ごめんなさい、大丈夫ですか?」
自分が押し倒した人を見て、手を伸ばしながら、ちずなはそう言った。
ちずなの声を聞き、ぼーとその人はちずなの顔を見上げていると、揺らいたその目から、一筋の涙が溢れた。
濡れた自分の顔に驚き、その人は慌てて涙を拭こうとしたが、また揺れが強くなる事に気づき、ちずなはその人の手を掴んだ。
そして、今度はちずなが必死に力を出して、その人を立ち上がらせた後、手を強く引っ張って、また二人で下の階へ進んだ。
(どうしよう、どうしよう、どうしよう!)
階段を下り、息を荒げながらも、握ってる手から伝わる震えを感じて、必死にちずなは考えた。
澪の事も心配だ。しかし、この状態で自分の恩人を放っておくと、この人が死にそうで嫌だ。
けど、その話が本当なら、天井から落ちてくるのは、コンクリートだけでなく、何か危険な物も一緒に落ちてくる。
しかもあれは、人を食う。
自分一人だけじゃあダメかもしれないけど、少なくとも、天井から落ちるコンクリートなら、人数が多い方が対応しやすいはずだ。
そうちずなが考えていると、一つの結論が浮かび、心を決めて、走りながらちずなはその人にそう言った。
「僕はちずな、あなたの名前は?」
「おっ、俺は、平良」
「たいら、平良さん。僕の言葉を、聞いてほしい」
「う、うん、聞いてるよ」
「助けてくれて、ありがとうございます」
真剣に平良に助けられた時に伝えた言葉をもう一度口にして、ちずなは平良の手を握りながら、はっきりとした声で、ちずなは言葉を続けた。
「一体何があったのか、僕にはわかりません。でも、あなたは勇気を出して、僕を助けてくれました。本当にありがとうございます、平良さん」
「お、俺は、そんなん立派じゃねえ! ……怖かったんだ、俺は、何もできなかったんだ、俺はッ」
「いいえ、あなたは僕を助けました。あなたのおかげで僕は生きています! 僕を、ちずなを助けた事を、誇ってくださいッ!」
ちずなが叫んだ言葉を聞き、平良の両目が見開き、大粒の涙が溢れ続けた。
この涙を拭きたいと思って、平良が自分の手に力を入れると、彼はちずなが自分の手を強く握ってくれた事に気づいた。
手のひらからちずなの鼓動が伝わり、その温度が心地良くて、平良は少し落ち着けるようになり、泣きながら彼はちずなにそう返した。
「手ぇ、握ってくれてありがとう、ちずな」
「どういたしまして。平良さん、僕の方こそ、ありがとうございます」
そう言うと、ちずなは明るく笑い、平良も照れながら笑い返した。
まだ時々地面が揺れ、建物の破片が落ちてくるけど、手を繋いだまま走り続けると、ちずなと平良は一階までたどり着いた。
澪と約束した集合地点である中央の噴水へ行きたいから、ちずなはまだモールから出ないけど、同じようにモールから出ない平良を見て、手を離しながら、ちずなは少し不思議そうに平良に聞いた。
「僕は幼馴染を迎えに行くからまだ出ませんけど、平良さんはここから出ないんですか?」
「俺も探したい人がいるからな……あれ? 出る? えっ、ここ地下避難所と繋がってるんだけど、どこに行くつもりだ?」
「避難所? ……あっ、マップにある駅と繋がってる場所?」
「そうそうそこだ! って、知らなかったつー事は、ひょっとしてあんた! 旅行で来たのか!」
「えっ、はい! そうですけど……?」
「あ、マジか。ちょっと待って、確か持ってる筈だから……」
ちずなの返事を聞くと、平良は慌てて服のポケットの中を漁り始めた。
そしてズボンから財布を取り出し、平良は中から一枚名刺サイズのカードを見つけて、ホッと安心したように、平良はカードをちずなに見せながらそう説明した。
「これ! この都市の緊急避難所が全部載ってるから、幼馴染の子と合流したらこれを見て避難所まで行け! 俺達はここにいる、んで、ルートはこれ! 分かった?」
そう説明した後、平良がカードをちずなの方へ渡し、そのカードを見て、ちずなは驚いた声を上げた。
「わかったって、えっ、貰っていいんですか?」
「ったり前だ! ここの住民はちっちゃい頃から定期的に避難訓練を受けているから、場所は覚えてる!」
「そうですか、では、お借りします! ありがとうございます、平良さん!」
「いいって事さ、じゃあ、避難所で待ってるから、あんたらも早く来いよ」
「はい!」
平良に手を振り、ちずなはそのカードを慎重に胸ポケットに仕舞って、澪との約束の場所へ、ちずなは真っ直ぐに走っていった。
しかし、一番近い道はコンクリートの破片で埋もれて、仕方ないから、ちずなは違う道を進んだ。
ショッピングモールの地図を思い出しながら、ちずなは出来るだけ最短距離で中央の大きいな噴水を目指した。
まだ時々地面が揺れ、上から建物の破片が落ちてくるが、ちずなはバッグを頭の上に上げて、澪と交流する為に走る足を止めなかった。
「いやっ! こっち来ないで!!」
唐突に、女性の悲鳴が聞こえた。
女性の声を聞き、反射的にちずながその方向へ振り向くと、目の前に起こった事に、ちずなは思わず足を止めた。
「きゃあー! いっやあっああっ!」
『上の窓から落ちてきた物に、変な丸い物があって』
「あぐっ、がっはぁっ、っっぁぁ」
『そいつに、俺の友たちが、喰われた』
丸い妙な物に襲われた女性を見て、ちずなは平良の言葉の意味を理解した。
その丸い物には目など存在しないように見えるが、口みたいな物が大きく開いて、その中から伸びた無数な糸が、正確に女性に絡みついた。
飲み込まれていく女性を見て、ちずなは拳を握り、何か出来る事はないかと必死に考えた。
だが、あっという間にあの口っぽいところが閉じて、女性が丸い物の中へ消えて行った。
その光景を見て、ちずなは恐怖と後悔を噛み締めて、音を立てないように振り向いた後、ちずなはまた噴水の方へ走り続けた。
今までのちずなは、澪を探して、その後地下避難所へ行く事だけ考えていた。
しかし、先ほど女性が食べられた光景を見て、ちずなは声を出して澪を探す事が危ないかもしれないと思い、口を開く勇気が出なかった。
もちろん、あの丸い物を引き寄せてしまったら危ないと言う恐怖心はある。
けど、それ以上に、先ほどの光景を、あの飲み込まれる場面を澪の前で再現させたくない気持ちが強かった。
女性の声を聞き、その姿を見つけた時、結構な距離はあって、ハッキリとは見えなかったのに、その数十秒だけで、ちずなは心を押し潰すほどの恐怖を味わった。
それがもし澪の前で起こったら、と、丸い物に飲み込まれたそのシーンがフラッシュバックしただけで、ちずなは吐きたくなり、涙が出そうになる。
だけど、澪を助けなきゃという気持ちに支えられて、ちずなは震える足を無理やり動かして、周りを観察しながら、ちずなは走った。
途中何度も地震が起きて、上からも破片が落ちてきたが、それらを掻い潜って、やっとちずなは噴水の前までたどり着いた。
コンクリートのせいで周りを見渡せない事を理解して、澪の姿を探すために、ちずなは遠慮なく噴水の中に入り、止まらない噴水の水でびしょ濡れになりながらも、ちずなは一番高い台を登った。
額にくっついた前髪を退かし、声を出せない代わりに、ちずなは何度も体を回転させて、その目は一階と吹き抜けになったショッピングモールの階層を満遍なく見渡した。
ふっと『コンコンコン』と靴と金属がぶつかるような音に気づき、そこでちずなは二階から一階へ下るエレベーターを駆け下りる澪の姿を見付けた。
澪を見つけた時、ちずなは少し安心した。
けど、すぐ澪は丸い物に追っかけてられている事に気づき、ちずなは噴水の高台から飛び降りて、バランスを崩しながらも、着地したその瞬間から、ちずなは走った。
「澪! こっちだ!」
「あっ、ちっ、ちずな、ちゃん!」
自分の方へ走ってくる澪を見て、ちずなは着地した時に地面にぶつけた痛みを堪えながら、澪の方へ全力で走った。
噴水で濡れたちずなにとって、ずぶ濡れになった服が少し邪魔だった。
けど、それに負けないように、ちずなは体を限界まで動かし、痛みを訴える体を無視して、ちずなは倒れないように足に力を入れた。
そして、先に澪の手を掴み、ちずなは澪を追う為に転がってきた丸い物の前まで飛び出した。
「澪、僕から離れて!」
澪を自分の背に庇いながら、力を篭った足で、ちずなは思いっきり丸い物を蹴った。
最悪そのまま掴まれる事もあるとちずなは予想していたが、その蹴りを受けた丸い物は後退する事なく、ただその場で止まった。
(食べられなかったけど、これは痛い!)
次の行動を警戒しながら、押し切れなかった痛みでちずなが顔を青ざめると、突然丸い物の体に残った蹴られた跡が大きく凹み、まるで苦しんでいるかように、丸い物はゴロゴロとのたうち回った。
驚いてちずなが凹んだ場所を見ていると、腫れたように膨れてはしぼんでいく痕跡に気づき、ちずなは集中してそれを見つめた。
(濡れた場所が蠢いてる? もしかしてこれが弱点なのか?)
よく見てみると、奇妙な動きをしている部分が、見事にちずなの靴跡と飛び散った水の跡になってる事に気づき、一つの可能性を思いついて、ちずなは素早くカバンから水筒を取り出した。
そして、水筒の蓋を外して、躊躇せずにちずなは中身を水筒ごと全部丸い物へぶん投げた。
もし標的が人だったら、悲惨な声でも上げているところだった。
けど、水筒自体は何もないように簡単に弾き返したのに、水を大量に被ってしまうと、丸い物はただただ凹んでいき、気のせいか、少し小さくなったようにも見えた。
本当に丸い物は水が弱点なのかを確かめようとして、ちずなは自分の方へ飛んできた水筒を掴み、そして残った水を遠慮なく丸い物の方へ撒いた。
水を浴びた丸い物は、声はないけど、苦しんでいるように丸い物は強く蠢き、段々とその体が平たくなり、動きが弱くなった。
ちずなから逃げるように距離を取りはじめた。
その光景を目にして、ちずなは澪の方へ振り向き、大きな声でちずなはそう叫んだ。
「澪! 噴水の中に入れ! 奴らは水に弱いッ!」
「わっ、わかった!」
ちずなにそう言われて、澪は急いで噴水の前まで走り、持っているショルダーバッグを置くと、ひょいっと小さく跳ねて、澪は噴水の中へ飛び込んだ。
澪が噴水の中に入った事を確認し、ちずなは凹んだ謎な物を警戒しながら、もう一度だけそれを観察した。
丸い物の水に濡れた部分が凹み、乾かせる事も排除する事も出来ないまま、水のせいで体が全体にしぼんで行き、段々と動けなくなる。
ちずなは何もしていなかったけど、ずぶ濡れの物が怖いのか、凹んでいる体は少し距離を取った。
水があれば、ある程度対策できる事を確信したと同時に、ちずなはまた飲み込まれた女の事を思い出して、その恐怖を抱きながら謎の物が離れたのを確認して、ちずなは澪の方へ走った。
「大丈夫? 怪我はない?」
「ちずなが居たから、大丈夫だよ」
自分と同じように全身ずぶ濡れになった澪を見て、とりあえず目立った傷がない事に安心して、ちずなは胸ポケットから平良から貰ったカードを取り出し、その指は避難所までのルートを指した。
「澪、ここは危ないから、地下の避難所へ行くぞ」
「え? 避難所があるの?」
「ああ、ここに来る途中、助けてくれた人が教えてくれたんだ」
「そこへ行っても、その、大丈夫なの?」
「正直に言うと、分からない」
澪の質問に素直に答えて、ちずなも少しは戸惑ったけど、不安で怖がってる澪を見て、ちずなは強気に言葉を吐き出した。
「けどさ、少なくともそこに行ったら他にも人はいるし、それに、僕たちはもうあれの弱点が水だという事を知っている。だから大丈夫だ」
「ちずなちゃん……」
ちずなの声を聞き、澪は濡れた長髪を耳の後ろまでまとめて、そしてちずなの顔を見て、仕方なさそうに澪はそう笑い返した。
「もうわかったわ。ちずなちゃんと一緒なら、何があっても怖くないから」
「そうか。じゃあ、行こうか」
「うん」
澪の返事を聞き、念の為にちずなはもう一度噴水の中に入り、ついでに水筒と他に使える容器に出来るだけ水を入れた後、澪の手を引いて、二人は地下の避難所へ向かった。
水音をたっぷり含ませた足音を立てながら、ちずなと澪は地下道を走った。
「澪! しゃがめ!」
「ひゃっ!」
ちずなと澪が出した音に引きつけられたのか、それとも、元々この丸い物は生命反応とかを検知出来たのかが分からない。
けど、避難所へと進んでいる間にも、二人は何回も丸い物を見かけた。
「ちずなちゃん、左!」
「わかった!」
素通りさせてくれる分は構わないけど、妙な触手を放ってくる丸い物と遭遇する度に、戦えない澪の代わりに、ちずなは濡れた自分の体を盾にして、触手を振り払う為に奮闘する。
別に格闘に精通しているわけでもないが、ちずなは濡れた手足を動かし、丸い物を追い払う為に攻撃し、水を消費し続けた。
「頼むから、これで吹っ飛べ!」
手足から伝えるズキズキとした痛みを極力無視しながら、ちずなは地を踏みしめて、濡れた拳で丸い物を殴った。
その間、澪は身を隠して、彼女は一人で戦ってるちずなを見ていた。
澪にとって、見ているだけで何も出来ないと言うのは、とても心苦しかった。
けど、どうしてもちずなのように立ち向かう事が出来ず、自分の臆病さを呪いながら、せめて邪魔にならないように身を隠して、澪は周囲を警戒した。
「よし、行くぞ澪」
「うん、分かった」
やっと近づいてきた丸い物を水で凹ませると、ちずなは澪の手を引いて、二人はその場から離れた。
そうやって、ちずなと澪は丸い物から必死に逃げ続けていた。
出来るだけ丸い物に近づかない、突然現れたらちずなは水と手足を使って、なんとか振り切ってみせた。
息を切らしながらも、ちずなと澪は進み続けて、やっと二人の前に、避難所が見えてきた。
丸い物が近くにいない事を確認した後、ちずなと澪は残った力を振り絞り、避難所へ向けて、二人は全力で走った。
避難所へ近づいていくと、扉の前に大人が一人立っているのが見えてきた。
そして、ちずなと澪の足音に気づいたのか、その人は二人の方へ視線を向けた。
ずぶ濡れになっているちずなと澪を見ると、その人は驚いた顔になり、急いでその人は二人の方へ歩いてきた。
「き、君たち、どうして濡れてるんだ? 大丈夫だったか!?」
「ぜー、だっ、大丈夫、です、濡れているっのは、ぜーっ、丸い物が水に弱いっ、から」
息が切れ切れになりながらも、ちずなは疲れで少し回らなくなった頭で、必死に質問に答えた。
そんなちずなの返事を聞き、その人は少し目を丸くした。
まじまじとちずなの姿を見た後、何かを思いついたかのようにその人は手を叩き、ちずなを見て、その人はそう話した。
「なるほど、君が平良が言っていたちずなくん、だったかな」
「あっ、はい、僕が、ちずなですっ、はあ……あなたは?」
「私は平良の……兄の時雨だ、よろしく」
少し躊躇を感じる時雨の言葉を聞きながら、やっとちずなは息を整えた。
時雨と目を合わせて、ちずなは濡れた前髪を退かし、深呼吸をした後、ちずなはそう返した。
「しぐれ、時雨さん。こちらこそ、よろしくお願いします。こちらは幼馴染の澪です」
「なるほど、ちずなくんと澪くんだね。さあ、中へ入って」
そう優しい声で言いながら、時雨は扉を開けて、彼はちずなと澪を避難所の中に入れた。
避難所の中に入ると、扉の裏側に座っていた人は頭を上げた。
先に時雨を見て、そして、彼の後ろにいるずぶ濡れのちずなと澪に気づき、不思議そうにそいつは時雨に聞いた。
「あれ? この子達、何故濡れてるんだ?」
「弟……平良たちが言っていた変な物を、この子達は水を使って、逃げ切ったんだ」
「また証人が増えたって訳か、てか水で?」
「こちらのちずなくんの話によると、あれは水に弱いらしい、」
「あー、だから濡れてるんだ」
「そうだね、これから水はかなり大事な物になると思う……譲くん、リーダーは?」
「医務室で怪我人の手当をしている」
譲の言葉を聞き、時雨は少し考えて、彼はそいつにそう言った。
「じゃあ、水の事とか着替えの事とか色々あるし、この子達は私が案内するよ」
「オッケー、分かった。あ、時雨さん、なんか液体系の物とか貰っていい?」
「すまない、私のはもうあまり残ってないんだ」
「そっか、まあ仕方ないが」
申し訳なさそうな時雨の声を聞き、譲は苦笑いをした。
その時、話を聞いていたちずなは自分のリュックを漁り、中から一本少し凹んでいるペットボトルを取り出して、ちずなはそれを譲に差し出した。
「あの、よかったらどうぞ」
「え? いいのか?」
「一応水筒もありますし、それに、外に行くのでしたら、持っている方がいいと思います」
「そうか、じゃあ貰うわ。ありがとうな! あー、ええと……」
ちずなの手からお茶を受け取り、そいつは少し苦味の混ざった笑みを浮かびながら、先程聞いた名前を思い出そうと頑張った。
自分の名前の覚えにくさを理解しているから、ちずなは淡々とそう答えた。
「ちずなです、よろしくお願いします」
「ちずな、ちずなか、面白い発音だな……って! お前さんが平良ちゃんが言ってた子か、なるほど。あ、俺は譲、よろしくな」
「ゆずる、譲さん、ですね」
「おう。っと、後ろにいる嬢ちゃんは?」
「あれ? なんて僕の後ろに隠れてるの?」
ちずなに名乗ったあと、譲はちずなの後ろに隠れた澪に気づき、声を掛けようとした。
けど、頑なに目を合わせようとしない澪を見て、彼は軽く手を振り、ちずながくれたボトルを持って、譲はそう言った。
「おうおう、人見知りオーラ全開だなこれ、まあいいよ、無理しなくても。んじゃ、行ってくるぞ」
そう言い終わると、譲は手を振り、のんびりと外へ歩いて行った。
扉が閉じたのを見て、ちずなは澪の方へ顔を向けたが、澪が不服そうに膨らんだ頬を見て、ちずなは呆れたようにため息をついた。
澪の目と合わせながら、ちずなは手を伸ばし、ぐちゃぐちゃになった澪の髪の直しながら、ちずなは口を開いた。
「あのな、知らない男が苦手だってのは知ってるけど、流石に今のは失礼だぞ」
「だ、だって! 無理なんだもん!」
「それも分かってるけど、避難所は色んな人が居るし、僕だってずっと傍にいる訳じゃないよ」
「えっ、でも……」
口ごもった澪を見て、思わずため息を吐き、ちずなはどこか呆れたように澪の背中を叩いた。
「ならさ、せめて僕の恩人の兄である時雨さんに名前くらい伝えてくれない?」
「お、恩人ってどういうこと?」
「ちゃんと話したら教えてやる」
ちずなに真剣にそう言われて、澪は振り向き、時雨を見上げた。
澪とちずなのやり取りを見守っていたから、時雨はただ静かに微笑み、澪の行動を待っていた。
そんな時雨に気づき、澪は何度も口をパクパクさせて、やがてすごく小さな声で、澪は時雨にそう言った。
「澪、と、言います……よろしく、お願い、します」
「澪くんだね。私は時雨、よろしくお願いしますね」
優しく微笑みを浮かべて、時雨が澪にそう答えた後、少し離れている方の扉を指して、時雨は二人に教えた。
「あそこの青い扉が救護所だ、運のいい事に、医者がいる。……ちずなくん、傷もあるけど、特に足は絶対に先生に診て貰いなさい」
時雨にそう言われて、澪は驚いたようにちずなを見ていた。
そして、指名されたちずなは複雑な表情になり、少し考えた後、ちずなは時雨にそう聞き返した。
「あの、何時気づいたのでしょうか?」
「強いて言えば、私の元へ走ってきた時」
「それって最初からですね」
「そうだ。さあ、二人とも救護所へ行きなさい、今なら先生も起きているはずだ」
「分かりました。……澪?」
時雨が先に歩くのを見て、ちずなもゆっくりとその後についた。
呆然とした澪は時雨とちずなを見て、少し悔しそうに彼女は下唇を噛み、ちずなに呼ばれて、やっと澪も二人の後について、救護所へ向かった。




