その6
学はドアをノックされた音で目を覚ました。飛び起きてドアを開けるとセルエトが立っており、いつもの様に単語カードを見せる。
『Meal』『Preparation』『Completion』
学は伝えられた内容は解ったのだが、なんと返事をしたら良いのか解らずにとりあえずうなずいてみせた。
それで伝わったようで同様にうなずいて隣の部屋へと歩いていった。
(イエスノーくらいはこちらの言葉で教えてもらわなきゃいけないな。)
返答に詰まった事を踏まえてそんな事を考えながらベッドに戻る。みなすでに身体を起こしている。
「今、ベッドにノックの振動が来てなかったか?」
光輝がそんな事を言いだすとローゼンベルクもそれに答える。
「やー、確かにドアをノックしただけにしては音が近かったよね。」
学は飛び起きてすぐにドアに向かったので気づかなかったが、確かに音が大きいと言うか響いた様な気がしないでもない。
「まぁ、なにか仕掛けがあるんだろう。それよりも、メシなんだろう?」
戌井がベッドから降りながら学に尋ねる。
「あ、うん、準備が出来たみたいだよ。」
言いながら腕時計を見ると午前3時になったところだった。部屋に戻ってから2時間ほど経っている。部屋には明り取りの小窓しか無いので外の様子は解らないが、まだ夜中という時間では無いはずだ。
学たちが部屋を出ると、ちょうど隣の部屋からも出てきたところだ。
セルエトが吹き抜けに面した手摺りの前に立っているのでそちらの方に歩いていくと、下の階から料理の匂いが漂ってきている。
「これは美味そうな匂いだな。」
戌井が思わず口にする。戌井は運動部では無いが体格が体格なので量はそれなりに食べるのだ。
セルエトは全員揃っているのを確認してから先導して階下へと降りていく。
階下の食堂の様なスペースには4人掛けのテーブルが4x4で並べられていたのだが、その中の厨房に近い側の真ん中寄りの4つがくっつけられている。その上に大量の料理が並べられているのを見て思わずみんな声をあげる。
「おお、肉だ!」
「やー、これはすごいね!」
「美味そうだな。」
ローストした肉や煮込んだ肉をメインに、魚料理、パン、果実、野菜のサラダ、チーズ等が所せましと並べられている。
「ソーセージみたいなのもあるな。ヘルマン氏が伝えたのかな?」
「やー、お隣のオランダもソーセージとチーズは有名だからね。時代は違っても食べてただろうね。」
光輝の言葉に反応してローゼンベルクが答える。
「いや、オランダって・・・」
(オランダなんて日本風の言い方はさっき始めて聞いたんだろうに。)
光輝はローゼンベルクの対応力の高さに舌を巻いた。
去年同じクラスでありかがく部でも一緒の学以外とは、新学年になって始めて会ったようなものだ。ローゼンベルクに至っては日本に来たばかりのはずだ。
(各々の人となりも見ていかないとな。)
豪勢な料理を前にそんな事を考えながら席に着く。
みんなが席に着いている中、小白がひとりでうろうろとしながらデジカメで料理の写真を撮っていた。
「ある程度記録も必要か。」
学は止めようとしたのだが、光輝のつぶやきを聞いてそのままにした。気が済めば終わるだろう。
小白がテーブルの周りを2周ほどしながら写真を撮り、空いている席に座った。
セルエトは何事かと様子を見ていたのだが、座ったのを見て厨房の方へと声を掛ける。すると厨房からエプロンともなんとも付かない物を身に着けた若い男がふたり、壺のような物を持って出てきた。そして順にテーブルの上の空いたグラスに飲み物を注いでいく。
「そういえば、アルコールは遠慮したいって伝え損ねたな。」
光輝が隣にいる学にささやく。
「そうだったね。食べ始めたらみんなにそれとなく注意するしか無いね。」
学もすっかり忘れていた。
「やー、さっきも大きな事にならなかったから良いんじゃないかな?」
光輝の反対側からローゼンベルクが言う。
「そうそう、自己責任だよ。」
さらにその向こうに座っている戌井も声を上げる。
そんなやり取りを見て光輝の正面に座っていた南が尋ねる。
「どうしたの?」
「いや、飲み物なんだけど・・・」
と、学が答えかけたところでセルエトがグラスを持ってテーブルの正面側に立った。が、何か言おうとしたところでハッとした表情になり空いてる左手で頭を抱える。歩き始めようとしてそれもやめる。
どうやら言葉が通じないのを失念していたようだ。そして、単語カードを取りに行こうとして止めたらしい。
セルエトはわざとらしく咳払いをして少し大きめの声で言う。
「△※△○&@ +※+%+ *$%&§∞&%△ ▽○# #※# ∞$※△&」
当然、一同には何を行っているのか解らない。しかし、持ったグラスを掲げて叫んだ言葉はなんとなく解った。
「※%○☆△#!」
「乾杯!」
一同はセルエトの言葉に続けてグラスを上げて乾杯の声を上げる。それを見てほっとした表情でセルエトはグラスを一気に空けた。そして後ろのカウンターにグラスを置き、そのままカウンターの椅子に座ってこちらの様子を見ている様だ。
「間に合わなかったか。」
光輝がそう言うと、学が先ほど南に言いかけていた言葉を続ける。
「飲み物だけど、アルコールの入ったものがあるみたいなんで気を付けようって話をしていたんだ。」
そう言いながら軽くグラスを上げて見せる。
「あ、その事ね。さっきも様子を見てたけどガブ飲みでもしない限りは大丈夫じゃないかな?体質的にまったくダメって人もいないみたいだし。」
南は一同を見渡しながら言う。
「うちが居酒屋なんでよく手伝ってるんだけど、本当にダメなタイプは飲んでるとこをちょっと見れば解るよ。」
南の家はチェーン店では無いが、カウンター席の他に20人ほども入れるようなそこそこの大きさの居酒屋だった。
「そんなに強いものが出てくるわけでもないみたいだしな。」
「やー、こちらの文化に溶け込まなくちゃ。『郷に入っては郷に従え』だよ。」
戌井とローゼンベルクにそんな風に言われて学と光輝は顔を見合わせる。特に強く反対する理由も無い。
「ちょっと良いかな?」
学は軽く右手を上げて一同に話しかける。
「食事のときに出してもらっている飲み物だけど、少しアルコールが入っていたりするみたいなんだ。飲む、飲まないを含めて自己責任で気をつけて。」
と簡単に説明する。今までの会話自体がすでに聞こえてはいるのだろうが、改めて話しておいた方が良いだろうという判断。
「オーケーオーケー。」
ローゼンベルクがそう言うと、他の面々、主に会話に参加してなかった者も
「了解。」
「わかった。」
などと返事をする。それを聞いて学も食事に戻る。
「ってかさ、俺はいつまで班長なわけ?」
食べながら光輝に話しかける。
「まぁ、その辺は身の振り方というか、先行きどうなるかが解ったら改めて考えよう。それまではよろしく。」
と軽く流された。
学はため息をひとつついて食事に専念する事にした。
大皿に乗っているのはテレビや写真などで見たことのある、豚の丸焼きのようなものだ。頭が付いていないので豚かどうかは解らない。少し小さめの鶏のモモのような形の肉もローストされている。大きめの角切りにして煮込まれた物もあった。これは昼間出されたシチューのような物とは違い、肉をメインに作られている感がある。
ソーセージは大きめの物と小さめの物とあり、こちらは茹でてある。
少し大きめの魚はムニエルのような調理をされている。小さめの魚は唐揚げというかフリッターというか、どちらにしろ粉を付けて油で調理されている。
チーズはいわゆるフレッシュチーズが2種ほどある。
パンは昼間食べたものより小ぶりのものが申し訳程度に置いてあった。これもあまり膨らんではおらず、少々固い感じだ。
野菜のサラダとフルーツは結構な量が盛ってあった。
最初のうちは雑談などもしながら食べていた一同だが次第に無口になり、ひたすら食べる事に専念していた。
* * * * * * * * *
「いやぁ、食べたな。」
他の者の3倍は食べていたのではないかという戌井が腹をさすりながら言った。
戌井だけでなく他の者もそれなりに大量に食べていた。テーブルいっぱいにあった料理はあらかた平らげられており、最初に一同を宿で出迎えた女将らしき壮年の女性が食器を下げに来た際に嬉しそうな顔をしていた。
「やー、美味しかったねー。慣れない味だから巧く感じたのかも知れないけど、それを差し引いても充分美味しかったよ。」
ローゼンベルクも満足そうに出されたお茶を飲みながら言う。
「それにこのお茶、昼間のとは違って身体がほぐれて気分が落ち着くね。」
学もそれは感じていた。昼間出されたお茶のような体力の回復感は無いが、ローゼンベルクの言うように落ち着いた気分になる。
一同がまったりしていると、セルエトが階段を降りてきた。セルエトを始めとする兵士たちもカウンターの隅の方で交代で食事をしていた。学が見た感じだと随分と喜んで食べている様だったので、この任務は役得だったのだろうか?
セルエトは一同に向けてカードを見せた。
『Rest』『Room』『Until』『Tomorrow』『Please』
それを見たローゼンベルクがいつもの様に一同に伝える。
「明日までは部屋で休んでるようにって。」
満腹となった一同にもちろん異論はない。またいつもの様にバラバラと気のない返事を返してきた。
セルエトはその様子を見て次の一組のカードを示す。
『Tomorrow』『Move』『Long』『Distance』
「明日は・・・長距離の移動らしいよ。」
ローゼンベルクがつぶやく様に言ったが、学と光輝以外はほとんど聞いていないようだった。
「・・・まぁ、いいか。」
光輝もみんなの様子を見てそうつぶやく。そしてローゼンベルクに向かってうなずき、それを見て彼もセルエトに向かってうなずく。
「じゃぁ、部屋に戻って寝ようか。」
セルエトに伝わったのを確認して学が一同に言う。その言葉を合図に一同は立ち上がってそれぞれ階段を昇り部屋へと戻っていく。
学と光輝も皆が階段を昇るのをの見届けて最後尾に付いて昇る。
「長距離ってどこに連れて行かれるんだろうな。」
学が小声で光輝に言う。光輝もそれに合わせて小声で返す。
「大きな街、それこそ首都にでも連れて行かれるのか、逆に人気の無いところに連れて行かれるのか。なんにしてもこの世界の地理も解らないし、俺達は無力だ。言われた通りに行動するしか無いだろうな。」
二人の前を歩いていたローゼンベルクがそれを聞いていたようで振り返って話しかける。
「やー、それじゃあちょっと探ってみようか。」
「探るって?」
「期待に添えるか解らないけど任せてよ。」
ローゼンベルクは聞き返した学にウィンクしながらそう答える。
「大丈夫かな?」
学が小声で光輝にそう言うと、ローゼンベルクがわざとやるような大げさなジェスチャーで肩をすくめて
「まぁ、なるようになるだろ。」
と答える。
学も同じ様に肩をすくめて笑った。
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