七十三.バックレ良くない
「…………………え?」
俺の言葉を聞いて、王女エメラルドは茫然としていた。隣にいたシューズも似たような顔をしている。
「……な……何故です……か? ナツイ様……」
「決まってるだろ、その【マルゲリータ】何とか候爵と話せ」
「イシハラさん……誰ですかそれ……【マルグラフ】です」
ムセンが訂正する。
そんなのどっちでもいい、死ぬほど興味無いし。
「……イシハラ君、どうして? 話す必要なんかないよ」
珍しくシューズが真面目な顔をして俺に言う。面倒だから無視した。
「………何故でしょうか……ナツイ様……ナツイ様は言ってくださいました……『自分のやりたくない事を続けて苦しんで生きる必要はない』と……『自由のカードはいつでも使っていい』と……」
「だから何だ?」
「わたしは……それを今使いたいのでございます……わたしはあのお方の元へ行くのは嫌なのだと、強く感じているのです……ナツイ様達にはご迷惑をおかけしてしまうかもしれませんが……」
「駄目だ」
「………やはり……わたしが『王女』だからでしょうか……? わたしが逃げるとナツイ様達だけではなく……お父様やお母様……国の民にも迷惑がかかるからでしょうか……?…………そうでございますよね……わたしはやはり……無責任に人生を放棄する事は……できない運命なのですね………」
王女は膝から崩れ落ちる。
そして、両手で顔を覆い、人目を憚らず泣き出した。
「……何故っ……わたしは王女になど産まれてきてしまったのでしょうっ……! 何故っ……わたしは奴隷とでしか生きられなかったのでしょうかっ……! どなたかっ……どなたか教えてくださいっ……! ぅうっ……うわぁぁぁぁぁっん……!」
「…………イシハラ君、どうして……なの?……教えて? どうして……?運命で決められた職業は……嫌になっても逃げちゃいけないの……?」
それに連れてか何なのかシューズまでもが珍しく泣きそうな顔をして俺に言う。
まったく、いつまですっ頓狂で的外れな事を言ってるんだか。誰もそんな事は言ってない。
確かに一般人と王女ではその身分から逃げ出す責任やら重圧やらが全然違うだろう。だが、みんながみんな苦労してるんだ。自分だけが逃げ出すなんて許されない。産まれや差別、仕事で苦しんでるのはお前だけじゃないんだぞ──
──なんて、俺がご高説な説教でもすると思ってるのか? 残念、的外れだ。
「だってお前、辞めるって言ってないだろ?」
「………………………………………え?」
皆が俺の言葉にポカンとした。いや、当たり前の事を言ってるんだけど。
「………えっと……辞めるって……何をでございましょうか……?」
「『王女』をだよ、馬鹿かお前」
「……………えっと………はい………」
「仕事を辞めたいなら辞めるとちゃんと伝えろと言ってるんだ」
バックレは許されない。
そんな事がまかり通ってしまえば、その仕事に就いている現場の人間や責任者にしわ寄せがいく。特に大衆の注目を浴びる王女だ、『王女をバックレた』なんてことが世間に広まれば必ず他の職業のやつも『バックレていいんだ』なんて思うに違いない。
誰かがやりはじめると皆やる、大衆心理だ。
それが警備兵にも起こるのは阻止せねばならない。俺が面倒くさくなる。
警備員時代にもよくあった事だ、現場に同僚が来ない、トんだせいで代わりの人員が手配できず休憩も取れずに苦労した事が。そいつの給料が貰えるわけでもないのに。思い出したらイライラしてきた。
「ここで逃げ出せば、この先逃げ出した人生が続く。たとえ逃げ出した先に幸せがあろうが、お前はこれから『逃げ出した王女』のレッテルを貼られる。そして嫌な事があるたびに逃げ続ける」
「!!」
「黙って逃げようとするな、それじゃ単なる卑怯者だ。自分の意志をちゃんと伝えろ、『やりたくないからやめる、向いてないからやめる、やる気なくなったからやめる』、何でもいい。それで初めてお前は『自由』を使えるんだ」
辞める旨を伝えるにあたって色々と面倒な事も起こるだろう。だが、それを恐がって逃げたら全てが自分のせいになる。そんなのはアホらしい。
どうせ辞めるんならもう関係ないんだから、きっぱり辞めると伝えてスッキリしろ。そうすればもう自分に責任はない。その方が後腐れなくて何倍も気持ちいい。
「問うは一時の恥、問わぬは末代までの恥。辞めると伝えてごちゃごちゃ嫌な事を言われたとしても一瞬だ、だが、何も言わずに逃げたら一生つきまとわれる。だったら気持ちをぶつけてそれから辞めろ」
「……………………」
エメラルドは泣くのを止め、考え込んでいる。
「………けど……なのよ、イシハラ……そんな簡単にいく話じゃないなのよ……もしもそれで辞めさせてくれなかったら……拘束でもされたらどうするなのよ……?」
そんなのは知った事か、それは王女と政治がらみの問題だ。俺の出る幕じゃない。
「そんな無責任な……なのよ……」
「だが」
「………?」
「エメラルドが依頼するのなら話は別だ、もしも俺達に警備を頼むんならな」
敵は王女を辞めさせてくれないブラック企業。最早、警備兵の仕事の領分じゃない。弁護士や労働基準監督署の仕事だけど。
それでも王女の身を守る事を依頼されたのなら、それを全うするのが俺達【警備兵】の仕事だ。邪魔しようとする奴は敵だ。
「………………ナツイ様、貴方様の『問うは一時の恥、問わぬは末代までの恥』……その崇高なる御言葉……まるでこの身を蒼天の雷に撃ち抜かれ、焦がされたように感じます」
エメラルドはまたもやわけのわからない事を言った。だからこれも俺の言葉じゃないんだけど。引用しただけだ。
「ナツイ様っ!! わたしはっ……王女としての肩書を放棄致したく思いますっ!! そして……奴隷としての結婚も放棄したいと、強く思いますっ!! わたし……今から皆様にそれをお伝えしに行きます!! どうかっ……この身をお守りくださいませっ!!」
「承知した、俺らが警備してやる」




