七十六.奴隷解放宣言
それからエメラルドは長い時間をかけ、話した。
これまでの生い立ち、両親や姉兄の事、環境、職業検査で天職の奴隷だった事、そしてそれからの事を俺達に話したように包み隠さず。
唯一、グラタン辺境伯爵を城で見かけた事やエメラルドの父と密談を交わしていた事、辺境伯爵の周囲について調べて判明した事実は話さなかった。
まぁ、それは俺の入れ知恵なんだけど。現状、そのカードをきっても証拠が足りないしリターンは得られないと思ったからだ。
しらを切られたらそこまでだし、余計な軋轢を生み出すだけ。
ここに来る道中、エメラルドにはそう言っておいた。
何より今はエメラルドの思いを正直に話す場。辺境伯爵の事は後だ、話が済んでから考えればいい。
王はエメラルドの話を真剣に聞いている。
それにならい、事情を全て知っているグラタンも口を挟まず聞いているようだ。
「事情は大体把握したわ、イシハラ君」
エメラルドが話している最中、いきなり後ろから小声で話しかけられた。周囲確認術で誰かが音もなく入室してきたのはわかってたけど。
「宝ジャンヌか、いきなり背後に立つんじゃない。びっくりした」
「ふふ、貴方が驚く事なんてあるのかしら?……それよりも貴方って何だかんだ言って面倒見がいいのね、王女を助けてあげようとするなんて」
「何の事だ? 俺は依頼を受けたからやっているだけだ」
「ふふ、どうせ貴方からそうなるよう仕向けたんでしょ? 素直じゃないんだから」
勘違いも甚だしいな。
「イシハラ君、以前に持ちかけた話……覚えてる? あの話……再考してみる気はない?」
「騎士になる話か? しつこいぞ」
「それが私の取り柄だもん、それに……必要になってくるかも。もしも私の勘違いでなければ……ね」
宝ジャンヌは何か含みを持たせた言い方をする。何故俺が騎士になる事が必要なんだ。
「ジャンヌさん……何か方法はありませんか? このままでは……」
「あら、ムセンちゃん。貴女も相変わらず優しいのね、見ず知らずの出会ったばかりの他人のためにそんな真剣な顔ができるなんて……けど、心配する事はないわよ」
「………え? ジャンヌさん……何故ですか?」
「あなた達はまだこの世界の事や事情についてあまり知らないでしょうから無理もないわね。この世界の『職業』にはね、公にされていない部分があるの。秘匿され、王族や高官、有識者の一部にしか伝わらない隠された秘密が、ね」
「………? 『職業』に関する……秘密ですか?」
「ええ、あなた達には話しても構わないと思ってるけど……それを話すのは後ね。一つ言える事は……子を想う親の気持ちはそんな脆いものじゃないのよ。私も昔……バルト家の王族夫妻にお会いした事があるけど、本当に仲の良い家族だったわ。王族にしては珍しいくらいね、そんな家族が……職業の適性検査くらいで離れてしまうとはとても思えない」
「……?? どういう事でしょうか……ジャンヌさん……よく意味が……」
宝ジャンヌはそれきり話をせず、エメラルドの話に耳を傾ける。
「…………そして、私は今日の日を迎えました。明確に……お父様やお母様から聞かされた事はありませんでしたが……風の噂でわたしがマルグラフ候と結婚するという話を耳にして……悟り、そして覚悟しました。それが国のためになるなら、と」
エメラルドの話は現在の状況に追い付いた。
「……おぉ……なんとそのような事が……余も初めて聞かされましたぞ……同情の念を禁じえませぬぞ……さぞ、お辛かったでしょうな……」
グラタン伯爵は白々しい演技をしている。
そしてその太った腕を大げさに広げ、まるで喜劇を演ずるように大声でその場にいる全員に誇示する。
「しかし、余はそのような事は気にも留めませぬぞ!! むしろ、より一層今日の日の喜びが高まりました! 余があなたを救いましょう! 職業適性に関わらずとも! 謀りの結婚であろうがこれから想いを育んでいけば良いのです! それこそが真実の愛と言うものでしょう!!」
「………ありがとうございます、マルグラフ候。もしもわたしが……自由を知る前であったなら……あるお方に出会わなければ……諦めて受け入れていた、と思います。奴隷として尽くせる喜びを感じてしまっていたかもしれません……そう考えると……とてもおぞましい、そう判ぜざるを得ません」
「そうでしょうそうでしょうっ………………………………は?………今、何と言われましたかな?」
「その演技、作り笑いの笑み、見せかけの優しさ、その全てが……生理的嫌悪を感じざるをえない、と、そう言ったのですっ!!」
エメラルドは伯爵に負けないくらいの大声で、室内どころか城全体に響くような、ありったけの声量を出した。
「………………………………聞き間違いですかな……? そうでないとしたら……あまりに突然の結婚に戸惑っておられるのですかな……? 第二王女様……あまり短絡的に一時的な感情を吐き出すものではない。それがこの先……国にどのような影響を及ぼすか……考えられないわけではないでしょう……?」
「っ……!………ぅっ………」
エメラルドはパスタ伯爵に睨まれ、ビクッと体を震わせる。そして、次の言葉を詰まらせ泣きそうな顔をして俺を見る。目にはうっすら涙を浮かべながら。
どうしたんだ? 腹が減って力が出ないのだろうか?
実は俺もだ。
さっきからスパゲッティとかグラタンとかパスタとか浮かんできてしょうがない。
これらは基本的に女子の好む食べ物だが、たまに食べたくなるんだよな。勿論、女子と同じ量では足りないけど。
「ナツイ様ぁ………」
エメラルドはずっと俺を見つめてくる。
きっと腹が減って声も出ないのだろう、その気持ちは良くわかる。
俺はエメラルドの思いに返答した。
「(はらへった、俺もガッツリ食いたい)」
あかん、俺も声が出ず口パクになってしまった。空腹の臨界点や。
「!!!『大丈夫だ、俺がついている』……!? ありがとうございます!! ナツイ様っ!! またわたしが奴隷に戻ろうと……弱気になり躊躇しているのを全てわかってそれほどのお優しいお言葉をっ……わたし、またもや救って頂きました!! ナツイ様がお側についてくれている!! それだけで……わたしはもう何も怖くありませんっ!!」
エメラルドは俺の口パクを見て何故か決意の表情を取り戻し、何かわけのわからない事を叫んだ
何か勘違いコントみたいな状況が発生してる気がする。
「わたしはもう奴隷ではありませんっ!!!! そして……本日をもって王女の称号も返上させて頂きたく思いますっ!!! わたしは……自由を得たいのですっ!! 陛下っ!! この想いっ……わたしの両親に伝えるまで……結婚の承認を待っては頂けないでしょうかっ!!? わたしは……マルグラフ候との結婚をお断りしますっ!!! 生理的にも受けつけませんと、強く思いますのでっ!!!」
エメラルドはしっかりと、その想いを主張した。
よかったよかった、これが俗に言う『奴隷解放宣言』だな。