08
「そんなことないよ?」
「すでに私とこの商人さんと、無条件で信じちゃってるでしょう。私が襲ったらどうするつもり?」
「うぐ……」
なるほど言われてみれば、確かにアスカは警戒心が足りなかったかもしれない。これは反省すべきことだろう。アスカが肩を落とすと、マリベルは笑いながらその頭を撫でてくれた。
「ただ、アスカは話していて気持ちがいいわ。今のままでいてほしいとも思う。だから、十分に警戒心を持って、かつ変わらないでいてね」
「無茶苦茶言ってない?」
「言ってるわね」
楽しそうに笑うマリベルと商人。アスカはしばらく考え込んでいたが、やがてまあいいかと笑った。
旅なんてまだ先の話だ。少しずつ、レヴィアと一緒に覚えていこう。そう考えて。
途中の村で一泊して、翌日の夕方前にアスカたちは町にたどり着いた。
「なんだ? この町はいつもこんなに静かなのか?」
門の前で商人が言う。アスカはそんなわけがないと首を振る。
「どうしたのかな。何かあったのかな……?」
アスカがそう言って隣のマリベルを見ると、彼女は顔を真っ青にしていた。まさか、と小さな声で何度もつぶやいている。
「マリベル?」
アスカが呼ぶと、マリベルははっと我に返り、素早く指示を出した。
「商人さん。アスカを連れてすぐに引き返して、人を呼んでもらえる?」
それだけで商人は何かを察したらしい。大きく目を見開き、神妙な面持ちで頷いた。
「あんたはどうする?」
「様子を見てくるわ。何事もなければ、笑い話にしましょうか」
「そうだな……。笑い話になることを祈るよ」
アスカを置いて、どんどんと話が進んでいく。さすがにアスカも口を挟む。
「待って。私も一緒に行くよ」
「だめよ。もし懸念していたことが起きていたら、死ぬわよ?」
「え……?」
「多分、赤姫がいる」
商人が短く告げた言葉に、アスカの頭は真っ白になった。
赤姫。多くの町の人々を殺し尽くしてきた殺戮者。それが、この町にいる。
次に思い出したのは、家族とレヴィアの顔だ。
そして思い出した直後、アスカは走り出していた。町に向かって。
「アスカ! ああ、もう! 馬鹿商人! 行きなさい!」
「す、すまん!」
馬車が遠ざかる音とマリベルの声が聞こえてくる。マリベルがアスカを呼び止めるが、そんなことを気にしていられない。
門を通って、町の中に入って、アスカは絶句した。
赤い。赤い。真っ赤な町が広がっていた。
多くの人が死んでいた。血の海が広がっていた。体を真っ二つにされた兵士や、首のない死体が大量に転がっている。濃い血の臭いが、漂っていた。
「う……」
思わず口をおさえ、その場にうずくまる。そのアスカの背を、誰かが撫でてくれた。そちらを見れば、マリベルが青ざめた顔のまま、しかし獰猛な笑みを浮かべていた。
「確定ね。赤姫がいるわ。おそらくまだ、この町に。赤姫は、殺し尽くした町に一日滞在するから」
悪趣味なことにね、とマリベルは肩をすくめる。アスカは何も言えない。頭は真っ白になったままだ。
「アスカは外に避難しなさい。できれば森の中がいいけど、それはそれで魔獣がいるだろうし……。あなたの判断に任せるわ」
「マリベルは……?」
「まあ、そうね……。せっかくだし、赤姫の討伐でもしてみようかしら」
いたずらっぽく笑うマリベル。だがその表情は、全てを悟ったかのように澄み切ったもので。
分かっているのだ。赤姫に挑めば、間違い無く殺されることに。
「最後にあなたと知り合えて良かった。とても楽しかったわ、アスカ。これ、今後の生活に役立てなさい」
そう言ってマリベルが渡してきたものは、小さな巾着袋だ。ぼんやりとしたまま受け取ったアスカに、マリベルは言う。
「それには空間魔法がかけられていて、見た目以上に物が入るわ。テントとか、寝袋とか色々入っているから。旅をするなら使えばいいし、いらないなら袋ごと売りなさい。貴重な袋だからね、それなりのお金になるわ」
「だめ、だよ……。マリベルも一緒に……」
「だめよ。私もこの町の人間で、あれを知ってるからね。多分逃がしてくれないわ」
え、と固まるアスカと、意味深に微笑むマリベル。マリベルが優しくアスカの頭を撫でてくる。
「何も知らないあなたなら、見逃してくれるかも。だから、生きなさい」
そう言って、マリベルは町の奥へと歩いて行ってしまった。
どれほどの時間、そこにいただろうか。アスカは未だまとまらない思考で、それでもゆっくりと立ち上がった。逃げるためではなく、ふと、思い出したからだ。
両親は無事だろうか。レヴィアはちゃんと逃げただろうか。
家へと向かって、歩き始める。未だ濃い血の臭いが漂っているが、さすがにもう慣れてしまった。
家へと向かう道で、父は見つかった。
民家の壁によりかかり、事切れていた。それが父だと分かったのは、他の死体と違って、何故か父だけは綺麗に殺されていたからだ。心臓を一突きにされたのか、胸にぽっかりと穴が空いていることをのぞけば、死んでいるとは思えない。
予想はしていた。それでも……。
その場から逃げるように、アスカは走り出す。音のない町を、たった一人で。
そうしてすぐに自宅にたどり着いた。不思議と汚れていない。血の一滴も、アスカの家にはかかっていなかった。扉を開けて、中を覗く。
母が椅子に座っていた。母の目の前のテーブルには、誰かが食事をしていたのか食器が残されている。きっと誰かと談笑でもしていたのだろう。
その母は、何も言ってくれない。椅子に深く腰掛けて、居眠りしているかのように。けれど、やはり死んでいるのはすぐに分かった。母の胸にも、穴が空いていたから。
母に近づく。その頬に触れてみる。冷たかった。
「……っ!」
涙が止めどなく溢れてくる。分かっていたことだ。赤姫が現れた以上、生き残りなんているはずがない。探し尽くし、殺し尽くす。それが、赤姫だ。
レヴィアは家にいるだろうか。せめて、両親と一緒に、アスカがお墓に入れてあげたい。そう思って、家の中を探してみる。ふらふらと、家を探索する。
どこにもレヴィアの姿はなかった。だが、出発した時になかったものが、自室にあった。
「なにこれ……」
大きめの袋だ。持ってみると、じゃらじゃらと音がする。中を開いて見てみれば、ぎっしりと金貨が詰まっていた。