07
最初にたどり着いたのは、小さな村だ。畑などが多く、民家は少ない。馬車で行き交う人が休めるように、大きめの宿は用意してくれていた。
宿といっても、ただ広いだけの建物だ。毛布だけは多く借りられるようだが、仕切りがあるわけでもないらしい。
「場所にもよるけれど、野宿じゃないだけましな方よ。地域によっては、村すらもない場所もあるから」
雨の心配をしなくていいだけ、十分よ。それを聞いた時はたくましいなと思ってしまった。旅をするならそういったことも考えておかなければならないらしい。
「旅って難しい……」
「慣れよ慣れ。最初のうちは、拠点と決めた町から離れすぎないようにすれば、何となく分かってくるわ。離れると取り返しがつかなくなるかもしれないわよ」
実際に経験してきた現役の話はやはり何物にも代えがたい。しっかりと覚えておくことにする。
そうして一夜を明かして、一行は次の村へと出発する。
馬車に揺られながら、マリベルとの会話を楽しむ。思えばレヴィアと話すことは多いが、他の人との会話は少なかったと思う。仲が悪いというわけではないが、どうにも避けられていたような気がする。
今日の話は、町から町への移動中で気をつけるべきこと、だ。
「当然ながら最初は魔獣ね。ただこれに関しては、ある程度対策できるわ」
そう言ってマリベルが指差したのは、馬車の前方。そこに置かれている淡く光る不思議な箱だ。アスカもあの箱は知っているが、見たのは実は初めてだ。
「魔法で作った特殊な箱、だよね。あの中には精霊がいて、魔獣を遠ざけてくれる。ただ、精霊が協力してくれる時間は、契約した人による」
「そう。あまり過信していると、道のど真ん中で消えてしまうということもあり得るわ。移動の距離にもよるけれど、常に三個ほどは常備しておいた方がいいわね」
「でもあれって、結構高い、ですよね?」
「一個で安くても大銀貨一枚ね」
「うわあ……」
手の届かない値段ではない。それこそ年に一回、旅行に使うなら、安全を買うと思えば妥当な出費だ。だがこれを、毎日のように使うとなれば、あっという間に金が尽きる。
「冒険者としてそれなりの実入りがある依頼が達成できるようにならないと、旅なんてできないわね」
「世の中お金なんだね……」
「その年でその達観は良くないけれど、否定はしないわ」
いつか自分で作れるようになれればいいのに、とさすがに自分でも無茶だと思うことを考えた。
・・・・・
「完成だ!」
学校の地下室で、誰かが声を上げた。それを皮切りにして、大勢の歓声に包まれる。レヴィアの目の前には、巨大な石版が浮かんでいる。複雑な魔方陣の描かれた石版。これに魔力を流せば、この町は地図から消えることになるだろう。
必要な魔力は膨大だ。一人二人の魔力では足りない。今この場にいる、五十人近い研究者が命すらも魔力に変えて、ようやく発動できるもの。発動したが最後、町を吹き飛ばし、精霊たちを殺し、世界から魔力を吸い上げて、全てを殺すことになる。だがこれさえ使えば、いかに赤姫とて生き延びることはできないだろう。
まさに、対赤姫の最終兵器。町一つを、精霊たちを犠牲にして、たった一人の化け物を殺す兵器だ。
確かに町の人を犠牲にすることに、何も思わないわけではない。ここにいる誰だって、避けられるなら避けたいことだ。だが、千年を生きる化け物を犠牲なしで討ち果たそうというのが間違いなのだ。
そもそも、赤姫が現れれば、何もしなければ全員が殺される。それなら、ただ殺されるよりも赤姫討伐の犠牲になった方が、死者も救われるというものだ。
そんなご高説を、責任者が垂れ流している。やっと完成した爆弾に興奮しているらしい。レヴィアは大きなため息をつき、踵を返した。今の自分にやるべきことはない。後は金を受け取るだけの身だ。一生を遊んで暮らせるだけの金をもらえることになっているが、正直あまり興味はない。
アスカにでもあげようかな。どんな顔をするだろう。そんなことを頭の片隅で考えながら、狂気の研究者たちを置いて部屋を後にした。
さあ、そろそろ始めよう。
・・・・・
旅というのは予想外の出来事がつきものだ。二つ目の村で起床したアスカは、心の底からそう思うことになった。
アスカの側には、行きとは違う馬車がある。その馬車にはアスカの荷物も積まれていて、その荷物とはアスカが受けた依頼の品のことだ。
昨夜、この村にたどり着いた時、すでに先客がいた。行商人で、アスカの目的地から来たのだと。だめもとで聞いてみると、アスカが求めていた全ての品を、売り物として持っていた。
産地である町で買うよりは割高の値段を提示されたが、与えられた金で十分に買える値段だ。アスカが購入を決めると、商人はとても嬉しそうに譲ってくれた。
学校のある町からの依頼ということを告げると、何と馬車に乗せてくれることになった。目的地がそこだから、と。往復十日の予定が、四日で終わることになる。
予定外ではあるが、早くて文句を言われることはないだろう。好意に甘えて、乗せてもらうことになった。
マリベルも一緒だ。マリベル曰く、アスカに付き合って町まで行って、そして学校の町まで戻るつもりだったらしい。どうしてかと首を傾げれば、
「先生になろうかなって」
照れくさそうにそう言っていた。
「ただ、気をつけなさい。この商人さんは良い人そうだけど、もしかすると旅人を騙して襲うつもりなのかもしれないから」
「それを商人さんの前で言うのは失礼だと思う」
アスカが苦言を言うと、その商人が笑いながら手を振った。言っていることは正しい、と。
「アスカ、覚えておきなさい。魔獣よりも、生きた人間の方が危険だから」
帰りの馬車の上で、マリベルが言う。アスカが首を傾げ、手綱を握る商人は同意するように頷いている。
「どういうこと?」
「魔獣なんて結局は分かりやすいのよ。遭遇して、戦闘。死ぬ危険性もあるけど、結局はその結果なだけだから」
でも、とマリベルは続ける。
「人間は違う。善人のふりをして近づいて、騙して、殺す。そうして金品を奪って、次の獲物を待つ。戦えばいいだけの魔獣と違って、人間の方が厄介よ。アスカはちょっと騙されやすそうだから、気をつけなさい」