06
隣町と言っても、実際にはとても離れている。乗り合いの馬車で片道五日の道のりだ。隣町までに小さな村がいくつかあるので、野宿の心配はないと聞いたことはあるが、詳しくはアスカも知らない。
夕食時に父に聞いてみると、アスカの認識で概ね間違いないと頷いてくれた。
「隣町への買い付けの依頼、か。わざわざそんな依頼を出すということは、課題としての側面もあるのかもしれないな」
「ああ、そっか……。じゃあ気を引き締めないと!」
「まあほとんど馬車任せの旅みたいなものだ。あまり気負いすぎないようにな。馬車の日程は調べてあるのか?」
「明日の朝に出発だよ」
当然ながら、馬車は毎日出ているわけではない。馬車が出るのは一ヶ月に二回だけだ。それを逃すと、自分で個人用の馬車を手配しなければならない。当然ながら、とても金がかかることになる。
「お弁当は作ってあげるから、遅れないように気をつけなさいね」
母の言葉に、アスカは礼を言って頷いた。
翌日。日の出と共にアスカは目を覚ました。自分で起きたわけではない。体を揺すられ、起こされたためだ。
目を開けてみれば、側にいたのはレヴィアだった。
「レヴィア……? どうしたの?」
「起こしにきた。アスカが遅れないように」
「う、うん。お礼を言うべきか、信じてもらえていなかったことを悲しむべきか……」
手早く着替えて、腰に剣を吊る。リビングに向かうと、すでに朝食の準備が終わっていた。どうやらアスカのために、母が早起きして用意してくれたらしい。父もすでに起きていて、少しだけ眠たそうにしている。
「レヴィアちゃんも食べていくわね?」
「ん……。いただきます」
レヴィアと並んで座り、朝食を食べる。トーストにスープという簡単なものだ。時間にはまだ余裕があるので、ゆっくりと食べていく。
「アスカ。お弁当、置いておくから、お昼ご飯に食べなさい」
そう言って母が手渡してきたのは、サンドイッチが入った包みだ。
「ありがとう、お母さん」
「ふふ。どういたしまして。明日以降は、ちゃんと途中の村で買うのよ」
「うん」
さすがに馬車の人が食事を用意してくれることはない。自分で用意しなければならないものだ。忘れずに、立ち寄る村で買わないといけないだろう。
朝食を食べ終えて、レヴィアと二人で家を出る。少し大きくなったかばんを持って、目指すのは西門だ。目的の町は西門から出ることになる。
「いってらっしゃい、アスカ」
「気をつけてな」
「うん! いってきます!」
両親の見送りを受けて、アスカは大きく手を振ってその場を後にした。
西門にはすでに馬車が待機していた。幌馬車が二台だ。一台は隣町へと運ぶものが山積みにされている。アスカはもう一台の方に乗ることになる。
そちらの御者台に座る男に、一人分、と声をかけると、男は頷いて手を差し出してきた。
「大銀貨五枚だ。そちらのお嬢さんは?」
「ん。見送り」
「そうかい」
アスカがお金を手渡し、確認した男が頷く。男に促されるまま、アスカは幌馬車に入った。
中は思っていた以上に広く感じる造りだった。隅には毛布が何枚も重ねられている。アスカの他に、乗客が六名。馬車の関係者もいると思うので、全員が乗客ではないかもしれないが。
「アスカ。頑張ってね」
幌馬車の外からレヴィアが言う。アスカはレヴィアへと頷き、笑顔で言った。
「任せてよ! 簡単な依頼だし、ぱぱっと終わらせるから!」
「うん。真面目にやること」
分かってる分かってる、とアスカが手を振り、レヴィアは苦笑しつつ肩をすくめた。
挨拶を終える頃には、馬車がゆっくりと走り始めた。ついに出発らしい。
「いってきます!」
アスカが大きく手を振ると、レヴィアは寂しげに微笑みながら、手を振り返してくれた。
初めての旅は、平和な道のりだった。
日中は馬車にずっと揺られる。時折休憩を挟むたびに、体をほぐすように運動する。そうしていると、一緒に乗っていた乗客の一人が声をかけてきた。
「こんにちは」
黒いローブを着た妙齢の女だ。こうしたローブは、拠点を決めずに世界中の町を巡る冒険者が好んで着ると聞いている。この女もそういった冒険者なのだろう。
「あなたも冒険者?」
女が聞いてきたので、アスカは頷いた。
「はい。最近銀級に昇格したところですけど」
「へえ! まだ若いのにすごいわね。私も銀級よ。昇格したのはもう十年も前になるかしら」
大先輩だ。アスカが羨望の眼差しを向けると、女は照れくさそうに笑って手を振った。
「大したものじゃないわよ。死なない依頼しか受けてないだけよ」
女はそう謙遜するが、これがいかに難しいかをレヴィアから聞いている。依頼書に書かれているのは基本的なことばかりで、予想外の事態が起こるのが常だということだ。
死なない依頼を受けるというのは、そういった予想外の事態を想像し、考慮して、そして必要なら逃げの一手を打てる人でなければできないことだ。それができる人だけが、冒険者として生き残ることができる、と。
「あ、あの!」
「なに?」
「依頼の選び方とか! 色々と教えてください!」
女は目を見開き、次に薄く笑って頷いた。
マリベルと名乗ったその女から、冒険者として必要なことを教わることになった。学校やレヴィアから教わっていることもあるが、やはり現役の冒険者から教わるのはためになる。実際の体験談を交えて教えてくれるので、とても分かりやすい。
休憩が終わってからも、アスカはマリベルと共に過ごした。彼女の知識を少しでも得ようと、彼女から多くの話を聞き出す。マリベルもどうやら楽しんでいるようで、彼女が人生をかけて培ってきたノウハウを惜しげも無く教えてくれた。
そういった話をしつつも、雑談ももちろんしている。マリベルは親元を離れて冒険者になったそうだが、久しぶりに生まれた町へ戻ったところ、滅ぼされていたらしい。赤姫によって故郷を奪われたそうだ。
「私は町を離れていたからこそ、たまたま生き残ることができたのよ。それが良かったのかどうかは、今も分からないけれど」
マリベルが旅を始めたのはそれからだそうだ。赤姫へ復讐を、という考えも当初はあったそうだが、各地で赤姫の噂を聞いて、自分では無理だと諦めたらしい。それからは、当てもなく放浪している。そろそろどこかの町で腰を落ち着けたいそうだが。
「それなら私の町はどうですか? マリベルさんなら、学校で先生になれますよ」
「先生かあ……。それもいいかもしれないわね……。後進の育成も楽しそうだし」
「是非是非! 今後ともお願いします、先生!」
「あはは。まあ、考えておくだけよ」
口ではそう言っているが、マリベルの頬は緩んでいる。これは好感触とみて間違いないだろう。
思わぬところで良い出会いがあったものだ。マリベルから旅の話を聞きながら、幸先の良さに嬉しくなった。