05
「戦争を止めろとか言われても、無理ですよ」
最初にそう言っておく。女神はその言葉を無視して、言う。
「おそらく、あと百年もせずにこの世界は滅びます」
「はあ……。でしょうね」
そう言われても不思議ではない。これだけ荒廃してしまっているのだ。むしろ滅んでしまった後だと言われても信じてしまう。
「ちなみに、原因は何ですか?」
何か周囲に甚大な影響を与える兵器でも作られたのか。そう思ったが、理由はもっと単純で、そしてどうしようもないものだった。
「魔力不足です」
「え? 魔力?」
「はい。魔力です」
女神曰く、この世界に存在する命は、例外なく魔力がなければ生きていけないらしい。この世界にある豊潤な魔力に適応して進化してきた結果だそうだ。その魔力がなくなれば、生きていける生命はいなくなる。荒廃が進んだ光景も、魔力が薄くなってしまったために植物が生きられなくなったためだそうだ。
「どうしてそんなに魔力が薄くなったんですか? 世界の寿命、とか?」
「いいえ。人間たちが作ってきた道具が原因です」
人間が作ってきた道具の中には、魔力を必要とするものがある。通称魔道具と言われるそれが、この荒廃の原因となっているらしい。
「魔法は自身の魔力を使って発動するものなので、世界に影響は与えません。しかし、魔道具は違います。それらは、世界そのものの魔力を消費して、発動させる。数が少ない間や、質が悪い間はまだ良かったのです。ですが、戦争が始まって、一変しました」
戦争の兵器も魔道具が主流だそうだ。当然ながら、戦火が広がれば広がるほど魔道具が使われる頻度は高くなり、世界から魔力が減少していく。女神や精霊たちも必死になって魔力を生み出しているらしいが、もはや供給よりも消費が大きく上回ってしまい、どうすることもできなくなっているらしい。
なるほど、とレヴィアは頷き、そして思った。無理だ、と。
「それ、私にもどうしようもないですよね。世界中で戦争が起きているのに、全部止めるなんてできませんよ」
レヴィアの魔力があれば、一つの戦争を止めることは、可能かもしれない。双方を壊滅させるという手段だが。だがそれはその場しのぎだ。すぐにまた、次の戦争が起こるだろう。
その考えを話すと、女神は頷き、そして言った。
「ですので、レヴィア。世界の敵となってください」
「……はい?」
何を言ったのかこの女神は。世界の敵になれ、とはどういうことか。絶句してしまったレヴィアへと、女神が続ける。
「世界の敵意があなた一人へと向けば、自然と戦争は少なくなっていくでしょう。世界共通の敵が必要なのです。兵器を使うにしても、世界規模で使い続けるよりもあなた個人に向いている方が少なくすみます」
「それは……。いや、でも……。言ってることは、分かる、けど……」
「これは、真祖として生まれたあなたにしか頼めないことです。お願いします、レヴィア」
手を組み、レヴィアへと頭を下げる女神。レヴィアは何も答えることができない。
他に方法はないだろうか、と考えてみるが、レヴィアに考えつくものはない。もともと、難しいことを考えるのは苦手なのだ。女神が考えつかないものをレヴィアが思いつくはずもない。
「少しだけ……考えさせてください……」
レヴィアが絞り出すようにそう言うと、女神は申し訳なさそうにしながらも頷いた。
「分かりました。ですが、あまり時間は残されていません。それを忘れないでください」
「はい……」
女神に背を向けて、レヴィアは山を後にした。
その後は一年をかけて、大陸を見て回った。各地の戦争を見て回った。人間たちは、この期に及んでも戦争をやめるつもりはないらしい。人間に人族と魔族という二種族がいる限り、きっと終わることはないのだろう。それこそ、共通の脅威が現れない限り。
その結論にたどり着き、レヴィアは最初の山へと戻ってきた。
「答えを聞かせていただけますか」
呼んでもいないのに、女神が現れた。苦々しく思いながらも、目の前の女神へと告げる。
「他に方法は、ない?」
「私には思いつきません」
「そう……」
大きく、ため息をつく。期待はしていなかった。ならば、もう、仕方が無い。レヴィアだって、死にたくはない。この世界が滅びてしまうのは困る。
「引き受ける。私が、人間の、敵になる」
この先のことを考えると憂鬱になる。他でもない自分の心が耐えられるか分からない。それでも、もう、決めた。仕方がないから。
「ありがとうございます、レヴィア。せめて、あたなに精霊の加護を。あなたに精霊の守りを。どのような攻撃も、あなたには通さないようにしましょう。あなたは存分に、その力を振るってください」
女神が笑う。にこやかに、手を広げて。
「あなたの気の向くままに、世界を蹂躙してください。その全てを、私たちは認めます。世界を救うために、世界の敵となってください」
「ん……。まあ、がんばるよ……」
レヴィアは覇気の無い声で応えて、また山を下っていった。
時折背後を振り返る。女神がこちらを見ている。もう、後戻りはできないようだ。
両親が、優しい村人たちが願ってくれた、自分の幸福。そんなものは、もう二度と、手に入らないだろう。手に入れてはいけないだろう。自分はこの後、両手を血に染める。大勢の人間を殺して、自分への恐怖を植え付ける。咎人の道だ。幸福など、望んではいけない。
友達も。家族も。何も望まない。それが自分の道なのだから。
戦争ばかりする人間はどうしようもない。だが旅の間で、心優しい人にも巡り会えた。全ての人間が悪ではない。そんなことは分かっている。
だが、もう、どうでもいい。
ただ、良い人がいることは忘れないでおこう。あの人たちと触れ合っている間、とても楽しかった。
レヴィアは人間が好きだ。だからこそ、殺しに行こう。
世界の存続のために。人間を救うために。人間を殺し、世界の敵となる。心を殺して、自分を殺して、ただただ蹂躙しよう。
それが、赤姫と呼ばれる世界の敵が生まれた瞬間だった。
その後は、史実にある通りだ。まずは未来で魔大陸と呼ばれるようになる大陸で、虐殺を行った。生き残りは最後に村に住まわせた者と、意図的に逃がした者のみ。それ以外にはいない。精霊たちも協力してくれたので、漏らしてはいないはずだ。
その後は他の大陸へと移り、あらゆる場所を襲撃した。殺した人数など覚えていない。時折現れる女神の指示を優先しつつ、ひたすらに、続ける。
最初は罪の意識から悲鳴をあげていた心も、次第に何も感じなくなっていった。そのことに気づいた時にどうしようもなく悲しくなったが、すぐにそれも忘れてしまった。
世界中の敵意が自分に向いて、ほぼ全ての国が戦争を止めて赤姫打倒を掲げるようになってから、襲撃の頻度を減らした。それでも、減らしただけだ。赤姫の恐怖を忘れないように、定期的に襲う。それは、変えられない。変えてはならない。
それでも、少しだけ余裕が持てるようになってからは、襲撃する前にその町に身を置くようにしていた。少しでも、彼らを覚えておくために。罪滅ぼしになるとは思わない。偽善にすらなっていない。それでも、彼らがいたという事実を、自分だけは忘れないように。
血に汚れ続ける自分にできるのはそれだけであり、それ以上は望んではいけないことだ。
そう、思っていたのに。
「初めまして! 私はアスカ! よろしくね!」
立場を偽って在籍した場所で出会ったその少女は、とても輝いて見えた。当然だが、この千年、他にもこの少女のように明るい子は何人もいたが、それでもこのアスカだけは、違って見えた。
戦争がなくなっても、種族間の確執は全てなくなったわけではない。それなのに、アスカという少女は、人族でありながら魔族にも好意的だった。きっと両親がそうあれと育てたのだろう。意図的に孤立していたレヴィアにも好意的に接してくるほどで、見ていて眩しかった。
友達にはなれない。いずれこの町も滅ぼすのだから。それでも、この少女にだけは生きてほしいと願ってしまった。
だから。
・・・・・
はっと。アスカは我に返った。周囲を見る。レヴィアが住む山だ。目の前には、こちらをじっと見つめるレヴィアがいる。
「おかえり、アスカ。ちゃんと自分が分かる?」
「あ、えっと……。だい、じょうぶ……。何日経ってるの?」
「五分ぐらい。記憶を見せただけだから」
まさか、と思ってしまう。なんとなく、何年も経ってしまったかのような感覚だ。呆然とするアスカに、レヴィアは苦笑しつつ言う。
「私と混同しないように、見せる記憶の取捨選択、アスカの記憶の整理はしておいたから大丈夫だとは思うけど。何か異常を感じたら早めに言うように」
「う、うん……」
あまりにも濃密な情報だった。胸が苦しくなった。
誰にも理解されず、けれど途中で放り出すこともできず、一人血の道を歩き続けるレヴィア。記憶を見ても、その感情の全てを理解することはできない。
当然だが、理由があっても許されることではない。それは、実際に両親を殺されたアスカだから言えることだ。レヴィアが選んだ道は、やはり咎人の道そのものだ。例え理由が知れ渡ったとしても、世界は赤姫を許さないだろう。
それでも。だからこそ。
「うん……。ありがとう、レヴィア。教えてくれて」
アスカがそう口に出すと、レヴィアの体が大きく震えた。恐る恐るとこちらの様子を窺ってくる。拒絶されることを怖れるような、子供のような態度。その様子に、アスカは思わず噴き出しそうになる。
理解者が得られない千年。許されない道だとしても、レヴィアは十分な罰を受けていると思う。人によってはまだ足りないと言うかもしれないが、少なくともアスカはそう思う。だから。
「お疲れ様、レヴィア。私が言えるのは、これぐらいだけど……。私も、その罪、背負ってもいいかな」
せめて自分一人ぐらいは、彼女の味方になろう。理解者になろう。たった一人、孤独に震える彼女の側に寄り添おう。それぐらいは、許されるはずだ。
目を見開くレヴィアに、アスカは笑顔を見せた。
「レヴィアの親友として、私にできることはある? なんだってするよ。一緒に血を浴びろって言うなら、受け入れる」
「アスカ……」
「うん」
「実は馬鹿だね」
「なんで!?」
まさかの罵倒だ。憤慨するアスカに、レヴィアは頬を緩めて、消え入りそうな、アスカにすらようやく届くようなか細い声で、
ありがとう。
小さく、そう言った。
レヴィアが望んだことは、時折話を聞いてくれるだけでいい、というものだった。一緒に罪を背負う、つまりは町の襲撃にも荷担すると言ったのだが、固辞されてしまった。
山にある小屋とアスカの自宅を転移の魔方陣で繋ぐ。これでいつでも、お互いに行き来できる。誰でも使えるようになるのは困るため、魔方陣の起動には吸血鬼の血が必要になるようにした。つまりはレヴィアとアスカの二人しか使えない魔方陣だ。
「それじゃあ、またね、レヴィア。いつでも遊びに来てね」
「ん……。そうする。アスカも、いつでも来るといい」
そうして別れる前に見たレヴィアの表情は、どことなく嬉しそうな、柔らかな微笑みだった。
この日より、赤姫の隣に立つ少女がいるという目撃談が稀に報告されることになるが、その正体について世界が知ることは、ない。
壁|w・)第四話、終了。
次回、エピローグです。
 




