赤の記憶
殺した。たくさん殺した。それでもまだ、殺す。
最初は人数を数えていた。百を過ぎると数え間違いが多くなり、それでも数えて千を超えて、数えるのをやめた。
殺して。殺して。殺し続けて。自分の心を殺し続けて。
気づけばレヴィアは、血の海に立っていた。
「……………」
その周囲を、人のいなくなった村を見渡す。誰もいない。死体しかない。
この村は、レヴィアが生まれた村だ。百年ほど眠っていたレヴィアを知っている者はもう誰もいないが、それでも、少しだけ心の中に抵抗があったのは事実だ。それすら抑えつけて、全て殺してしまった。
レヴィアの幸福を願ってくれた両親は、もういない。もしかしたら親族がいたかもしれないが、もうすでに殺し尽くした後だ。
ふわりと、レヴィアの側に精霊が現れる。背中に蝶の羽のある小人の姿。精霊のまとめ役である高位精霊だ。どこか虚ろな目をしたその精霊は、レヴィアへと報告をしてくれた。
「ん……。まだ生き残り、いるんだね」
この大陸の人間は意図的に逃がした数人を除き、全て殺すつもりだった。最初の見せしめとして。例外なく。
けれど、この村を滅ぼして、少しだけ気が変わった。
思い出した。思い出してしまった。自分の幸福を願ってくれた両親を。
最早自分に幸福なんて許されない。隣に人が立つことも許されない。レヴィアは、大勢の人間に憎まれなければならないから。いつか、誰かに殺されるその時まで。
それでも、せめて。残っている人だけでも、助けてあげてもいいかもしれない。
そう考えたレヴィアは、腕をふと振りした。それだけで、村中から血が、死体が消える。残されたのは、誰も住まなくなった廃墟ばかり。
次にレヴィアは、残っている人の気配へと、その側へと転移する。
突然現れた赤姫に驚き、絶望する人々を強制的に連れて、あの村へと連れて行く。そうして集まったのは、百人と少し。生き残りはたったそれだけ。我ながらよく殺したものだと思う。
困惑、混乱、絶望、恐怖。様々な表情の人間が、少し浮いているレヴィアを見ている。レヴィアは彼らへと、言う。
「あなたたちが、最後の生き残り」
ざわりとざわめく人々。周囲を見て、ある者は呆然とし、またある者は誰かの名前を呼んで泣き叫んでいる。ずきりと、殺し切れていない心の奥深くが、軋む。その痛みを抑えつけ、続けて言う。
「あなたたちはここまで生き残った。だから、あなたたちだけは、助けてあげる」
人々がこちらを見る。希望に顔を輝かせる者がいれば、憎悪に顔を歪める者もいる。それでいい。それでいいとも。
「ルールは二つ。この村で暮らすこと。逃げ出すことは許さない。魔法や魔力を利用した道具を使わないこと。所持も許さない」
「その……。破った場合は……?」
全身が鱗に覆われた魔族の若者が聞いてくる。レヴィアはその若者に、そして全員にも向けて、
「殺す」
短く、淡々と言い放った。
「例外はない。どこに逃げても殺す。さっきみたいに、私は隠れている人も見つけられる。逃がしはしない。違反すれば、命はない」
ごくりと、誰かがつばを飲み込んだ。レヴィアのこれがはったりだとは、まさか思ったりはしないだろう。すでに大量に殺した後なのだから。
「家はある。田畑もある。北に行けば魚が豊富な湖もある。生きていくには十分のはず。ルールさえ守れば、私は口出ししない。……武器を用意して私に挑んでくるのも、自由だ」
何人かが息を呑み、そして憎悪の色が濃くなった。命知らずはまだいるらしい。内心で呆れると同時に、強い人たちだとも感心する。敬意を表しよう。敬意を表して、殺してあげよう。
その憎悪のまま、挑んできたのなら。
「ここから西に山がある。どの山かは、まあ、分かる。そこに私はいる。いなくても、数日待てば、戻ってくる、と思う。その気があるなら、来るといい。ただし、私も殺されるつもりはないから、殺す」
息を呑む音がまた聞こえるが、今更だろう。
殺す。なんて軽い言葉なのだろうか。あまりに口に出しすぎているとも思う。けれど、レヴィアには他に表現することもできない。どうせ意味は同じだ。
「それじゃあ、がんばって生きるといい」
そう言ってレヴィアが踵を返すと、
「待ってほしい!」
誰かが呼び止めた。煩わしく思いながらも、彼らと関わることは今後ほぼないだろうことを考えて、少しならいいかと振り返る。レヴィアを呼び止めたのは、中年の人族の男だった。
「なぜ、こんなことをするんだ。目的は、何なんだ?」
問いが抽象的すぎる。何に対して聞かれているのか分からない。かといって、聞き返すつもりもない。自分の目的を知る必要は、人間にはない。
「答えるつもりはない。想像に任せる」
レヴィアはそう言い捨てると、その場から姿を消した。
次に現れた場所は、先ほどの村から西にある小さな山だ。山というよりも丘に近いだろうか。草花が生い茂る美しい場所だ。この山には地下へと続く小さな洞窟があり、レヴィアはそこで眠っていた。
ある意味で、今の始まりの場所だ。その小山の空には、黒々とした雲が立ちこめている。
人の想いは強い。憎悪も絶望も恐怖も、その全てが黒く濁る力となる。放置しておけばどのような影響が起きるか分からない。だから、ここに集めている。死後の黒い感情は、全てここに集められる。
レヴィアの罪が可視化したものだ。目を逸らすつもりはなく、逃げるつもりも当然ない。
ただ、これを見ると、思ってしまう。もう後戻りはできない、と。
後悔はない。後悔はないが、けれど、これで良かったのかと自問自答してしまう。しかしすぐに首を振る。今更考えても仕方がない、と。
ああ、けれど。自分はたった一人だ。
協力者はいる。人族でも魔族でもないが、貴重な協力者が。だがそれは、レヴィアの心を苛むことはあっても、救いにはならない。
仕方の無いことだ。自分は許される立場にないのだから。
でも。思ってしまう。夢想してしまう。
友達を作ってみたかった。恋人ができて、結婚して、子供に恵まれて。そんな人生を歩みたかった。それは紛れもないレヴィアの本心であり、今ではもう、叶えられない願いだ。
「はっ……」
鼻で嗤う。何を考えているのかと。許されないと分かっているはずなのに。
けれど。
「想像するぐらいは、いいかな……」
自嘲する。けれど、思ってしまう。想像してしまう。あり得たかもしれない未来の自分を。友人に恵まれて笑っている自分を。あり得ない自分を。
訪れることがない未来。そんなことは分かっている。それでも、ほんの少しの心の安らぎを求めて、レヴィアは山の頂で目を閉じた。
夢想するのは友達といる自分。あり得ない光景。許されない夢。
・・・・
そのはず、だったのに。
レヴィアの目の前には、アスカがいる。レヴィアに両親を殺され、故郷を滅ぼされ、さらにはレヴィアの血を飲んでしまって吸血鬼となった少女。それだけの目に遭いながらも、レヴィアを追って、探して、そしてとうとうこの場所までたどり着いた愚か者。
レヴィアを友人だと、親友だと言い張る変わり者。
「久しぶりだね、レヴィア。ここまで、来たよ」
アスカの声が耳に届く。心地良い声。聞きたかった、声。
「うん。久しぶり、アスカ。ずっと、待ってた」
それは音にせずに口の中で呟き、そしてすぐに首を振って。
嬉しくて、嬉しくて。そんな心は抑えつけて。今はまだ、心の整理ができるまで、待ってほしいから。
だからレヴィアは自分の心にふたをするかのように、赤姫としての仮面を被る。本心を、悟られないように。
赤姫の過去話、でした。
次話は第四話、最終話に当たります。




