09
そうして、さらに三週間。つまり船を出てから一ヶ月強。あまりに代わり映えのない景色と目的地の分からない旅に二人が疲れ果てた頃。それは見えてきた。
「うそ……」
最初に気づいたのは、目の良いアスカだ。不思議そうに首を傾げるソラスに、アスカが言う。
「集落がある。人がいる。ううん、集落じゃない。町がある」
「はあ!?」
驚きから素っ頓狂な声を上げるソラス。唖然とする彼に、アスカは言う。
「間違い無く、目的地は町だね。……あと、少しだよ……」
「ああ……。ああ! なんか、元気出てきた!」
すでに疲れ果てていた二人だったが、目的地が分かれば自然と足も軽くなる。そうして少しだけ急ぎ足で歩いた結果、日が真上まで昇った頃、二人はそこにたどり着いた。
「本当に、町だ」
「うん」
煉瓦造りの家々が並ぶ、立派な町だった。その周辺には多くの田畑があり、農作業をしている人々が物珍しそうに二人を見ている。二人は緊張しつつも、町へと入る。
石畳が続く、しっかりと舗装された道。清潔感が保たれた街並み。下手をすれば、外の王都よりもよほど立派な町だ。城などはないが、ここはそういった権力とは無縁の町なのだろう。二人が呆然としつつ歩いていると、不意に女が一人、話しかけてきた。
「ちょいとお二人さん」
振り返れば、農作業をしていたらしい恰幅の良いおばさんだった。おばさんは二人をじろじろと見て、もしかして、と口を開く。
「この大陸の外から来たのかい?」
その言葉が出てくるということは、アスカたちの他にもいるらしい。二人が頷くと、おばさんは顔を輝かせた。
「おやまあ! あたしが生きている間にそんな人が来るなんてね! ちょいと待ってなさい、長を呼んでくるから!」
おばさんはそう言うと、町の奥へと駆けていってしまった。
先ほどの言葉を少し考えてみる。
「私たち以外にも、大陸の外から人が来ることはある。でも、人の一生の間にあるか分からないぐらい珍しい」
「そうみたいだな。ついでに、この町にもまとめ役はいるみたいだ」
「うん。なんだか歓迎されてるみたいだから、心配はなさそうだけど」
あのおばさんの様子を見れば、心配することはあまりないだろう。けれど警戒しなくていいわけでもない。すでに緊張を解いているソラスに少しだけ呆れながらも、アスカは改めて気を引き締めた。
そしてそれは無駄だった。
結果を言えば、歓迎どころか、大歓迎だ。町の中心部、ちょっとした広場にたどり着く頃には、大勢の人々が集まってきていて、口々に歓迎の言葉を述べてくれる。疲れただろう、お腹が減っただろう、それとも飲み物かと歩きながらでも飲み食いできるものをたくさんもらってしまった。
「ああ……。美味しい……」
「うん。美味しいね。……その、ごめん、単調な味付けで……」
「あ、いや! そういう意味じゃない!」
ここに来るまでの間、いつたどり着くか分からないということで途中から食材や調味料を節約して食事を作っていた。そのため、どうしても同じ味付けが続くこともあった。仕方ないとはいえ、ソラスには悪いことをしてしまったと思っている。
「温かい料理を食べられただけ十分っていうのは分かってるから! いや、ほんとに!」
「そう? それならいいんだけど……」
「本当、気にしないでくれ……!」
ソラスがそう言うなら、信じておこう。この町に滞在できそうなら、改めて手料理を振る舞いたい。もっとも、大したものは作れないのだが。
広場には大勢の人が詰めかけていたが、まだ広さには余裕があった。話を聞いていると、定期的にここでちょっとしたお祭りや宴会をするらしい。そのため、ここは広く造られているのだとか。
その広場に面して、他の家よりも大きな家があった。大きいといっても、他が二階建てや三階建てであるのに対して、その建物だけが四階建てになっているだけだ。いや、よくよく見れば横も大きいだろうか。
その家から、初老の男が出てきた。白髪を短く切りそろえ、にこやかに笑っている。好々爺といった印象を受ける。その男は真っ直ぐにアスカたちの元まで来ると、大きく手を広げた。
「ようこそ、外の方。外の方がいらっしゃるのは実に五十年ぶりです」
「五十年……」
最近のような、昔のような、微妙な感覚だ。ただ、アスカは少しだけ引っかかるものがあった。五十年前と言えば、アスカが吸血鬼になった頃だ。何か関係があるのだろうか。
「私はこの町の長を務めさせていただいております。さあさ、こちらへどうぞ。この町についてお話しさせていただきます」
「はい。お願いします」
こちらからお願いしたいことだったので、丁度良い。アスカとソラスは町の長に続いて、先ほどの家に入った。
案内されたのは、机とソファがある部屋だった。壁には風景画が並んでいる。応接室ではあるのだが、あまり使う機会はあまりないのだと長は笑いながら言った。
アスカとソラスが並んで座り、その対面に長が座る。三人が座ると、若い女が飲み物を持ってきた。目の前に置かれたコップには、紫色の何かが入っている。
「この町で作った果物を搾ったジュースです。お口に合えばいいのだけど」
「ありがとうございます。いただきます」
ソラスが真っ先に口をつける。少しは警戒してほしいものだと思うが、しかしここの町の住人がアスカたちを騙すとも思えない。何の利点もないからだ。それでも少しだけ警戒して、アスカが飲んだのは一口だけだった。
豊潤な甘さに仄かな酸味。食べ物にはあまり見ない色だが、しかしこれは、なかなか美味しい。
「美味い!」
ソラスの快活な言葉に、女は嬉しそうに微笑むと、一礼して退室した。
アスカはもう一度ジュースに口をつける。やはり美味しい。そのまま長へと視線を投げれば、何か考えているように視線を上向けていた。
隣のソラスはどうやら何も発言するつもりはないらしい。ソラスの目だけがこちらに向けられる。
何となく、言いたいことは分かった。任せる、ということだろう。小さくため息をつくと、長へと視線を戻した。
長もちょうどアスカへと視線を戻したところだったようで、目が合った。どうぞ、とアスカが手で促すと、長は頷いて、
「まずは先に聞いておきたいのですが、お二方はこの大陸についてどこまで知っていますかな?」
「あまり知りません。赤姫が支配している大陸として、魔大陸と呼ばれている、程度です」
「ふむ……。この大陸へはどのような方法で?」
「えっと……。信じてもらえるかは分かりませんが……」
アスカはカンテラをテーブルに置いてから、これを持っていた女のことと、突然できた壁の穴について話した。きっと信じてもらえないだろうと思ったのだが、その予想に反して、長はなるほどと納得したように頷いた。まさか信じてもらえるとは思っていなかったアスカとソラスの方が驚いたぐらいだ。




