08
「かわいいなあ……」
思わずそんなことをつぶやくと、ソラスが薄く苦笑を漏らした。
「アスカさんでもそんなこと言うんだね。少し驚いた」
「む。どういう意味?」
「いやあ、アスカさんも一応女の子なんだなって……」
ほう?
「その一応ってのはあれかな? 女の子に見えないってことかな? それともおばあちゃんだろお前ってことかな?」
「え!? いやちが、そういう意味じゃ……!」
笑顔で、けれど目は笑っていないアスカと、頬を引きつらせて慌てるソラス。ソラスは視線を何度も彷徨わせ、そして話を逸らすかのように言った。
「そ、そう言えば! 女神がいない!」
「……………。今は乗ってあげる」
「あ、はい……」
アスカは鼻を鳴らすと、改めて周囲を見る。確かに、いつの間にか女神の姿が消えている。どうやら彼女の目的は自分たちをここまで案内することだったらしい。それを終えたから、さっさと姿を消してしまったのだろう。
女神の意図が分からない。彼女は自分たちに、何をさせたいのだろうか。
「まあ、考えても仕方ないか。……帰り道も、なくなってるし」
「え?」
アスカのため息交じりの声に、ソラスが振り返る。そこでソラスも気づいたようだ。自分たちが通ってきた穴が、塞がれて閉じてしまっていることに。
「つまり、帰れない?」
「うん。そうなる」
アスカが頷くと、ソラスはがっくりと肩を落とした。きっとソラスは、ある程度落ち着いたら故郷に帰る意志があったのだろう。だがおそらく、いやかなり高い確率で、魔大陸から出ることはできそうにない。
「その……。巻き込んでごめんね」
アスカのその言葉に、ソラスは肩をすくめて力無く笑った。
「いや、いいさ。もともと、生きて帰れるか分からなかったんだ。まだ生きているだけ十分だ」
そう言っていても、ソラスは少なからず落ち込んでいるようだ。だがアスカにはこれ以上言葉をかけることはできない。ソラスの気持ちは、分かるようで分からないからだ。
アスカが旅立った時には、すでに故郷は失われていた。元より帰る場所がないアスカと、帰る場所があるのに帰れないソラス。似ているようで、あまりに違う。アスカには、分からない。
「その……。行こう?」
この草原を歩けば、少しは気を紛らわせることができるだろう。アスカが手を差し出すと、ソラスは、そうだなとその手を取った。
・・・・・
それを見つけたのは、偶然だった。
「は? なにあれ」
魔大陸に戻ってきたレヴィアは、それを見て訝しげに眉をひそめた。自分の目の前には、船がある。それは、あり得ないものだ。この湖は壁に面してはいるが、海には繋がっていない。たどり着けるはずなど万に一つもあり得ない。
ここにあるということは、誰かが、間違い無く女神が、誰かを招き入れたということだ。
「また勝手に……」
あの女神はレヴィアに無断で魔大陸に人を入れる。その頻度は百年に一度あるかないかであり、しかも入れた後は放置するためにどこかで死んでいることが多い。また今回もそうなるのだろう。問題は、この船がいつ来たか、だ。
湖に指を入れ、舐め取る。微かにだが塩辛い。まだこの船が来て間もないようだ。
「せめて塩分ぐらいどうにかしてほしい。動物たちが飲めない」
いつの間にか寄ってきた小さなふさふさの馬を撫でながら、レヴィアはため息をつく。よしよしと撫でて、ちょっとだけ遊んであげてから、湖へと軽く手を振った。これで動物たちも飲めるようになったはずだ。
それに気づいたのか、遠巻きに見ていた動物たちが湖へと集まってきて、飲み始めた。いずれレヴィアが来ることが分かっていたのだろう、待っていたようだ。かわいそうに。
「さて……」
誰が来たのか、興味はある。だが調べるつもりもない。運がとても良ければたどり着く。ただそれだけ。ほとんどはたどり着けずに死んでしまうが。
「ああ、うん。もうちょっと遊んであげる」
集まってきた動物たちを撫でながら、レヴィアは頬を緩めて、先ほどまでの思考を放棄して。
ついでに手を振って邪魔な船を消しておいた。ここは、この子たちの楽園だから。
・・・・・
「魔大陸ってぐらいだから、こう、生物の気配がない荒野が広がっていると思ってたよ」
船を出てから一週間。ソラスのぽつりと零した呟きに、思わずアスカは噴き出した。笑うなよと唇を尖らせるソラスと、ごめんごめんと笑うアスカ。ただ、アスカもソラスの気持ちは分かる。
「さすがに荒野とは思ってなかったけど、こんな綺麗な草原が広がってるとは思わなかったかな。それも、こんなすごい草原」
「すごいって、何がだ?」
「うん。あそこの花とか、本来なら森の奥地にある素材だよ。戦闘に特化した金級でないと取りに行かないって言えば分かる?」
「それはまた……。本当に?」
「本当」
それはつまり、この大陸には魔力が豊潤にあるということだ。冒険者たちがここを知れば狂喜乱舞するに違いない。もっとも、それ以上に大きな問題があるのだが。
「素材はあっても、使い道はないか」
ソラスの言葉に、アスカは深く頷いた。
ここまで歩いたが、草原は未だに地平の果てまで続いている。あまりに広すぎるせいで、自分たちがどこに進んでいるのかも分からないほどだ。この先に何があるかも分からない。何もなければ、動物たちを狩りながら細々と生きていくしかないかもしれない。
だが、きっとこの先には、何かがあるのだろう。そう考えながら、アスカは自分が持っているカンテラに視線を落とした。
このカンテラは船から下りた場所、女神が立っていた場所にぽつんと残されていたものだ。おそらく女神が持っていたカンテラに間違い無いだろう。そのカンテラの中の炎は、不思議なことに常にある一定の方角へと揺れていた。何の手がかりもない二人は、とりあえずその炎に従って歩いているところだ。
この選択が正しいかは分からない。あの女神が良い存在か悪い存在かすらも分からないのだから。ただ、ソラスは女神のことを信じているらしく、この炎に従うことも容易に受け入れていた。
「せめて、私の手持ちの食料が尽きるまでに、たどり着ければいいけど」
船に積まれていた食料はすでにアスカがいつもの袋に回収している。たっぷりと用意した食料だったが、あの村を出て半月もすれば少々残量が心配になってきた。少し食事の量を減らしているが、あと一ヶ月もすれば完全に尽きてしまう。そうなれば、動物を狩るしかなくなるだろう。
「あとどれぐらいで着くのか分かればいいのに……」
アスカの疲れたような言葉に、ソラスは全くだと同意して頷いた。




