03
自身の母の問いに、ソラスはにこやかに笑いながら、
「あるさ。兄さんが、この村にいた時から、魔大陸に興味を持っていたのは知っていたんだ。だから俺は、金を貯めて、自分の船を用意することにしたんだ。いずれ一緒に行くために、ね。まあ、兄さんを驚かせるつもりで秘密にしておいたのに、どうしてかばれていたと知った時は、本気で驚いたけど」
遠いものを見るかのように目を細めるソラス。きっと、兄との思い出を振り返っているのだろう。彼にとっては、魔大陸そのものが兄弟を繋げる絆だったのかもしれない。
「言っておくけど、止められても行くよ、俺は」
ソラスがジークを真正面から見据えて言うと、ジークはしばらくソラスを睨み付けていたが、やがて脱力したかのようにその場に座ってしまった。大きなため息をつき、頭を抱える。その様子を見て、ソラスは申し訳なさそうに頭を下げた。
「ごめん、父さん。でも、譲れないんだ」
「ああ、分かったよ。まったく……。普段は聞き分けがいいのに、妙なところで頑固なのは変わらないな」
「それって……」
「お前の兄も、俺たちの反対を押し切ってレスタに行ったからな」
ジーク曰く、当初はジークとフリーダの二人はクラウのレスタ行きに反対していたらしい。しかし、本人の希望、さらには認めてもらえないなら縁を切ってでも出て行く、と言われてしまい、ジークたちが折れたとのことだった。
「気持ちは変わらないのね?」
フリーダが聞いて、ソラスは頷いた。
「ああ。兄さんが死んだ以上、俺が代わりに魔大陸を見てくるよ」
兄との約束のために。弟が兄に贈る最後のものだ。
「分かった。好きにしろ」
諦めたらしく、ジークはそう言うと席を立った。そのまま奥の部屋へと入っていってしまう。フリーダはおろおろと部屋の扉とソラスを何度も見ていたが、やがてアスカへと頭を下げてジークの後を追った。
さてどうしたものか。正直、アスカは未だに状況をよく飲み込めていない。とりあえず、ソラスが協力してくれるようだが、本当に頼ってもいいものだろうか。
「アスカさん。ちょっと一緒に来てくれるかい?」
だから、ソラスのその申し出に、アスカはすぐに頷いた。
ソラスに案内されたのは、村を挟んで反対側にある外れの小屋だった。小さな小屋だが、ここにソラスの友人が暮らしているらしい。ソラスが所有している船を管理してくれているとのことだ。
「入るぞ、オルカ」
ソラスが小屋に入り、アスカがそれに続く。
こぢんまりとした小屋で、中はテーブルやベッドなど、最低限のものしかない。テーブルの側の椅子に、男が一人座っていた。ソラスより少し年上に見える青年で、短い金髪に整った顔立ちをしていた。
「ソラスか。どうした?」
「ああ。急で悪いけど、明日もしくは明後日、船を使うよ」
「それはまた、本当に急だな……」
目を丸くしつつも、オルカと呼ばれた青年は快く頷いた。オルカは次にアスカを見る。怪訝そうに、けれど興味深そうに。
「おいソラス。誰だよそこの子は。お前の女か?」
「違うよ。むしろ兄さんの女かもしれない」
「いや違うから」
とりあえず否定しておく。クラウに失礼だと思うから。
「本当のことを言えば、兄さんの代わりかな。俺とこの人で魔大陸に行く」
ソラスがそう言うと、オルカはわずかに首を傾げ、そしてまさか、といった様子で目を瞠る。彼の考えていることが分かったのだろう、ソラスが頷くと、オルカは沈痛な面持ちで顔を伏せた。
「そうか……。あまり話す機会はなかったけど、残念だな……」
「ああ……。まあ、仕方ないさ。兄さんには悪いけど、あの世で羨ましがっていればいい」
そこでソラスは言葉を句切ると、わずかに泣きそうなほどに顔を歪ませて、
「俺が代わりに見てきて、あの世で教えてやるさ」
無理をしていると分かる笑顔だった。
その後は、その小屋で夜遅くまで三人で飲むことになった。クラウの思い出話を肴にして、酒を飲んでいく。ソラスとオルカは、レスタでのクラウの様子を興味深そうに聞いていた。
そうして翌朝、アスカはいつものように、日の出より少し早くに目を覚ました。二日酔いとは無縁の体になっているので、いつもと同じ清々しい朝だ。側では苦しそうに唸る二つの死体が、ソラスとオルカがいるが、まあ気にしなくていいだろう。
結局、アスカはこの小屋に泊まってしまった。村長には悪いことをしてしまったと思うが、アスカとしてはこの二人との会話を優先したかった。クラウの過去にも興味があったし、それに何よりも、ソラスとは共に船に乗ることになる。親睦は深めておいた方がいい。
小屋から出て、ゆっくりと伸びをする。体をほぐすように軽く動かしていく。
そうしてしばらく体を動かしていると、小屋からオルカが出てきた。大きな欠伸をしている。オルカへと視線をやれば、彼もこちらを見ていたようで目が合った。
「すごいな、あんた。あれだけ飲んで、よく動けるな」
「うん。ちょっと体質でね。あまり酔わないんだよ」
アスカは人よりも酔いにくい体質だ。他の人が酔いつぶれていても、アスカだけは平然と飲み続けていることがある。それが吸血鬼としての体質なのか、元からのものなのかは分からない。吸血鬼になる前は、酒を飲んだことがないのだ。
「まあ、酔うとしても、その時はあまり飲まなかったよ」
「それはまた、どうして?」
「君がいるから」
簡潔な答えだが、本当のことだ。初対面の人間が側にいるのに、熟睡などするはずがない。いつ、誰に襲われてもいいように、浅い眠りしかしていない。
そう、誰にでも、だ。
ソラスはクラウの弟だ。だからある程度警戒は緩めているが、無条件に心を許しているわけでもない。やはり彼も、警戒の対象ではある。
「それに、あなたもずっと気を張っていたでしょう」
「さすが、旅をしている人は違うな。気づいていたのか」
オルカもアスカと同じように、こちらを警戒していたのは分かっている。それが正しい判断だ。警戒しない方がおかしい。つまり何を言いたいかと言えば。
「ソラスはあれで大丈夫なの?」
「はは……。まあ、大丈夫さ。多分」
ソラスだけは警戒も何もなかった。遠慮無く酒を飲み、つぶれ、そして今もまだ眠っている。きっと今日はひどい二日酔いになっていることだろう。
「言い訳をさせてもらえば、ずっと慕っていた兄が死んだって言われたところだからな。酒を飲んで忘れたいっていうのもあったかもしれない」
「うん……。そっか……。そうかもしれないね」
言われてみれば確かに、ソラスにとっては怒濤の一日、いや夜だっただろう。少しだけ申し訳なく思ってしまう。だがそれでも、やはり警戒はするべきだと思うのだが。
「ソラスと一緒に船に乗るんだよな?」
オルカの問いに、そうなると思うとアスカが頷くと、オルカは腕を組んで黙ってしまった。そのまま待っていると、よしとオルカが口を開いた。
「ソラスには後で言うが、少し待ってほしい。一週間ぐらいかな」




