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何が起こったのか、分からなかった。
あの貴族にフェニの花を渡してクラウの家に戻ってきてみれば、何故か大勢の人が集まり、遠巻きに見守っていた。彼らの目の前、クラウの家にはこの町の騎士が出入りしている。何故、と思いながらも騎士に声をかけることにする。
「すみません。あの、ここは私の仲間の家なんですけど……。何かありました?」
アスカの言葉に、騎士は驚きに目を瞠った。沈痛な面持ちで、家の中へと通される。
そこにいたのは、クラウだった。胸に穴を開けて、おびただしい量の血を流していた。
「え? な、なんで……?」
呆然とするアスカに、騎士が説明してくれる。
つい先ほど、大きな音がこの家から響いてきたらしい。その音を不審に思った近隣の人が家に入ってみると、すでにクラウがこうして倒れていたそうだ。
治癒魔法を扱える者が呼ばれて手を尽くしたが、何かの魔法による傷なのか、治すことができなかったらしい。せめて止血だけでも、と何人かが施そうとしたが、他でもないクラウが必要ないと言い張ったそうだ。どうせ死ぬから、と。
彼が望んだことは、アスカを呼んで欲しい、というものだった。すぐに貴族邸にいるはずのアスカを呼びに騎士が駆けたらしいが、どうやら入れ違いになったらしい。
「クラウ……」
アスカが呼ぶと、壁にもたれかかっているクラウが顔を上げた。アスカの顔を見て、安堵したような、淡い笑顔を浮かべた。
「間に合ったな」
意外とはっきりした声だ。死にかけの人間とは思えない。
試しにアスカが治癒魔法をかけてみても、効果は得られなかった。おそらくは、犯人の魔力が残っているのだろう。理魔法ではアスカの魔力が弾かれている。そして精霊魔法では、精霊に拒否された。
ああ、と理解した。いつもアスカに協力的な精霊たちが、拒否を示す。それは、赤姫が関わっているということだ。
「赤姫、だね?」
アスカが確認するように問うと、クラウはさすがだな、と頷いた。途端に、周囲がざわりと騒がしくなる。しかしさすがというべきか、すぐに静まった。
「どうやら、俺は赤姫の禁忌に触れてしまったらしくてな……。気づいたら、部屋に赤姫がいた。で、こうなった」
「うん……」
「本当ならその場で殺されるはずだったと思うけど。多分、アスカにかけてもらった結界のおかげかな。こうしてまだ、ぎりぎり生き残ってる」
そう言えば、森でかけた結界魔法はそのままだったのを思い出した。それがまさか、こんな結果になるとは思わなかったけど。こうして最後に話せるのなら、かけておいて良かった、と言うべきなのだろうか。できれば、こうなってほしくなかった。
「私のせい、だよね。私が、関わったから……」
アスカがそう言うと、クラウは鼻で笑った。
「そんなわけないだろ。……よし、自分の口で言うか」
首を傾げるアスカに、クラウが言う。
「俺が赤姫に対する研究を続ける限り、いずれこうなることは明白だっただろうさ。遅いか、早いかの違いだ。それなら、最後にアスカと楽しく研究できて、俺は満足だよ」
「クラウ……」
「ああ、そうだ。アスカ。資料だけ返しておいてくれ。借りっぱなしなんて不名誉なこと、あの世に持って行きたくないからな」
おどけるような、不真面目な口調。兵たちが顔を伏せるなか、アスカは、目を瞠った。
クラウが何かを訴えるように、じっとアスカの目を見ていた。
「うん……。分かった。ちゃんと、整理して、返しておく」
整理の部分を強調すると、クラウは満足そうに頷いた。
「よし……。あとは、そうだな……。よし」
唐突に、クラウがアスカを抱きしめてきた。突然のことに目を白黒させるアスカに、クラウは小さな声で告げる。
「魔大陸に行け。アスカは、レヴィアに会うべきだ」
息を呑むアスカに、クラウが続ける。
「西の海辺の村が俺の故郷だ。俺の弟もいる。あいつなら、事情を話せば、船を出してくれる。どうせ、行きたくても船がなかったんだろ?」
「うん……。でも、これ以上、巻き込むのは……」
「いいさ。俺が許可する。あいつなら、喜んで引き受けてくれる」
どういうことかと聞こうとしたところで、クラウが大きくむせた。慌てて彼の顔色を窺えば、クラウの顔は蒼白になっていた。いつの間にか、目がうつろになっている。それでもクラウは、不敵に笑ってみせた。
「伝えることは、伝えたな……。楽しかったよ、アスカ。君の旅に、精霊の加護がありますように」
「クラウ……」
もう一度、名を呼んで。そしてもう、事切れていることに気が付いた。
しばらくその場で呆然として。そして、気が付けば涙が流れていて。
「……っ!」
クラウを抱きしめて嗚咽を漏らすアスカを、兵たちは静かに見守ってくれていた。
クラウの死体が運び出されてから、アスカは資料の整理を始めた。兵たちが手伝ってくれると言っていたのだが、それは固辞しておいた。クラウに最後に頼まれたことだから、と。そう答えると、彼らは分かりましたと頷いて、立ち去っていった。
資料以外は、そのまま残すように言われている。明日にでももう一度調べるらしい。アスカも、事情聴取を受けることになっている。
資料は、素材の分布表だった。各年代ごとに纏められている。それを見ると、やはり近代に近づくにつれて、素材の分布は広がっているようだ。
そして、もう一つ。ずっと昔の、千年前の様子が描かれた、絵。当時の画家が描いたもので、資料として残されているものらしい。
その絵には、ただただ荒廃した世界が描かれていた。
千年前の世界は、不毛な大地が広がっていたらしい。
クラウが言いたいことは、何となく理解できる。やはりクラウも、アスカと同じ推測に至ったようだった。
「魔大陸、か……」
ずっと行こうと思ってはいた。だが、行く手段がなかった。どれだけ頼もうと、金を積もうと、船を出してくれる者はいなかった。当然だろう、帰れない可能性が高いというのに、金程度で動いてくれるはずがない。
ずっと昔は、多くの国が船を派遣して調べようとしたらしいが、ただの一人も帰ってこなかったと記録に残されている。それを考えれば、関わり合いになりたくないと思うのが普通だ。
クラウの弟なら、事情を話せば引き受けてくれるという。アスカとしてはこれ以上巻き込みたくはないと思っているが、それと同じぐらい、このチャンスを逃したくないとも思っている。
どうするべきなのか。分からない。人の生死が関わるものを、簡単に決められるはずもない。
だから、任せようと思う。クラウの言葉に従い、西の村に行って、クラウの家族を、弟を探す。事情を話してから、彼が少しでも難色を示すようなら、諦めて立ち去ろうと思う。
今後をそう決めて、アスカは資料を閉じた。自分の荷物と資料を持ち、扉へと向かう。
最後に部屋へと振り返る。一ヶ月、世話になった部屋だ。主を失った部屋は、それだけで物寂しく感じてしまう。何度か経験のあることではあるが、やはり人の、それも知り合いの死は悲しいものだ。
アスカはそっと目を閉じて、少しだけ思い出を振り返る。
「さよなら、クラウ」
そう告げて、思い出を心の中へとしまい込み、家の扉を静かに閉じた。
第二話終了、なのです。
次話は閑話……は今回はなく、そのまま第三話です。




