06
「おい」
「は、はい」
「誰も受けていないではないか」
「すみません……」
どうやらあの貴族は何か依頼を出していたらしい。貴族自ら依頼を出すなんてことがあるのか、と内心で驚く。アスカもわずかに目を見開いていた。
「ですが、あの依頼は、場所があまりにも危険すぎます……。銀級ですら、行ける者は限られます」
「分かっている。だが、今は金級が滞在しているはずだ。話を通してくれたか?」
「私たちは依頼を強制することはできません。申し訳ないですが……」
「むう……。どうにもならんのか?」
貴族の依頼は危険なもののようだ。どんな依頼なのだろうか。皆が同じことを思ったのか、大勢が掲示板へと振り返る。
しかしアスカはそちらを見ずに、クラウへと小さな声で言った。
「ごめんクラウ。ちょっとだけ別行動。問題ありそうなら、他人のふりをしてね」
「は?」
言うだけ言って、アスカは貴族の元まで歩いて行く。クラウが止める間もなく、アスカは貴族に話しかけた。
「すみません。依頼ってどんな依頼ですか?」
貴族がアスカへと振り返る。怪訝そうに眉をひそめ、騎士二人に目配せする。知っている冒険者か確認したのだろう。騎士たちが首を振ると、貴族は肩をすくめてアスカへと言った。
「南東の山へ、ある花を取ってきてほしいのだ」
「それは……。なるほど、危険な場所ですね」
冒険者たちも騒めいている。彼らの中では常識のことらしい。
後から聞いた話だが、南東の山は数年前から凶悪な魔獣が棲み着いているらしい。だが自分から人を襲うことはしないので、関わらないようにしているそうだ。
「何の花ですか?」
「フェニの花だ。俺の母が好きな花で、最後にもう一度見たいと言っていてな……」
「もしかして……」
「うむ。不治の病にかかってしまっている。もう長くはないだろう」
「その……。すみません」
「なに。気にするな。人の命だ、仕方のないことだ」
そう言って、貴族はどこか悲しげに微笑んだ。
やはりあの貴族は、温和な貴族らしい。母のために花を求め、かといって無理矢理に依頼を引き受けさせようとはしていない。金級冒険者が滞在しているとのことで期待はしていたようだったが。
「まあ、仕方ない。母にはせめて美味しいものを食べてもらおう」
そう言って貴族が帰っていこうとしたところで、
「待ってください」
アスカが呼び止めた。貴族が首を傾げて足を止める。
「何かな?」
「その依頼、受けさせていただきます」
貴族が大きく目を見開く。これにはクラウも驚いた。詳しくは分からないが、南東の山というのはとても危険な場所のようだ。そんなところに行く依頼を受けるなど、正気だろうか。
「いや、しかし、君のような若い子を向かわせるわけには……。もっと熟練の冒険者の方が……」
「冒険者に若いも何もありませんよ。それに、金級に依頼したかったんですよね?」
「ああ、そうだ」
「私が金級です」
貴族だけでなく、ギルドにいた誰もが絶句した。何も言わない貴族の前で、アスカは掲示板から貴族の依頼を外してカウンターへと持って行く。受付の女はそれを受け取ると、心配そうにアスカを見た。
「アスカ様。よろしいのですか? ここには調べ物に来ただけだから、大きな依頼を受けるつもりはないと……」
「うん。まあ、いいよ。あの人がとても横暴な人で悪い噂ばかり聞いてたら無視したけど、とてもいい人みたいだしね。それに、お母さんのためになんて、とってもいいことだよ。……私はもう、親孝行なんてできないから」
最後はとても小さな声だったが、ギルド内が静まり返っているためか誰の耳にも届いたことだろう。その言葉の意味を少なからず察して、誰もが顔を伏せた。
「さて、貴族さま。他に要望があれば今のうちにお願いします。さすがに二往復とかするつもりはないので、取ってきてほしいものがあればついでに全て教えてください」
「あ、ああ……。少し待ってほしい。町の南門に馬車を用意させよう」
「それはとても助かります。お願いしますね」
うむ、と貴族は頷くと、足早にギルドを出て行った。その足取りが軽やかだったのは気のせいではないのだろう。アスカは微笑ましげにそれを見送ってから、クラウの元まで戻ってきた。
「さて、行こうかクラウ。残ってるってことは、そういうことだよね?」
「…………。そうなるのか……」
にっこりと笑うアスカに、クラウは肩を落として頷いた。
その後はギルド内がとても騒々しくなった。アスカを知る者は、どうして言わなかったんだとアスカに詰め寄り、アスカは聞かれなかったからだと笑いながら流していた。
アスカと共に、食料品を買い込んで南門へと向かう。購入した食料は保存食ではなく、いつも通りの食材だった。腐るんじゃないかと聞いたところ、便利なものがあるから大丈夫だとのことだった。
「それも含めて、あとでいろいろと話してもらうからな」
「あはは……。了解。ちゃんと話すよ」
改めて思うが、やはりアスカには秘密が多い。どこまで教えてくれるだろうか。
貴族が用意した馬車に乗って、南東へと向かう。御者になっているのはアスカだ。本来の御者は確かにいたのだが、アスカが断ってしまった。曰く、邪魔になるから。はっきりと言い過ぎだ。御者の人は安堵していいのか怒ればいいのか複雑な表情をしていた。
アスカの隣に腰掛けて、クラウは広い草原を眺める。南東の山はうっすらと見えているが、道はない。行き来がない証拠だろう。
のんびりとした時間が流れる。会話はないが、険悪というわけではない。魔獣が襲ってくることもなく、平和そのものだ。この揺れさえなければ、寝ていたかもしれない。
日が傾き、辺りが少しずつ赤くなってきたところで、アスカが口を開いた。
「私が生まれた場所は、赤姫に滅ぼされてるんだ」
突然の言葉に驚きつつも、クラウは頷く。この若さで冒険者などやっているのだから、その可能性は考えていた。
「ということは、アスカは何かの用事で町を離れていて助かったのか。運が良かったな」
「運……とは違う、かな。かなり意図的だったし」
「は?」
「私は、赤姫を見てる。赤姫と戦って、見逃されてる」
「な……!」
あり得ない。そう口にしたくなるが、しかしここで嘘を言うとも思えない。クラウが絶句していると、アスカは苦笑交じりに言った。
「まあ、そんな簡単には信じられないと思うけどね。でも、事実だよ」
そこから、アスカは話してくれた。自分が生まれた町でのこと。赤姫との関係。とても大切な友人だった、と。




