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声が聞こえる。暗い闇の中、声が聞こえる。
「あなたに祝福を与えましょう。女神からの、そして精霊からの祝福を」
若い、女の人の声。声が続ける。
「勝つことは許されず、けれど死ぬことも許されず。永遠に戦い続ける道を選んだあなたに。気高く、誇り高い最後の吸血鬼であるなたに。だからどうか、お願いします」
その声は、悲しげに、そして愛おしげに、言った。
「この世界を救ってください。レヴィア」
ああ、そうか、とアスカは気づいた。
これは、レヴィアの、真祖赤姫の記憶なのだと。血を飲んだことで、何かの理由からか記憶を見ているのだと。
何の皮肉だろう。死ぬ間際に、こんなものを見せるなんて。
それに、これではまるで、赤姫がこの世界に望まれている存在のようではないか。
そう考えたところで、アスカの意識は唐突に引き上げられた。
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眩しい。アスカが最初に思ったのは、それだ。倦怠感に身を包まれながら、ゆっくりと体を起こす。周囲を見ると、見たこともない部屋だった。いや、部屋というよりは、テントか。木箱を並べただけの即席のベッドに寝かされていたらしい。
どこだろうここは。そう周囲を観察していると、そのテントに誰かが入ってきた。
「おや、おはよう。お目覚めかな」
見たこともない男だ。清潔そうな白衣を着た黒髪の男で、柔和な笑みを浮かべている。男はアスカの側に立つと、その顔をのぞき込んできた。
「ふむ。顔色は悪くないね。とりあえず、後で検査をしよう」
「あの……。ここはどこですか? あなたは誰ですか?」
「ああ。君の町の側、と言えばいいかな? 側の草原だよ。私は討伐軍の軍医の一人さ。赤姫が現れたと連絡を受けてね。王都から駆けつけたというわけさ」
なるほど王都から。……王都から?
アスカが目を見開く。軍医は目を細めてアスカのことを見つめている。よくよく見ていれば、彼からはどこか警戒心を感じられる。アスカに触れようとはせずに、そしてその右手は腰の剣の柄を握っている。
「私は、どれほど眠っていましたか……?」
まさか、と思いながら聞いてみると、軍医は頷いて、
「理解が早くて助かる。私たちが王都からここに来るまで一ヶ月。私たちがここに来たのは三日ほど前だが、君はその間ずっと眠っていたようだね」
一ヶ月。その間、飲まず食わずで眠り続ける。頬に手を当ててみるが、やせこけているわけでもないらしい。あり得ない、と愕然としていると、軍医がわずかに警戒心を和らげたのが分かった。アスカ自身が戸惑っていることを察してくれたらしい。
「町で何があったのか、話せるかな?」
軍医のその言葉に、アスカは頷いて口を開いた。
町での生活の様子。学校からの依頼で隣町へ買い付けに行ったこと。途中で買うことができたので、引き返したこと。そして町の惨状と、赤姫との遭遇。
名前がレヴィアで自分の友人だった、とは言えなかった。
「交戦したのかな?」
「えっと……。はい。一方的でしたけど。最後に、恥ずかしながら、噛みつきました」
軍医が大きく目を見開いた。何か、そんなにおかしかっただろうか。
「血を飲んだかい?」
「えっと……。はい。飲みましたけど……」
「なるほど、それでか……」
納得したように頷く軍医。首を傾げるアスカに、軍医が言う。
「吸血鬼がどういう存在か、知っているかな?」
「え? 一応学校で教わりましたけど……」
生きるために人の血を吸う、人の姿をした化け物。血を吸われた人間はその吸血鬼の眷属となり、操られてしまう。
そう思い出したところで、アスカはさっと顔を青ざめさせた。そうだ、自分はレヴィアに血を吸われている、と。
「ま、待ってください! 私は別に操られてなんか……!」
「ああ、うん。大丈夫だ。分かっている。まさか赤姫も、血を吸われるとは思ってなかっただろうしね」
「え……?」
「実はそれ、一部は間違いなんだ」
軍医曰く、恐怖の象徴として都合がいいので正していない部分があるらしい。何かと言えば、
「吸血鬼に血を吸われたからといって、眷属になるわけではない。吸血鬼の血を取り込むことによって、眷属となる。しかも操るためには、予めそういった魔力を練り込んで、血を与える必要があるそうだ。話を聞く限り、君が赤姫の血を飲んだことは、赤姫にとっても予想外だったことだろう。操られる心配はない」
それを聞いて、ほっと胸を撫で下ろした。だがすぐに落ち着いてなんかいられないと思い直す。今の説明が正しいなら、つまり、アスカは。
「そう。君は操られることはないが、赤姫の眷属に、吸血鬼となってしまっている。飲まず食わずで問題ないのは吸血鬼だからだ。赤姫の血というこの上のない血を取り込んだからこそ、飲まず食わずでも生き続けていられたのだろうね」
幸か不幸かはともかく、と軍医は苦笑する。アスカとしては、頭を抱えたくなる話だ。まさか、自分が吸血鬼になってしまうとは思わなかった。レヴィアが慌てていたのはそれでか、と思い至る。なるほど、確かにこれは、呪いだ。
「さて、君の処遇だけど……」
はっと我に返る。この後の自分のことなど考えていなかった。生を拾ったのだから、どうするか考えないといけない。
だが、そのアスカの考えは、軍医によって突き落とされた。
「未だ決まっていないが、おそらくは、情報を聞き出した上での処分、となるだろうね」
「え……? 処分って、つまり……」
「処刑と言った方が分かりやすいかな?」
何故、そうなるのだろう。軍医の話が本当なら、アスカは操られる心配はないはずだ。今からそれを説明すれば……。
「確かに、操られないだろうとは言ったが、それは普通の吸血鬼の場合だ。君が取り込んだ血は、赤姫のものだからね。赤姫なら、後からでも操れるのではないか、となっている」
「そんなこと……!」
「ない、と言い切れるかな? あの化け物の能力を考えて、そう言えるのかな? 今はもう吸血鬼は赤姫しかいないから詳しくは分からないけれど、それでも間違い無く、赤姫は他の吸血鬼よりも強力な個体のはずだよ。他の吸血鬼にはできなくても、赤姫ならできるかもしれない」
そう言われてしまうと、アスカには何も言えなくなる。アスカにも、赤姫の能力など分からないのだから。いや、分かったとしても、誰もアスカの言うことなど信じてはくれないだろう。疑いがかかっている者の言葉を誰が信じると言うのだろうか。




