09
意味が分からない。唖然としつつ、袋が置かれていたテーブルに置き手紙があることに気が付いた。
『餞別。元気で。良い旅を。レヴィア』
短い手紙。レヴィアらしいと思うのと同時に、不思議に思う。
まさか、レヴィアは、赤姫が来ることを知っていたのだろうか。だがそれなら、一緒に逃げても良かったはずだ。これは、偶然だろうか。
嫌な予感を覚えながら、外に出る。次は何をするべきか。ああ、そうだ。人を呼ばないといけない。
そう思った直後。
ぐちゃり、と。何かの潰れる音が聞こえた。
「戻ってくるのが早いよ、アスカ」
聞き覚えのある、いや、何度も聞いた声。声のした方を見れば、一人の少女がこちらへと歩いてくるところだった。
セミロングの白い髪に真っ赤な瞳。その両手には、おそらく、マリベルだったものの、何か。右手に持っているものはマリベルの頭で、その瞳はもう何もうつしてはいない。
この少女が、真祖赤姫。千年以上、虐殺を続ける吸血鬼。
だが、そんなことよりも。アスカは赤姫の顔を見て、ただ、目を見開いていた。
「レヴィア……?」
赤姫の顔は、レヴィアのものだった。似ているなんてものではなく、レヴィアそのものだ。髪と瞳の色が違う点を除けば、レヴィアにしか見えない。
そしてそれを肯定するかのように。
「初めての、そして最後の旅は楽しかった? 死出の旅への土産にはなった?」
赤姫が、レヴィアが顔を歪める。歪な笑顔。見ただけでぞっとするほどの、おぞましい笑顔がそこにはあった。
「お世話になったからね。アスカだけ特別に、遺言ぐらいは聞いてあげる。さあ、言うといい。何なら、行動でもいい。ほら、私は何もしない」
両手を広げ、赤姫が言う。全身が血に汚れた赤姫が。
「ん……。これは邪魔」
そう言うと、赤姫は右手に力をこめたのだろう。
聞いたこともないようなおぞましい音と共に、マリベルの頭が握り潰された。頭の中身が周囲にぶちまけられる。汚いものを払うかのようにぷらぷらと赤姫が手を振る。
それを見て。アスカは思わず剣を抜いた。
「レヴィアああぁぁ!」
「ん」
真っ直ぐに、レヴィアへと走る。何の策もなく、けれど躊躇もなく、剣を振り上げて、勢いよく振り下ろした。宣言通り、レヴィアは一切動かない。アスカの剣が、レヴィアの体を切り裂いた。
「え……?」
否。切り裂くことは叶わず、剣は甲高い音と共に折れてしまった。驚愕で目を見開くアスカに、レヴィアはどこか悲しげに言う。
「アスカは、優しい。そんなに怒ってるのに、致命傷は避けた。……どっちでも、同じだけど」
折れた剣を持ったまま呆然としているアスカに、レヴィアは言う。
「私は常に、全身を魔力の膜で覆ってる。見えないだろうけど、ね。今のところ、その魔力の障壁を突破できた人は、一人もいない」
レヴィアの手が、アスカの頭を握る。殺される。そう思っても、体はもう動かない。何をしても自分ではレヴィアに傷一つつけられないと分かってしまった。レヴィアの言う通り、確かに致命傷とはならないように斬りつけたが、そもそもそれ以前の問題だった。
無力。所詮人間一人では赤姫に勝つことなどできはしない。
このまま頭を握り潰されるのだろう。そう思って覚悟したのだが、
「はむ」
レヴィアが取った行動は、アスカの首筋に噛みつく、というものだった。
「な、にを……!?」
そしてすぐに、何をされているのか理解した。
吸われている。血を。アスカの、命を。
痛くはない。少しくすぐったい程度だ。だが何よりも、血を吸い上げられていく感覚が、とても、気持ち悪い。
このまま全ての血を吸われるのか。そう思ったところで、レヴィアが顔を上げた。ぷは、と小さな声を上げるレヴィアの顔は、どこか幸せそうにも見える。
「うん。美味しい。殺したての血もそれなりだけど、生き血が一番美味しいね」
知らない。どうでもいい。
「アスカ。もう抵抗しないの? 最後のチャンス」
レヴィアの手がアスカの頬に触れる。
「あ……」
「もう遠慮しないし、加減もしない。次で吸い尽くす」
どうしてわざわざ、それを言うのか。まとまらない思考のままぼんやりとそんなことを考えているアスカに、レヴィアは落胆のため息をついた。そして、そっと首筋に顔を近づけてくる。
「おやすみ、アスカ。良い旅を」
それを聞いた瞬間。レヴィアの、無表情が崩れて泣きそうな顔を見た瞬間、何故か、死んではいけないと思った。
だから。
「……っ!」
「な……!」
噛みつかれる前に、レヴィアの首筋に噛みついた。
アスカは人間だ。当たり前だが血を吸うことなんてやったことがない。それでも、レヴィアの血を吸う。飲む。仕返しだと言わんばかりに。
「なんで障壁が!? やめ、だめだからアスカ!」
初めて聞く、レヴィアの狼狽した声。こんな声も出せるのかと内心で驚く。
「だめだから! それ以上はアスカが呪われる! ……はなせえ!」
力で強引に払いのけられた。倒れるアスカから距離を取るレヴィア。レヴィアを見ると、その表情は憤怒に染まっていた。ただしそれは、アスカに向けられているものではないらしい。
「くそ……! どういうつもりだ、精霊……!」
精霊への怒りの理由が分からない。アスカが体を起こそうとしたところで。
不意に。激痛がアスカの全身を襲った。
「う、あ……!」
短く悲鳴を漏らすアスカ。レヴィアはすぐにそれに気が付き、けれど何もせずに小さくため息をつく。
「苦しませるつもりなんてなかったのに……。せめて、すぐに殺してあげる」
体を無理矢理作り替えるような、今まで感じたこともない激痛にのたうち回るアスカを冷たく見下ろして、レヴィアはそっと手を上げて、
「…………」
そして、振り下ろした。
壁|w・)ざ・おうどう。




